競輪の売り上げの一部は医療、福祉、ものづくり、スポーツ振興など様々な分野の活動に役立てられています。選手の走りと、ファンの皆さんとで創り出す競輪補助事業。どんなところに、どんな形で支援が行われているのか、ご紹介していきます!
今回は、東日本大震災で地震や津波の被害だけでなく、原発事故という原子力災害にも見舞われた福島県で、県民の健康管理を担う「公益財団法人福島県労働保健センター」を訪ねました。
福島駅から車で20分ほどの場所にある
福島県労働保健センター
職員の方からセンターの概要やホールボディカウンター
導入の経緯など、スライドを使って説明を受ける
真剣な面持ちで話を聞く金古将人選手
内部被ばくを測定するホールボディカウンター。
この2台は起立した状態で測る立位式で、施設内には
もう一つ座った状態で測定できる座位式もある
ホールボディカウンターの測定結果はすぐに出るが、
英語で書かれた専門的なもののため、
こちらのセンターでは分かりやすい形に作り替え、
後日受診者に通知している
サーベイメーターを使い、実際に屋外の放射線数値を
測ってみせてもらう
職員の皆さんと金古選手
福島市にある「福島県労働保健センター」は平成3年に設立され、福島県内における各種健康診断や保健指導などを行う専門機関です。
このセンターでは2年前に起きた東日本大震災後、放射線が及ぼす健康被害への不安を抱える県民のため、体内の放射性物質の量を測定する「内部被ばく検査」に取り組んでいます。
内部被ばくの測定に使用されているのは、ホールボディカウンター(体内放射能測定装置)と呼ばれる機器で、本体だけでも2000万円以上するという高額なもの。センターでは2011年にこのホールボディカウンターを1台導入しましたが、ニーズが多く、1台ではとても対応しきれないと、2012年に競輪補助事業のサポートを受け、新たに2台のホールボディカウンターを増設しました。
もともと1台目のホールボディカウンターを導入するきっかけとなったのは、震災後まだ間もない時に、当時制限区域だった福島第二原発や飯舘村に出向いての健康診断を依頼されたことだったといいます。その頃はまだ原発事故の詳細や、放射線に関する情報も何が正しいのか全く分からず、福島全体が大混乱に陥っている状況でした。そんな中で、原発で復旧作業を行う作業員や、高齢者など避難が難しく制限区域に留まらざるを得ない人たちのために、巡回健診を行うことを決断。職員の安全を確保する最善の方法はないかと、インターネットでリサーチを行い、そこで内部被ばくを測定できるホールボディカウンターの存在を知ります。一般市民の測定だけでなく、職員の安全を守るためにも必要だと判断したセンターは、このホールボディカウンターの購入に踏み切ったのだそうです。
この制限区域での健康診断活動においては、競輪補助事業が震災直後から設けた「東日本大震災復興支援補助」を利用していただき、サーベイメーターやガラスバッジ(積算線量計)など外部被ばくを防ぐための機器を揃え業務にあたられたそうで、受診者は延べ1万4000名に上ったといいます。
現在、福島県では18歳以下の子供や妊婦などの約38万人を最優先対象として、ホールボディカウンターでの内部被ばく検査を進めています。センターでは県からの委託を受け、ホールボディカウンターを搭載した巡回バスと、施設内の3台をフル稼働させ、2012年12月までに約2万人の測定を行いました。
センターの皆さんは「放射線に対する不安の払拭という意味でも、このホールボディカウンターはとても大きな役割を果たしているのでは。体内から放射性物質が検出されないことが分かれば、安心して福島で暮らすことができる。その安心を福島県民は今一番欲していると思うんです」と、内部被ばく検査が心のストレスの軽減にも繋がると話します。
また、さまざまな情報が氾濫する中、きちんとした放射線の知識や対応を知ってもらうためにも、「ただ測定するだけではなく、測定したあとの説明やフォローが大切」と考え、法律上は特に定められていないものの、センターではホールボディカウンターの扱いは放射線技師のみに限定し、専門の研修会なども実施。測定結果もそのままでは専門的すぎて分かりづらいため、一般の方が理解しやすいような形に直し、説明を加えているのだそうです。
