インタビュー

努力、精進、さらなる研究。上位クラスで戦う選手たちの宿命だ。
一つ欠けても、上位クラスで戦う事が難しくなるのが競輪だ。
諦めればそこで終わる。張り詰めた気持ちが途切れれば、上位では戦えなくなってしまう。
一昨年。志智の成績をみても、競走を見ても崩れた状態だった。中部の追い込み選手はもとより、キレのあるゴール前の縦脚が消えたのだ。
その不調に喘いでいた志智が、今また復活の道に入った。
積み上げてきたものが壊れたから積み上げ直す

先輩からも、若い選手からも学ぶ
─ここにきてやっと調子が上がってきましたね。
「やっと一年くらいですね、良くなって」
─不調から抜け出すきっかけというのは?
「抜け出すというか、ハマっていた時は何もやっていなかったという感じだったんですよね。やっぱりトップで戦っていくためのものが欠けていたので。
それがなんか急に出た感じだったので。まあ悪くなったのでいろんなことにチャレンジできたのはよかったですね。全然壊れた状態だったので、もう積み上げるしかなくなりました。
今までは壊すことができなかったんですよね、変化していくというか、進化していくというか。それが勝手に崩れたので。自分で変えられなかったものが勝手に壊れたという。耐震基準を満たしてなかったんですよね(苦笑)。しっかりしたものがない中で戦っていたという感じでした。
だからもう一回築き直して。全部、トレーニングも体のケアも栄養も、気持ちの面とか思いとかもちょっとずつ見つめ直しながら、一個一個やるべきことはちゃんとやらなあかんと。本当にすべてが壊れた状態でした」
─それに気づいたきっかけは?
「そういうアドバイスをしてくれる人もいましたし、いろんな人に助けてもらいました。敵だけど心配して声を掛けてくれる選手もいたし。
あとは後援会の人たちとかずっと応援してくれていたので。家族もそうですけどね。
自分の中では深刻だったんですけど、普通に接してくれました。まあ一年くらい頑張ってダメだった時はちょっともう本当に諦めるつもりで取り組みました。2月からで11月くらいに立ち直ったので、なんとか間に合いました。
3ヶ月くらいは何もわからない、見えない状態で、6ヶ月くらい経った時にちょっと頑張っとったら何とかやれるかなと思い始めて、9ヶ月くらいでバンと開けたという感じで。3ヶ月周期でなにか変わってくるのかなという感じにも思ったし。まあ色々考えられましたね」
─当時、かなり苦しかったのでないかと思いますが。
「でもあんまり考えすぎず、やるべきことをやりました。いろんなことをやらなあかんし、年齢で退化していくのもあるので、やっぱり自分が進化していかなあかん気持ちでやっとらんと、帳尻合わんくらいです。
自分は順調にやってきていたので、選手生活がこんな感じでなんとなく勝った負けたでなだらかに終わっていくんかなと思っていた時期でしたので、ちょっと気持ちが退化していましたよね。
やはり引退とかも頭をよぎるので、このまま勝てずにずるずると、そのままストレートで落ちていったら、あと何年しか走れないなとかそんな感じでした。もう先が見えている状態ですよね。
だから今こうやって走るようになってきたので、あとはどれだけ選手生活を濃くできるか。そういうことを思いつつ、やろうと思っています。どれだけ濃くできるかわかりませんけど、長くても何年という感じなので。若い時みたいな感覚ではないので。先輩とか見ながらですけど。
今回(千葉記念)でも鈴木誠さんとかガンガンやっているので、いろいろ聞いたりとか、参考にしながら。で、若い子がなにやっとるんかとか。そういうことをやっていかないとダメやなと思います。まあできるだけ頑張ります」
─志智選手にとって競輪とは?
「そういうのは苦手やな(笑)。まあ自転車好きなので、それが仕事になっているというのは本当に恵まれた人生かなとは思いますね」
志智俊夫(しっち・としお)
1972年9月3日生 173cm 72kg
余暇はどのように過ごされています?という問いに
「あんまりないですね。今大事に選手生活を送っておかないとダメなので、本当に今はこの生活を楽しんでいますね。本当に楽しいです。こうやって結果が出ると楽しいですよね。趣味とかそういう楽しみもないのかって思われるかもしれませんけど、これ(レース)が楽しいです」
自転車がとても好きな志智選手でした。