月刊競輪WEB|KEIRIN.JP
 誰もいない整備場。整然と並ぶ自転車が穏やかな光を浴び、まもなくウォーミングアップに訪れる選手を心待ちにしている。
 ここは競輪場。20代前半から50代の選手がファンの期待を背負い勝利を目指す舞台だ。醍醐味の一つは、ベテラン選手の老練の走りと若手選手の気鋭の走りが織りなす勝負の行方。さまざまな思いが交錯する舞台裏を写真で紡ぎます。
2019年12月 川崎競輪場
「S級に戻れるように」
富永 益生
愛知  66期
48歳  A級1班
今年デビューから30年を迎える。高校まではサッカー部に所属。本当に競輪で通用するのか、不安を抱えながらのデビューだったが仲間に恵まれたと振り返る。
「先輩や兄弟子のおかげでレースにつながる練習ができた」
その後トントン拍子にS級に上がり、10年間先行で戦った。
長くS級で活躍してきたが2015年にA級に降格。
「競輪が好き。この世界にずっといたい。いるからにはS級にいないとダメだと身に染みています。2020年にはS級に戻れるように頑張ります」
今、大切にしているのは前を走る先行選手との信頼関係だ。
「2番手の仕事をしっかりやって、信頼を築きながらまだまだやっていきたいと思います」
「先行の予想に応えたい」
井寺 亮太
福島  113期
27歳  A級2班
24歳まで自衛官として勤め、その後、子どもの頃からの夢を叶えて競輪選手となった。
「自衛官の頃には車券を買っていました。数分走っただけであんなに稼げていいなと思っていました」
予想紙で先行すると予想されていた選手が主導権をとれないと腹を立てることもあった。しかし走ってみた世界は違った。
「先行するだけでも難しい。毎レース命がけ」
身を以て怖さを知った。その上で戦法にはこだわりがある。
「お客様がいての競輪。勝ち以上に、井寺は先行するっていう予想に応えたい」
車券を買う気持ちがわかるからこそだろう。
「目標はS級に上がって大きな舞台を走ること。師匠(飯野祐太)の前で走ってワンツーを決めるのが次の夢です」
「次の世代に繋げられるように」
森下 忠夫
高知  69期
47歳  A級3班
高校時代、理不尽な悔しさを味わい陸上を辞めた。その後、運命に導かれるように競輪選手を目指すことになった。
「親父に協力してもらってがむしゃらに練習しました」
1回目の受験で合格。右も左も分からずに入った分、先入観なくすんなりと競輪の世界に身を置くことができた。
「生活のすべての中に競輪が入っている。競輪と一緒に生活している。呼吸するような感じですね」
苦もなく続けてきた選手生活だが、新たな局面を迎えている。
二年前に支部長になり、競走以外の苦労が生まれた。
その中でいま思うことは
「次の世代に繋げられるように。高知支部の選手が競輪を楽しめる環境を作りたい。息子も競輪に興味を持ってくれているし。自分だけでは難しいかもしれないが礎を作っていきたいです」デビュー28年目の挑戦は続く。


写真・文 中村 拓人