福島県は内部被ばく検査の最優先対象としている38万人の内、2013年1月までに約11万人に検査を実施したと発表。2014年3月までに38万人全ての検査を完了させる予定だといいます。現在、県が保有しているホールボディカウンターは8台。市町村などの各自治体や、この福島県労働保健センターをはじめとした民間でも独自に導入するところが増えているそうですが、それでも200万人近い福島県民全員の検査が行われるまでには、かなり時間がかかることが想像されます。
センターでは内部被ばく検査は長期に渡って継続する必要があると考えています。「現状では難しいと思いますが、一人一人が定期的に検査を行うことが理想。セシウムの半減期を考えても、少なくとも30年は検査を続けて行く必要があります。私たちも長いスパンで測定を継続して行き、やっぱり福島は大丈夫だったんだ、というデータを採って、後世に残したいと思います。そして安心して子供を育てられる、そんな当たり前の環境を早く取り戻せることを願っています」
金古将人(福島・67期)
─今回は内部被ばくを測定する機器に競輪の補助が生かされているというお話でしたが、実際に福島に住まわれている金古選手はどんな感想をもたれましたか?
「やっぱりこういう原発事故があって、福島の人はみんな今、放射能に対して過敏になっているというか、すごく恐れているんですよね。そんな中で、ホールボディカウンターで測定することで安心に繋がっているという話を聞くと本当に嬉しく思いますし、これからも検査はずっと続けていかれるということですので、競輪もこういった事業にどんどん補助を出して、広くみなさんの役に立ててほしいなと思います。また、競輪の売り上げがこういう震災復興支援にも使われていることは、あまり知られていないと思うので、やっぱりこれから自分たちがもっと広めていかないといけないのかなとも感じましたね」
─こうやって現状をお聞きすると、震災支援はまだまだ続けていかなくてはならないのだと強く感じました。
「そうですね。自分も震災直後からずっと地元の福島にいて、本当にひどい状況を見てきましたので、2年ほど経ってやっと今立ち直りつつあると。本当に復旧から復興へという流れになってきていますので、みなさんにはそれを後押ししていただけたらなと思います」
─いわき平競輪場は震災から4ヶ月近く開催を取り止め、2012年6月から本場再開となりましたが、現在の様子などは?
「震災直後は自分たちも周りの状況を見て、競輪をやっていていいのかなという、正直不安な気持ちがあったんですけれど、今は逆に市民の方にも応援していただいていますし、また憩いの場として震災以前より入場者数や売り上げも良くなっていて。本当に今、いわき平は活気づいているというか、福島県自体が徐々に元気を取り戻してきているのかなというのは感じますね」
─そんな状況の中、支部をまとめて行くことは本当に大変なご苦労があったのでは?
「まあ正直、本当に震災直後というのは何をしていいのか分からず、周りもみんないなくなって行く、街中からも人が消えて行くという状況の中で、一人残されたような形になっていましたけれど、とにかく復活できると信じて。いわき平競輪場がなくなってしまったら、福島県がダメになってしまうという気持ちがあったので、今までお世話になってきた地元に少しでも恩返しができればという思いでやってきたんですけど。確かにあの時は、もう思い出したくないようなつらい思いはしました。でも全国のファンのみなさんをはじめ、募金活動で支援してくれた競輪選手たち、関係者のみなさんにも応援していただき、本当に有難かったです。これから自分たちが恩返しして行く番ですから、なんとか頑張って行きたいですね」
─福島は強い選手もたくさんいますからね。
「そうですね。元気はあると思うので、そのあたりを活かして少しでも福島の、そして東北の復興の力になれればいいなと」
─最後にファンの方々にメッセージをお願いします。
「みなさんにご心配をおかけしましたけれど、今は復興に向けて力強く元気を発信していますので、ぜひともいわき平競輪場、また福島のほうにきていただき、楽しんでもらえればと思います」