今月の師匠の目では近藤幸徳選手(52期)&龍徳選手(101期)の親子レーサーを特集します。今年51歳を迎えた大ベテランの幸徳選手は現役生活30年を超えても元気いっぱい。長男の良太選手に続いて、3男の龍徳選手も12年にデビュー。龍徳選手は年末のヤンググランプリへの出場を決めており、今後ますます「近藤ファミリー」の注目度はアップしていくことでしょう。
「龍徳のヤンググランプリ出場は、親として素直に嬉しいです」(幸徳)
-良太選手(93期)も自転車競技をされてプロデビューした「競輪一家」だとは思いますが、やはり龍徳選手もその影響で始められたのですか?
「周りの環境もそうですが、兄が先にプロになっていたのもあって、中学のときから兄と同じ自転車部のある高校に行くと本人は決めていましたね。小さいころから『僕は大きくなったら選手になる』と口にしていましたし。私の父も選手で、私も自然に選手になろうと思ったように、龍徳もそういう風に言ってくれて、やっぱり父のやっていることを見ているんだなと思いましたね」
-でもプロになるということは簡単なことではないですよね。
「何人もプロになれなかったアマチュアの子も見てきましたし、いくら高校のときに自転車部にいても選手になれない子も多いので、その時点では父親としての心配の方が大きかったです。でも高校のときに、インターハイやジュニア世界選手権に参加させてもらって、タイムも合格基準に達していたので、自然と学校には受かるだろうなと」
-龍徳選手のデビュー戦は、むしろ幸徳選手がかなり緊張していたと聞きましたが。
「そうなんですよ。現場の一宮競輪場へ見に行ったんですけど、自分が走るときとは違った緊張感がありましたね。どんなレースをするんだろうとか、今までやってきたことがレースで出せるのかとか。良太のときも一人目だから同じような緊張がありましたけど、龍徳は卒業記念で決勝に乗って周囲の期待も大きい中でのプロデビューだったので、プレッシャーに押しつぶされずに走れるのかなという3日間でした。自分が競走に行くときは違う緊張がありますが、龍徳と一緒の開催だったり、レースを見ていたりすると体重が落ちちゃうんですよ(笑)。4日間なり5日間、体も頭もソワソワしてしまって」
-12年にデビューされた龍徳選手ですが、ここまでの走りをどう評価していますか?
「若い子が自力一本で上がっていくところを、デビュー戦から自在な走りをして上がっていたので、本当の力をつけて上がってくれたのだろうかという心配はありますが、本人の考えがあっての走りだし、まずはS級に上がったので、プロとして見たら、まずは大丈夫じゃないかなと思っています。龍徳の考えで、どんな展開でもどんなコースでも1着を目指すことに重きを置いているので、その姿勢は任せています」
-そして今年、ヤンググランプリという大舞台への出場も決めました。
「そうですね。その前に、ルーキーチャンピオンレースは権利を取ったのに、あっせん停止で出られなかったので、これが本人にとって大きなレースは初出場ですし、本人がやってきた練習、レースの積み重ねで今回の岸和田に出られるので、そこは親として素直に頑張ってくれたなと喜んでおります。当たり前ですが、赤子のときから見ていて、そして選手になって、まずは若手のヤンググランプリに出られる。やっぱり自分のやってきたこと、本人のやってきたことは間違っていなかったんだなと思いますね」
-今後はどういった選手に育っていってほしいとお考えですか?
「競輪はお客さんが車券を買ってくれて初めて成り立つ仕事ですから、お客さんが龍徳に何を期待して、どんなレースを見たがっているのか。前の先行選手、龍徳にマークする選手がどういう気持ちで走っているのか、1レース1レースで考えて、決して自分本位にはならずに走ってほしいですね。自分が今そこにいるのも中部ラインがあるからこそ、ですから」
「競輪選手として生きている、そのすべてが好きなんです」
-幸徳選手のお話もお願いします。ここまでデビューしてから競輪人生は30年を超えました。
「何歳までやるかという目標を持って20歳のときにデビューしたわけではないけど、いろんなことがありましたね。1レース1レースの積み重ねで32年目に入りました。でも、若手からは『近藤さんは50歳を越えて頑張っていますね』と言われますが、本人はそういう意識はないですよ。ただ本当に言えるのは、競輪選手として生きている、そのすべてが好きなんです。1レースも疎かにできないし、練習、体調管理も怠けられないけど、それも好きだからに尽きると思います」
-先日の佐世保(A級1・2班戦)では久々に決勝に進出して健在ぶりをアピールしていましたね。
「ああいうことがあると、余計にまだまだいけると思いますね(笑)。佐世保に行く前の練習でも龍徳のダッシュに付いていけたんです。『でも実戦にはなかなか結びつかないんだよね』と言ったら、龍徳がちょっと自転車をいじってくれて、『実戦に1回これで行ってみて』と。普通は親が子のセッティングをするんですけど、うちは龍徳が今の時代の感性で触ってくれるので新しい発見ですよね。そうしたことが、噛み合った感じでした。だから佐世保みたいに決勝に乗れると、若いときの何倍も嬉しいんです。みんなが練習をつけてくれるし、年下のアドバイスも全部受け入れているので、練習仲間のおかげですね」
-幸徳選手が培ってきたキャリアと、龍徳選手の感性が親子でうまくミックスされているんですね。
「僕が何年も走っていないと分からないことを龍徳に伝えることもあるし、龍徳は今S級で走っているので、こうなんだよと教えてくれる。足りない部分をお互い補っていると思います」
-これからも良太選手も含めた近藤ファミリーが、競輪界を賑わせてくれそうですね。
「自分も含めて、子どもたちには、自分たちを買ってくれるお客さんがいるのだから、そのお客さんたちを最後までがっかりさせることなく、近藤から買って良かったと思われるようにレースしなさいと常に言ってあります。これからもそういう目で近藤ファミリーを応援していただければと思います」
「父の格好良い姿を見てきた、それが一番強かったです」(龍徳)
-小さいころから競輪選手を目指していたとのことですが?
