原田研太朗選手がウィナーズカップの準決勝で300勝を達成した。中国四国、特に四国の若手選手が増えてきた今、原田選手の選手が若手に示す姿とは?若手からもらった刺激を力に変えて、目標に向かい邁進するのみだ!
ここまで来られたのは、徳島という環境が良かったおかげです
-原田選手が競輪選手を目指したきっかけは?
「親が競輪ファンで昔から競輪場に行っていたので、それで競輪という存在は知っていて、やってみたいなと思ったのが始めたきっかけですかね。自転車を始めたのは高校からなんですけども、やってみたいという思いは中学生の時からありました」
-高校は自転車部ですか?
「はい。徳島は自転車部のある所は少ないんですけど、そこから選んで受験しました。でも、入ってみたらキツかったですね(苦笑)。もっと楽なものかなって思ってました。それまで野球部で身体を動かしていたので、いけるかなと思っていたんですけど、思ったよりも進まないし、心肺機能とかもキツいので思っていたのと違いましたね」
-それでもしっかり3年間続けたんですね。
「やりたかったことですし、きついですけど、楽しさもあったので、3年間続けられました」
-高校時代の成績は?
「いやもう全国に行くだけみたいな。自転車競技は得意じゃなかったので、全然強くはなかったです(苦笑)」
-競輪学校はいかがでしたか?
「全国から集まって、大会で優勝とかしている人もいたので、名前を聞いたことあるなっていう人も多くて。逆に、僕は無名だったので『誰かわからん』みたいな感じでした(笑)。入った時は自分が下だとわかっていたので、そこから一歩一歩上がっていくしかないなと思っていました」
-デビュー戦は振り返っていかがでした?
「すごく緊張しましたね。卒業からデビューまでの約3か月が長かったなと感じました。そこまでに、自分に足らないものを磨いていくしかないと思って練習していました」
-練習仲間は?
「バンクに集まって皆で(練習)したりとか。デビューの1、2か月前に、師匠(下川健治)から話してもらって、小倉さんとか室井さんの練習グループに混ぜてもらうようになった感じでした。基本的にバンクで、街道練習もしたりしていました」
-そこから今までを振り返って、順調ですか?
「自分としては、ここまでやれる自信はなかったです。学校の評価も反映されるので、周りの評価も低かったですし。自分がどこまでやれるかわからなくて不安はあったんですけど、その割には、順調に来られているなと思います」
-競技は苦手だったそうですが、競輪の適性があったんですね。
「どうなんですかね。でも、競技のケイリンと漢字の競輪は違うので、こっち(競輪)の方が合っているのかなと思います」
-今までの中でよかったと思うレースは?
「あんまり納得したレースはないんですよ。特別競輪を獲ったら納得するのかもしれないですけど、今のところはベストレースというのはないですね。誰が見てもすごかったって言われるような、圧倒的な力でタイトルを獲れたらいいなと思います。最近は自在の選手が活躍しているので、そこが自分の足りないところとわかっているんですけど、そこを覚えつつも、自力選手なので自力を磨いていている途中ですね」
-最近は中国四国の若い選手も増えてきて、原田さんは中四国の中核になると思いますが。
「若手が増えるのは活気づいていいことだと思います。若手が出てきた方が層も厚くなるし、それはすごく嬉しいことですね。自分も負けず嫌いなところがあるので(笑)、刺激し合えています。年齢関係なく吸収し合えるところもありますし、後輩だから(行けとか)っていうのは、スタイル的にも好きじゃないので。一緒の開催に行って、アドバイスを求められたら話します。自分からアドバイスは、あんまりしないですね。まぁ、たまにあるくらいです(笑)。僕ばっかりじゃなく色んな人を見て育ってほしいです」
-後輩に見せたいところは?
「行き所とか、そういうところは流れをうまく使って行っているつもりなので、そういうところですかね。流れを殺して行っても苦しくなるだけなので、そういうところを見てほしいです。その方がレース自体も楽しくなると思います」
-原田選手にとって楽しく走れることは大事?
「楽しみたいっていう願望ですかね(笑)。基本は厳しいですけど」
-ウィナーズカップの初日は3番手を固められましたね。
「(才迫)開が『前をいきたいです』って言ってきて、(小川)真太郎はこれからの若手の代表になってくるので、2人で話して決めろって言ったんです。僕はどっちにしろ固めるけんって言って。それで、真太郎が『勉強したい』ということになって、開が前いきたいって言ったので、(自分が)3番手になりました」
-2日目の渡部哲男さんとのワンツーは?
「初日は何も出来なかった悔しさもあったので、もう出し切ることに集中していました」
-準決勝の300勝は?
「あれだけ真太郎が2周前から行ってくれたので、その気持ちに応えないといけないなっていう気持ちになりました。自分的には心苦しい気持ちもあったんですけど、行かせてもらいました」
-300勝は通過点だとは思いますが、感想は?
「だいたい自分の勝利数はわかっていたんですけど、そんなに騒ぐほどのことかな?みたいな(笑)。なんか自分以上に周りが騒いでいた感じがしました(笑)。でも、これだけ1着で貢献できているのは嬉しいですね」
-自信のなかった学校時代から比べて、10年以内に300勝はすごいことだと思います。
「出来過ぎだと思うし、競輪学校の先生たちもびっくりしているらしいです(笑)。学校の時は光ったものもなかったし、平凡でしたからね」
-でも、それは頑張れば変われるという希望を与えてくれますよね。
「今のトップ選手の競輪学校時代の成績とかあるらしいんですけど、僕がぶっちぎって後ろの方らしいので、だから、皆に夢を与えてるって言われます(笑)」
-目標は?
「300勝という区切りも達成して、1着を取ることも大切なんですけど、前回のウィナーズカップで(GIIだが)初めて特別の決勝で3着に入ることができたので、それ以上を目指していきたいし、目指せるトレーニングをしたいです!」
-中国四国の若手も多く出てきて、さらに近くなったのでは?
「そうですね。人数が多い方が有利だと思うし、自分だけじゃなく、同地区の他の選手にも有利になっていくと思います」
-まずはエースの原田選手が
「そうですね、獲りたいですね(笑)」
-原田選手にとって競輪とは?
「好きで始めているので自分にとっていい職業というか、競輪は性格も出てきますし、戦法も違うし、他のスポーツと違うと思います。もうこれしかないと思って、腹をくくって競輪選手になったので、これ以外の道はもう想像したくないですね(笑)」
-ファンにメッセージをどうぞ。
「ここまで来られたのは、徳島という環境が育ててくれたと思います。300勝も達成できたし、これからも1着を目指しますので、どうか車券を買ってください。応援よろしくお願いします!」
原田研太朗 (はらだ・けんたろう)
1990年9月16日生まれ。身長164㎝、体重69.3kg。
●小松島名物じゃこ天や竹ちくわは食べますか?
「たまに食べますね。僕は小松島出身じゃないので、うちの実家の方では小松島みたいに大々的に売ってる店もなくて、そんなに食べてなかったんです。競輪場で出てくる時に食べますね」