インタビュー

ハイスピードの捲りで存在感を放っている山中秀将選手。彼がどんな風に選手になり、どうやって強くなってきたのか。しっかりと考えて自ら進んできた道、そして、どこを目標に進んでいくのだろうか。
GIの決勝にいて当たり前と思われる選手になりたいです
-まず選手になったきっかけを教えてください。
「父親が冗談半分、いえ8割9割くらい冗談だったと思うんですけど、僕が高校3年の時に進路を決めかねていたら『競輪選手になってみたら?』って言ったのが、今思えばきっかけだったかなと思います。父は冗談で言っていたと思うんですけど、僕は本気にして『やってみようかな』って思ったんです」
-競輪学校には適性で受けたんですか?
「いえ、技能です」
-思いたってから自転車を始めたんですね。

山中秀将 千葉・95期
「すぐに始めたというよりも、何のツテもなかったので、2年くらいスポーツクラブでアルバイトをしながら、どうやって競輪選手を目指せばいいんだろうって思い、自分でトレーニングしながら考えて、それで愛好会に通ったりしていました。
 師匠(高澤淳一(千葉・51期・引退))についてからは、半年もかからずに選手になれたので順調だったと思います。
 競輪学校に入ってからは強い人もたくさんいたので、順調とは程遠かったですね。ただこなしていくだけでいっぱいというか、練習自体もそうでしたし、生活自体も何とかその日その日をクリアしていくことが精一杯で、大きな目標を思い描くまでは至っていなかったですね」
-でも、在校成績はけっこう上ですよね。
「確か、17番目くらいだったと思いますけど、器用に立ち回ってというか、そんなに積極的に動いていたわけではないので、それでたまたま成績がよかっただけで、タイム的にもそんなによかったわけではなかったし、期の中で言ったら真ん中でした」
-デビューしてからは順調でしたか?
「いやー、今でもはっきり覚えていますけど…デビュー戦自体が6着2着3着で1回も1着を取れなかったし、その辺も順調とは程遠かったと思います(苦笑)。僕の近くに目標となる選手がいなくて、師匠だったり、兄弟子だったりはいましたけど選手としては終わりの方でしたし、強い選手を目の当たりにすることもなかったので、何と言うか刺激というか自分を奮い立たせてくれるものがなかったので、だから、ただなんとなくレースに行って、レースの反省はあるけども、それを活かせないで次のレースをしていたような感じだったと思います。なので、最初の1年目というのは順調とは程遠かったですね…。能力的にもある方ではなかったし、ただ、ちょっと器用に走っていただけだったので、新人選手としてみたらあいつ何やっているんだって感じでした。今の自分が思えば、デビューしてから2、3年の自分を見たら、何やっていたんだって、もどかしいところはありますけど、ただ、その中で一段ずつ気づきながらあがってこれたことは自分に合っていたと思います。学校時代からエリートとは程遠いところにいたし、そういう強くなり方しか自分にはなかったかなと思います」
-今の強さにつながったものは何だったんですか?
「色んな選手と話をしますし、後輩から『どうやって強くなれますか?』って聞かれるんですけど、毎回言うのは、『急に強くなることはない』ということですね。成績に表れる前から自分で手応えを感じていた部分はありましたし、きっかけになったのはウエイトトレーニングをしっかり始めて、自分の身体を少しずつ大きく出来たことがよくなったきっかけだと思います」
-ウエイトを始めようと思ったのはどうしてですか?
「誰かに言われてとか、誰かの真似をしてという感覚はなかったんですけど、ただ、どのスポーツを見てもウエイトトレーニングをしないスポーツはないですし、特にこういうパワー系の種目でウエイトトレーニングをしないスポーツはないと思うので。今までその選択肢をいれてなかったのはなんでだろうって急に思い立って、そこから真剣に考えるようになりました。競輪選手は自転車に乗ることが一番って言われてきて、僕もそういう風に言われて育ちましたし、ただ少しずつ疑問になってきて、取り組んでみたというのがきっかけだったと思います」
-自転車は道具を使うスポーツだから、ウエイトトレーニングを上手くやらないと難しいと言われますが、そこはよく考えながらやったんですか?
