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小松島競輪場の実況の仕事を始めて、今年で7年目になります。最も、私は“実況アナウンサー”と呼ばれるのはおこがましいと感じていて。自分では“状況説明屋”だと思ってるんですけど(笑)。
もともと、しゃべることが大好きだったんです。高校時代は漫才師になりたくて、お笑いの吉本興業に入ろうと本気で思っていたぐらい(笑)。
何度かアシスタントでラジオ番組に出演したこともあって、しゃべる仕事って楽しいな、それで食べていけたらなあとずっと思っていたんです。高校を卒業してからアナウンスの専門学校に通ったりもしたんですけど、現実は厳しくて半ばあきらめかけていた時に、たまたま広告誌で、有線の競輪放送のテスト番組アシスタント募集の記事を見たんです。競輪のことは何も知らなかったんですけど、ためしに応募したら合格!
当時、小松島競輪場には常時実況を担当する方がいなかったんです。ちょうど小松島ではテレドームの電話サービスの導入が決定した時期でもあって、ぜひこの機会に実況をほしいという話になり、私に声がかかったんです。
有線で競輪番組を担当していたとはいえ、実況をこなせる程の競輪に関する知識はありませんでした。とにかく競輪を覚えようと思って、手始めに競輪OBの方に直接お会いしていろいろ教えてもらいました。でもOBの方なんで昔のことしか教えてくれませんでしたけど(笑)。『高原永伍はこういう時は云々』とか『中野浩一なら云々』とか(笑)。
一番最初に実況した時ですか?
もう本当にひどかったんですから!!「号砲が鳴りました。1番2番3番いきました」。その先は無言(笑)。選手の名前も言えなかったぐらい。そして「鐘が鳴りました。1番いきました、2番が追いかけました……5番が1着でゴール!」。そんな状態が半年ぐらい続いたんですが、さすがにこれではいけないと思って。「ヘタクソ!」ってハッキリ言われたこともありましたから……。
もともと負けず嫌いな性格なんです。だから、他の競輪場の実況の方のしゃべりを聞きにいったり、自分なりの方法で何とかうまくなろうと必死でした。周囲の方から“小松島競輪の実況として茂村を育ててよう!”っていうムードがすごく伝わってきたんですよ。地方の競輪場独特の一体感っていうんでしょうか。その思いに応えたいって強く思ったんです。
無我夢中で突っ走って、2年ぐらい過ぎた頃、ようやく何とかしゃべれるようになって実況が楽しくなってきました。ちょうどその頃、徳島の小倉竜二選手がふるさとダービー観音寺で優勝したんです(98年)。小倉選手がデビュー(96年)されたのと私が実況を始めた時期が近かったせいもあって何となく親近感みたいなものを抱いていたんですけど、そんな小倉選手がビッグ制覇されたっていうのはすごくハッパかけられた気分になったんです。私ももっとがんばって、真剣に実況に取り組もう!
って思いました。
徳島の選手は、若手も中堅もベテランも、みんな仲がいい。毎日グループで練習していて楽しそうに見えますけど、みんな負けず嫌いだからお互いにどこかで凌ぎを削っている。それが徳島勢が強くなってる秘訣かなと思いますね。
競輪の魅力は何といってもライブ感! 目の前で、時速60qないしは70qのスピードで体をはってバンバンぶつかり合ってるわけでしょう。たまらないスリル、ですよね。しかも、同じレースは二度とないじゃないですか。実況していても、自分の口から次にどんな言葉が出てくるのか予測できないんです。本当に実況の仕事は楽しいです。
私のモットーは、見たものをそのまま素直に伝えること。これからはもっと私の色を出して、私にしか表現できないような実況で“茂村ワールド”を築いていきたいですね。
私は競輪の持つ人間臭いドラマが大好きなんです。いつまでもずっとお客さんを大切にしてくれる競輪で在り続けてほしいなと思います。 |
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茂村華奈
Kana Momura

フリーアナウンサー
11月10日生まれ。B型。全国に3人しかいない、女性競輪実況アナウンサーの一人。
「小松島競輪を支えているのは、小松島市長を始め“浪花節”な方々ばかり。私も根が演歌なもんで、そういう浪花節についていくのが楽しい(笑)。…将来は“てっちゃん”こと増田鉄男選手(74期)と、掛け合い漫才ができたらいいな(笑)」。 |
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