インタビュー

 親子レーサー・郡司盛夫&浩平選手が今月の師匠の目に登場です。盛夫選手はかつてビッグレースの常連としてS級戦線で息の長い活躍を見せて、53歳の現在でも現役でハッスルプレーを見せている大ベテラン。一方、息子の浩平選手は99期として2011年デビューした23歳の新鋭。昨年はS級初優勝にヤンググランプリ出場と充実し、来期は初のS級1班への昇格を決めるなど南関地区期待の大砲として注目を集めています。
黙々と努力できる、そこが息子の長所だと思いますね(盛夫)

郡司盛夫選手
─浩平選手が「競輪選手になりたい」という思いを伝えてきたのは、いつでしたか?
「高校3年生4月、進路の紙を持ってきたときですね。『どうするんだ』と聞いた時に、警察官か自転車に乗せてくれるなら自転車に乗ってみたいと。『乗るのはいいが、3カ月間やってみて素質が無かったらすぐ辞めさせるからね』と言いました。そのときはまだ野球をやっていて、そのあとの春の大会で負けたんですけど、俺のところには挨拶に来なかったんですよ。そうしたら『悔しくて、自転車にまだ乗れない』と。それならまずは夏が終わるまでは球に打ち込んで、夏が終わったら、次の日からやると約束しました。それで夏はベスト8で終わって、夜に話をして、他の弟子と同様に師弟関係の一筆を書かせました。次の日からはマンツーマンで練習して、1日200㎞くらい乗せていました。練習についてこられるかと思っていたけど、野球を18年やってきて、体力は付いていたので感心はしましたね。10月の試験では二次試験で落ちたけど、そのときは年2回の募集だったから、僕の方も何とかなるかなという形でした。もし年一回だったら、考えていたかもしれないですね」
─息子が父親と同じ「競輪選手」を職業として選んだことへの心境はいかがでしたか。
「ほかの仕事に就いたら、何も教えられないですし、男の子だと会話も無くなるだけかなと思っていたけど、同じ職業で、教えられることはまだまだあるので、その辺は嬉しかったですね」
─今も練習はご一緒に?
「デビューして1年くらいは付きっ切りでしたが、今はそこまで練習で接していないで、自分でメニューを組んでやっていますね」
─その浩平選手は、南関の有望株として順調な成長を遂げていますが、師匠から見た評価は?
「ここまで段階的にいろいろケガもあったんですけど、ケガをしながらですが、順調に来ているのかなとは思います。昨年はヤンググランプリに出て、その上にはグランプリなどいろいろありますけど、ああいったレースの雰囲気を経験できたことは収穫があったかなと思います」
─浩平選手の長所はどこだと思いますか?
「黙っていても、できるところかなと。野球も好きだけど、自転車も苦しいなりに好きになっていると思うんです。練習も嫌なこともウエイトもできているし、もっと喋ればいいんだろうけど(笑)、黙々とやる。努力できる、そういうタイプだと思います。でも一緒に住んでいるから、悪いところも一杯見えちゃいますけどね(笑)」
─今後はどんな選手に成長していってほしいですか?
「本当に今努力しないで、いつするの?というところですから。俺は追い込みでケガも多かったので、息子には出来るところまでは先行基本にやってもらわないと。頑張って、良い舞台で活躍してもらいたいです。自分は何も獲れなくて、何もできなかったけど、S級で長いこといることができました。それは、この歳になって初めて言えること。確かに今は上昇気流だけど、まだまだ安定した一年を通すことは、できていないので、もっと上に上がっていってほしいです。バーッて上がって、パッと落ちていった選手をいくらでも見てきたからね。そういう風にはならないで、コツコツ自分の位置を築いて、納得した競輪人生を送らせたいと思います」
─夢も託しているんですね。
「僕は特別競輪には出ていたけど、大した成績はおさめられず、それでも準決勝に乗ったときは、雰囲気が違うし、『決勝に乗ったらもっと違うだろうな』と思っていました。そうした自分の後悔を弟子にはさせたくないという思いもあります。とにかく自分が熱くなれるレースに数多く出られるようになってもらいたいです。ただレースに出ているだけではなく、最高の舞台に出る、それが一番ですよ。家族も浩平が出ているレースは、正座して観ている感じですからね(笑)。親父もまだ同居していますが、浩平の活躍が生きがいなんですよ。浩平の事が載っている新聞の切り抜きをしてたりと。もし浩平がダラダラしていたら、その生きがいもなくなってしまいますから」
─それでは、親子レーサーとして注目しているファンも多いと思いますので、最後にメッセージをお願いします。
「僕の方も、残り少ない競輪人生だと思いますが、何とかひとつでも良い着を取れるように精一杯頑張りたいです。それ以上に、弟子、息子の応援もよろしくお願いします」
師弟の誓約書を書かされたことを覚えていますね(浩平)

