月刊競輪WEB|KEIRIN.JP
 誰もいない整備場。整然と並ぶ自転車が穏やかな光を浴び、まもなくウォーミングアップに訪れる選手を心待ちにしている。
 ここは競輪場。20代前半から50代の選手がファンの期待を背負い勝利を目指す舞台だ。醍醐味の一つは、ベテラン選手の老練の走りと若手選手の気鋭の走りが織りなす勝負の行方。さまざまな思いが交錯する舞台裏を写真で紡ぎます。
2019年5月 前橋競輪場
「アイツがやるなら俺もやろう」
河元 茂
大阪  78期
45歳  A級2班
陸上競技で大学に進学するつもりだった。
「当時競輪は、平均年収が1000万以上で、
60歳近い選手も沢山いると聞き興味を持ちました」
同じ競技で競った石丸寛之選手が、
競輪を目指すという情報を得た。
「アイツがやるなら俺もやろうと」
だが、落車や怪我、2回の腰の手術と茨の道が待っていた。
「腰部脊柱管狭窄症の手術の時は、
復帰後の体力の戻りが悪く、さすがにしんどかった。
でも、レースも競輪も楽しい。色々な練習法を用いて、
若い選手に負けないようにしていきたいと思います」
「恩返しできるレースをしたい」
小谷 文康
広島  94期
41歳  A級2班
競輪学校時代、苦い思い出がある。
「規定タイムを出せず卒業認定試験に落ちたんです。
追試の時、目標とする同期生が車輪を貸してくれた。
でもダメで、涙を流しながら返したことを覚えています」
それでも選手を諦めなかったのは、
会社員時代の嫌がらせや不公平感からの脱却だった。
「競走得点や代謝制度、着順を見極める写真判定など、
他の仕事より公平で、魅力ある世界だと思っています」
デビューを待ち望んだ時期を経、はや11年。
「お世話になった人に恩返しできるレースをしていきたい」
「また特別競輪に出場したい」
望月 裕一郎
静岡  65期
49歳  A級1班
特別競輪準決勝戦で強豪選手と闘ったことが励みとなった。
「練習は嘘をつかない、
努力をすれば上位で闘えると感じたのが何よりも良かった」
だが、2年前の落車が影響しA級陥落を余儀なくされた。
「肋骨6本と肩甲骨骨折、肺気胸でした。
脚力が落ちたわけではないと思っています。
復帰は精神的にキツイが、先輩の助言が力になりました」
「また特別競輪に出場したいです。
そして、"静岡に望月あり"って思ってもらえるように、
50歳になっても頑張りたいです」
写真・文 中村 拓人