「筋肉を大きくするトレーニングをメインで取り組んでしまうと、どうしても自転車の競技にはつながりにくくなると思いますし、動き自体も遅くなっていくし、体重が増えて動きも遅くなれば、自転車の上でも早く動けなくなるし、ただ重りが増えるだけのような感覚になると思うんですよね。今ある身体の中でより早く動かせるようになれば、自転車の上でも早く動かせるようになると僕は思ったので。まぁ簡単に言えばですけど。トレーニングの内容も筋肉を大きくするトレーニングから、早く動かす、重りは重い重量を持ったとしても、早く動かすことを意識するというか、とにかく早さを意識して練習しました」
-しっかりと考えたウエイトトレーニングが強さにつながっていったんですね。
「そうだと思います。僕の長所につながるトレーニングの仕方としてはあっていたと思います」
-特別競輪に出てから急激に階段を駆け上がっていった感じがしますね
「最初にS級にあがった時も自分ではいい勢いだったと思うんですけど、ただ、そこから一回つまづいて、何をやっても上手くいかない時代も経験しているので、よかった時と悪かった時を経験した分、特別競輪に出て安定して、でも浮かれ過ぎず、負けても凹み過ぎずっていう精神面の安定が出来るようになってきたというか、自然にそういう風に思えるようになったのは成績の安定につながっているのかなとは思います」
-今の目標は?
「もちろんタイトルを獲りたいっていう気持ちはあります。けど、その前にGIの決勝に乗り続けることがまず第一歩かなと思いますし、そこにいるのが当たり前だと思ってもらえるような選手になりたいです」
-振り返って印象に残っているレースは?
「2つあるんですけど、1つはS級にあがって最初の開催ですね。1着1着で勝ち上がり、決勝戦は3着だったんですけど、その時に番手に高木隆弘さん(神奈川・64期)、3番手に松坂英司さん(神奈川・82期)がついてくれて、印象に残っていますね。A級を走っていて自分で自信を持って走れるようになってからは後ろの人に何を言われることもなかったので、僕は自由に走らせてもらっていたんですけど、S級にあがって決勝を走る前に僕がこう走りたいって言った時に、後ろの先輩にそれはダメだって言われて、こうした方がいいって言われて、なんで自分の好きなように走らせてくれないんだろうと思って、その時は、うーん、言葉悪いけど反抗したい気持ちにもなったんですけど、ただ、そういう厳しさがあがればあがるほどあるんだなっていうのは感じましたし、そういうところで自分も主張して走っていかなければいけないんだなっていうことはすごく強く思いました。
 それともう一つのレースは昨年の競輪祭の決勝で、僕は9着に終わってしまったんですけど、僕がゴールする前に前団の人たちがゴールしていて、新田祐大さん(福島・90期)がゴールしてガッツポーズするのが見えたんです。それを後ろから見ていて、もうお客さんと同じような感覚になってしまったんですけど、新田さんがガッツポーズしている姿とスタンドのお客さんが立ち上がってワーって歓声をあげている姿にすごい熱気を感じたんです。それが今でもすごく印象に残っていて、次は僕もお客さんがすごく盛り上がっている場所でああいうレースをしたいなって、あそこに混じりたいなっていう気持ちになったんです。2度目のダービーで決勝に乗ったんですけど、また9着だったので(苦笑)、なかなかあがっていけないなって思っているんですけど。とにかくその競輪祭のビジョンが印象に残っていますね。その2つですね。…両方とも僕は勝ってないんですけど(苦笑)。でも、自分が勝ったレースとかはその時は嬉しくても、けっこうすぐに忘れちゃうんですよね」
-最後にファンにメッセージをどうぞ。
「まだまだ大きなことは言えないですけど、今の状況を少しずつ積み上げていって、山中は決勝にいて当たり前という風に思ってもらって、なおかつ、その上でいい結果を残せるようにこれからも頑張っていきたいです!」
山中秀将(やまなか・ひでたけ)
1986年5月19日生まれ。身長175cm 体重71kg
趣味は?
「将棋、ゴルフ、あと選手仲間でやっているゲームははまってやっています。ちょっと時間が足らないくらい(笑)」
考える系の趣味が多いようです。
「そうかもしれないですね。もともとそういうのは得意じゃなかったんですけど。ゴルフも始める前は合ってないんじゃないかと思っていたんです。案の定、始めてみたら性格的には合ってなかったんですけど、やっていく内に、ゴルフってすごく自分をコントロールしていかなきゃいけないスポーツなので、競輪につながるなって思いましたし、選手としてやっているからにはどこかつなげたがっちゃうんですよね。僕だけじゃなく他の人も一緒だと思うんですけど、だから、ゴルフも精神面の統一につながるし、将棋も相手の先を読むっていうのは競輪の展開を読む上で相手があることなので、活きるのかなとは思っています。どんなことを趣味にしていても、楽しんで、本気でやれば競輪にもつながるし、いい結果になるんじゃないかなと思います」