月刊競輪WEB|KEIRIN.JP
 誰もいない整備場。整然と並ぶ自転車が穏やかな光を浴び、まもなくウォーミングアップに訪れる選手を心待ちにしている。
 ここは競輪場。20代前半から50代の選手がファンの期待を背負い勝利を目指す舞台だ。醍醐味の一つは、ベテラン選手の老練の走りと若手選手の気鋭の走りが織りなす勝負の行方。さまざまな思いが交錯する舞台裏を写真で紡ぎます。
2019年9月 西武園競輪場
「オリンピックを目指して」
高橋晋也
福島  115期
25歳  S級2班
スピードスケート出身。スター選手武田豊樹が高校の先輩。
「アマチュアの時に話を聞く機会があって、武田さんみたいに活躍したい、目立ってやろうと思って競輪界に入りました」
競輪学校入学直後の試走記録会でいきなり好タイムを出した逸材。デビュー当初は緊張で上手く走れなかったと振り返るが強力なダッシュを武器に快進撃。既にS級へ特別昇級した。
「勝つにつれて自信も湧き、成長できていると思います」
現在はナショナルチームで厳しい練習に汗を流す。
「(パリ)オリンピックを目指して頑張りたいです」
晋也ー!というファンの応援が何よりも力になると話す新鋭レーサーは世界に向かってペダルを漕ぐ。
「気持ちのベクトルを上向きに」
井手尚治
神奈川  65期
49歳  A級2班
競輪界に入った当時、競輪はスポーツというよりも"職業"という面が強かったと話す。そんな競輪の魅力は?
「迫力と人間味。ラインの前後の信頼関係が大事。だからこそ、みんなで上位に入れた時はすごく嬉しい」
ここまでずいぶん怪我とも付き合ってきた。
「怪我を克服しようという思いがずっと続いている感じ」
競輪祭の新人王戦のチャンスをふいにしたこともあったが、逆境を奮起するためのバネに変えてきた。
「怪我をして気持ちが折れてしまう人もいるが、僕はそれをプラスにしていけたのかもしれない。これからも気持ちのベクトルを上向きにして続けていけたら幸せです」
「ファンあっての選手」
瀧口和宏
東京  72期
48歳  A級2班
競輪好きな父の影響で、小学校の文集に競輪選手になると書いたものの、それほど強い思いを持ってはいなかった。
「正直、自転車がそんなに好きではないんで。単純に練習が苦しい。自転車の練習がこんなに苦しいとは思わなかった」
その一方、ギャンブルレーサーとしてのプロ意識は高い。
「ファンあっての選手。たとえば落車したら、自分のことだけではなく、もっと申し訳ないと思う気持ちが必要」
若くて力のある時には気づかなかった。
「弱くなってきて、僕に賭けてくれる人は少なくなっていると思うけど、100円でも200円でも賭けてくれる人、夢を託してくれる人のために一生懸命に走ります」
「好きなことをやっているから」
神田宏行
埼玉  62期
51歳  A級2班
自転車が好きで中学の時に競輪選手になろうかなと考えた。しかし、高校では野球部に入った。
「(運動能力を測定する)適性試験でも競輪学校に入れると新聞で知って、だったらいいやと野球をやったんです」
しかし、適性試験による入学は狭き門だった。
「自転車での受験に切り替えて練習し、一年半かかりました。受かった時は本当に嬉しかったですねぇ」
デビューしてからの31年はあっという間だったと言う。
「好きなことをやっているから早く感じるんだと思います。あと何年できるかわからないですけど、練習にしても、競走にしても、悔いのないようにやっていきたいです」
「自転車の練習って苦しい」
齋藤明
北海道  61期
52歳  A級2班
32年目。ルール変更に悩みもした。20代の頃、同地区の先行選手が少なく、違反点の制裁の厳しい時期と重なった。
「点数を持っていてもS級に上がれず、きつかったです」
それでも我慢してがんばるしかないと練習に打ち込んだ。
「自転車って200m一本もがくだけでも吐くくらい苦しい」
個の力を出し切れるものだからこそ自分の極限に挑むのだ。しかし、年齢を重ねるとそうもいかなくなってくる。
「休養やサプリメント、マッサージ、体の使い方など、日々考えながらやっていること自体が闘いですね」
その上でどれだけ練習できるかどうか。検車場でも常に身体を動かしながら、自分と向き合い闘うベテランの姿があった。
写真・文 中村 拓人