1年ちょっと前まではこんなに中国・四国勢に若手自力選手がたくさん出てくるなんて誰も想像していなかったのではないだろうか。太田竜馬選手、小川真太郎選手、清水裕友選手、松本貴治選手…などなど、GIでは他地区に引けを取らない強力なメンバー。そして、その中でしっかりと調子をあげているのが渡部哲男選手だ。
学校時代、デビュー当時の苦しかった思い出、そして、今の競輪に臨む姿勢を語ってもらった。
思ってもみない展開になって、びっくりしています! でも、できたらあと5年早く出てきてほしかったですね(笑)
-渡部哲男選手が、競輪選手を目指したのはどうしてですか?
「もともと自転車が好きだったので、好きなもので稼げるからですね」
-プロフィールを見ると国体も出てらっしゃいますが、自転車競技はいつから?
「高校1年から始めました。最初の頃は中長距離系からだったと思いますが、そのうちに競輪選手になりたいという目標になって、スプリントや1000mタイムトライアルとかにした方がいいのかなって思って、1000mタイムトライアルに転向しました」
-きっかけは?
「あの頃はそんなに自分も詳しくはなかったですけど、中学の時はマウンテンバイクが好きで、大会に出たりもしていたんです。でも、マウンテンバイクやロードのプロになってもそんなに収入はないって聞いていたので、それならば同じ自転車の競輪の方がいいかなと、その当時はそんな浅はかな考えでなろうと思ったんです」
-競輪学校を目指したのは?
「なかなかタイムも出なかったし、タイムが出るようになったのは本当に試験の直前くらいだったので、自分はダメかなと思っていました。でも、ずっと練習していたら夏くらいにタイムがポンって出始めたので、もしかしたら入れるかもしれないっていう感じになりました。でも、1回目は試験当日のコンディションが悪く、タイムが出なくてダメでした。あの当時は半年に1回試験があったので、半年後2回目の試験で受かりました。同級生が先に合格して置いて行かれるような気持ちや悔しい気持ちで、なかなか立て直せずにいたけど、色んな人に助けてもらいながら2回目の試験で入りました」
-学校時代は?
「苦しい思い出しかないですね。結果として在校1位で帰ってきましたけど、うーん、他の70人に大変失礼な言い方になるかもしれないけど、1位というのが重くて…、取らない方がよかったと思いました。注目されて、プレッシャーがありましたね…。それもあり今思うといい思い出がないっていう感じなんです。でも、1年間、苦楽を共にした仲間たちとは、知らない間柄だったのに絆が出来て、競輪場で会って、レースが終わればご飯を食べに行く仲になったので、他の仕事にはないものだし、唯一いい部分でもありますね」
-在校1位は重かったですか。
「そうですね、相当言われたので『在校1位でこの強さか』って(苦笑)。今で言う山崎賢人とか南潤とかみたいにバーッって上にいくような強さがあれば何も問題ないと思いますけど、僕はけっこう足踏みしたので…。『84期はこんなもんか』って言われて、僕自身よりも84期全体をそういう目で見られたりとかするのが辛くて…。同期には『1位ってすごいことだろ』って言われたりもしますし、『お前がGIを獲るまで俺らは応援してるぞ』って同期に応援してもらえるのは今はすごい嬉しいですけど当時は、ふてくされたような気持ちがありました。今はもう思い出話になりましたけど、あの時は苦い思い出ですね」
-吉岡稔真氏の不動會に入ったきっかけは?
「S級にあがって足踏みしていた部分があったからでした。こんなことを言っては失礼ですけど、その時は愛媛にGIで活躍している自力選手がいなかったので、僕も何をしていいかわからない、何をすることが効率のいいトレーニングで、何をすることがGIに出る、あるいは優勝出来る道なのかがわからず、吉岡家の3男の邦彦さんと僕が同期だったので、そういう繋がりを活かすべきじゃないかなと思って、話をしてもらいました。空いている時に練習やフレームを見てもらえませんかって不動會にお世話になったんです。レースに対する心構えとかそういうものも全く僕とは違っていましたし、22歳くらいだったので、何もわからなかったので、少しずつ教えてもらいました。弱点とかも自分で気づいていたけど受け入れられなかった部分が、吉岡(稔真)さんに言われると説得力もあったので、取り入れました。成績を崩しても、練習中に落ちることはあるので、焦らずにやりました。それで今の自分がいますね」
-印象に残っているレースは?
「小松島記念ですね!2008年のSSの時。僕は、SSの時ずっと成績が悪くて、『赤パン履くな』みたいなことを言われて…。初めてのSSだったから特に注目度も高かったと思うし、18人皆がプレッシャーを感じながら走っていて、結果を残せてなかったんですよ。それが、小松島記念の前から少しずつ噛み合ってきていて、優勝することが出来た時は感無量というか辛かったこともあったから嬉しかったですね」
-追い詰められていたんですね。
「もう赤いパンツを脱ぎたいくらいでした…。焦るからダメになって、もう悪循環でしたね。(ムリに)練習するからバランスも崩して、腰痛も出るし…そういうことの繰り返しでしたね」
-今はどんな心境で走っていますか?
「今はもう気負い過ぎず、変に緊張することもなく、集中力を高めて臨んでいます。前はFIだったら3日間ともピリピリしたような感じがあったんですけども、そういうことも意図的にやめて、なるべく笑おうと思っています。レースのことは考えない、アップが始まる頃からレースのことを考えて、だらだら考えるのではなく集中してレースのことを考えよう、それ以外は自分を解放したら上手くいっていると思います」
-中四国勢の若手がたくさん出てきて、今、中国四国勢がすごく勢いありますよね。
「思ってもみない展開になって、びっくりしています! 僕から下がなかなか出てきてない状態だったので。僕も追い込みに変わってから、どこを回ろうかなって考えるような、回るとこないなっていう状態が何年も続いていたのに、ここにきてババッと出てきましたね。気持ちとしてはもうあと5年くらい早く出てきてほしかったと思っているんですけど(笑)。そうしたら、僕も早く自力をやめて追い込みに変われたかなと思っていますけど。四国はこのまま衰退していくんだろうなって思っていたし、ありがたい話ですよね」
-愛媛も強い選手が出てきましたね。
「(松本)貴治とか出てきて、A級にも強いのがいるのですぐにS級にあがってきてくれると思うんです。ただ、僕も40歳も近く年齢も年齢になってきたので、まだまだ頑張りたい気持ちはもちろんあるんですけど、なかなか気持ちと肉体が噛み合わない日も多いです。でも、頑張ってくれる後輩に形として恩返ししたい気持ちもありますし、しっかり追走できるように普段から準備しておきたいと思います」
-今の戦法やラインの考え方は?
「基本的に言えば、地区的に(自力選手が)いれば任せますし、他地区でも魅力のある選手だなと思えばつかせてもらう気持ちではいます」
-ラインの中の位置については?
「それは、その時の点数とか格とかそういうので、自分が必ずしも番手にいきたいと思っていないです。この人の方がラインを活かせるだろうなって思ったら僕は3番手でもいいという気持ちでいます」
-最後にファンの方にメッセージをどうぞ。
「これからもご声援よろしく願いします!!」