郡司浩平選手
─野球をしていたとのことですが、競輪選手を目指したきっかけは?
「小さいころから親の背中を見て育ったものですから。それまではずっと野球をやっていたんですけど、それを辞めて何をしようと考えたときに、一番身近なところで、親の姿があって。(父の)レースは時間があるときに、応援して観ていました。素直に格好良いな、面白そうだなと思っていましたね。そういう競輪との接点があったからこそだと思います。高校生のときに興味を示して、(父に)弟子入りを志願しました」
─最初に打ち明けたときの、盛夫選手の反応はいかがでしたか?
「そのときから、父の目ではなくなって師匠の目に変わったんです。そして『やるからには、親子いうよりも師弟として、厳しく接していくぞ』と誓約書を書かされたことも覚えていますね。紙に『師匠として接していきます』とちゃんと書かされて。そこから師弟関係になりました」
─師弟関係の前に、親子関係。やりにくさはありませんでしたか?
「もちろん、やりにくさもありましたが、その分、環境の良さがありました。メリットも多くあったので、楽はできたかなと思います。今も同居していて、帰ったらいるので(笑)、あのレースはああだったな、こうしたほうが良かったなとかアドバイスをくれますね」
─弟子の浩平選手から見た師匠の印象は?
「選手になって、偉大さ、すごさが分かりました。それまでは、レース以外のときは、朝は(練習で)いないですが、僕が学校から帰ってきたらもう家にいて、DVD見ていたりして『何やってんだろうなぁ』と思っていたんです(笑)。でも今、選手になってみると、1着こそ少なかったですけど(笑)、上のビッグレースでずっと走っていたことは偉大ですし、尊敬しますね」
─浩平選手も、昨年あたりから徐々にビッグレースに出場するようになりましたね。
「デビューして4年目ですが、本当にすごくびっくりするくらい順調にきていますね。ビッグにも少しですが出られるようになったので、すごく手ごたえを感じているんです。でも、まだ師匠を超える、そんな領域には達していません。親父には、『俺を超えるまでは、アドバイスやメニューをし続けるからな!』と言われているので(笑)、早く親父を超えて認めさせて自由になりたいです(笑)」
─来期は初のS級1班に昇格します。
「上に上がってみて、上には上がいると痛感したので、もう一レベル上げていかないと。踏みとどまっている焦りもありますし、同期や同級生、同県の年が近い若手にはもちろん仲間としての意識もありますが、ライバルでもあるので、負けたくない気持ちも大きいです。同期の活躍を見ても、まだまだ足りないなと感じさせられますね。一歩ずつですけど進んで、登っていければいいかなと思っています」
─5月末には地元・川崎記念も控えています。意気込みは?
「あっせんをいただいたからには、地元というのもありますし、すごく気持ち的に高ぶるところがありますね。まだ記念決勝も乗ったことがないので、それは今年の目標としても入っていますし、地元で乗りたい気持ちは強いです。桜花賞(川崎記念)は毎回メンバーがいいので、頑張らないと。魅せるレースをして、神奈川の郡司浩平はこういう選手なんだというアピールの場だと思っています」
─最後にメッセージをお願いします。
「これからも、先行と捲り、自力でどんどん積極的なレースで神奈川、南関を引っ張っていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします!」