月刊競輪WEB|KEIRIN.JP
 誰もいない整備場。整然と並ぶ自転車が穏やかな光を浴び、まもなくウォーミングアップに訪れる選手を心待ちにしている。
 ここは競輪場。20代前半から50代の選手がファンの期待を背負い勝利を目指す舞台だ。醍醐味の一つは、ベテラン選手の老練の走りと若手選手の気鋭の走りが織りなす勝負の行方。さまざまな思いが交錯する舞台裏を写真で紡ぎます。
2019年8月 取手競輪場
「これからも工夫し、発見しながら」
井上 典善
千葉  66期
51歳  A級2班
競輪好きの父の影響で競輪選手になった。
「走る度に発見することがあるし若手から学ぶこともある」
いろいろ試しながらやっているうちに30年目を迎えた。競輪も変化してきた。自分も合わせていかなければと話す。
「若手が今の競輪に合わせて力をつけているのを見ると、そういう考えがあるんだと。これからもいろいろと工夫し、発見しながらやっていきたい。車券に貢献したいし」
競輪の面白さは?
「駆け引きでしょうね。ヨーイドンで走ったら絶対に若い子にはかなわないと思う。でも、道中、脚を削られ、いろんな展開があって勝てる時がある。それが魅力ですね」
「充実していて楽しいです」
山田 祐太
福島  113期
31歳  A級3班
もともとは趣味で乗っていた自転車。
「グランプリを見て、賞金額に驚いて選手を目指しました」
競技経験などはなく、適性試験受験者のための道場に通い5度目の受験で合格した。デビュー直後は苦戦したが最近はレースに慣れ調子も上がってきた。
「今、充実していて楽しいです。自転車が好きなんで、自分の好きな仕事で生計を立てられるって、すごく楽しいです」
今は、力を出し切れずに終わらないよう、自分で前に出ていくレースを心がけている。つっぱり先行も多い。
「できるだけ長く選手を続け、できるだけ上に行きたい。まずはS級になって師匠(飯野祐太)の前で走りたいです」
「嫁さんには感謝しかない」
野崎 修一
栃木  57期
56歳  A級3班
かつては今のようなライン戦ではなく、強い選手が強い先行の二番手を取りに行った。
「先輩とかいると遠慮しちゃうというか・・・」
もっと強い意志を持てばよかったという悔いが残っている。しかし、選手生活34年目に突入した今も気持ちは切れていない。
選手になるきっかけは萩原健一が主演した競輪のドラマ『祭りばやしが聞こえる』だった。
「自分がやりたいと思った職業につけてよかったと思う。仕事が好きでやっている人って少ないですもんね」
制度が変わり賞金面で苦しくなった時、支えてくれたのは妻。
「長くやってられるのは嫁さんのおかげ。感謝しかない」
写真・文 中村 拓人