「中学3年のときに兄(良太)が自転車競技をやっていて、3年生のときに東海大会を優勝したと聞いたんです。進路で悩むころでしたが、中学生ながら東海でナンバーワンになり、全国大会出るのはすごいなと思って、自分もやろうかなと思って決めましたね。もちろん父のことも見ていたので、競輪は誰よりも身近にあったとは思います。体が小さかったので競輪とボートレースで迷った時期もあって、ボートも試験を受けたけどね(笑)。でも、ずっと父の姿を見てきた、それが一番強かったです。格好良かったですし、小学生くらいのときから、外に友達と遊びに行っても、父のレースの時間になったら帰ってきて家でレースを見る、というのをやっていましたから」
-師匠は幸徳選手ではなく、鰐渕正利選手(65期)。この経緯は?
「僕は聞いていないですが、父が僕の高校時代、競輪学校時代を見てきて、師匠のような選手になってほしいということだと思うんです。父は先行で30年戦ってきた選手で、その難しさや厳しさを誰よりも知っていて、小さいころから鰐渕さんは愛知、いや日本一のテクニックを持ったマーク屋だと言っていたのを聞いていました。だから師匠においてくれたというのは、僕の性格を見て、鰐渕選手のような選手になってほしいという思いがあってのことだと思っています」
-12年にデビューされて、今年1月にS級に初昇級。ここまでのプロ生活はいかがですか?
「選手としての成績として見たら、出来すぎですね。強くもないし、脚力もそんなにないので、もっと時間がかかると思っていました。練習していても、弱いなぁと思うんですよ。でも競走になると、練習以上とまではいきませんが力が出ています。たぶんプロ向きなんじゃないかなと思いますね。高校時代からそうだったんですよ。練習はそんなに強くないのに、インターハイで優勝したり、全国大会の選抜で優勝しちゃったりと。練習が弱いことを知っている先輩たちからは『賞金というニンジンがあるから』と言われるけどね(笑)」
-年末にはヤンググランプリが控えています。
「ヤンググランプリは目標にあったので、頑張るだけです。ルーキーチャンピオンレースは出られなくて悔しいところがあったし、デビューしたころ自分はヤンググランプリに出られるような選手だとは全く思っていなかったので本当に楽しみですね」
-今後の競走スタイルは?
「こうしたいというより、自分がそのとき一番勝てる戦法を取っているつもりです。A級のときは先行していましたけど、それはS級のために脚をつけるとかではなくて、その時に一番勝てる方法を取っていました。S級では初手から競りにいったこともありますが、それも1着を取れる最善の方法だと思ったからですね」
-龍徳選手のレースは何をするんだろうと見ている方もワクワクします。
「ファンの皆さんにも、選手にもそう言われますね。『お前のレースが一番面白い』と。それが一番嬉しいです。でも、もっと強気にいきたいんです。先行選手だったらバック本数があると、脅威がありますよね。でも自分はバック本数では魅せられないので、こいつと一緒だと嫌だなと思うレース、選手から嫌がられるレースをしていこうと。失礼かもしれないけど、何するか分からないというのは自分の中では褒め言葉です」
-そして愛知といえば、上には深谷知広選手(96期)がいます。
「それが僕のモチベーションだと思っています。深谷さんの後ろをずっと回るためには、愛知県ナンバーワンのマーカーにならないといけないし、愛知県どころか中部一にならないといけないですよね。でも日本一に一番近い場所、それが深谷さんの後ろだと思っています」
「自分のスタイルを変えずに、このままどこまでいけるか」
-30年以上の現役生活を続ける父・幸徳選手はどんな存在ですか?
「『父を超えろ』とデビュー前はみんなに言われていましたが、すごすぎです。成績もすごいけど、競走に行ったときに選手から聞く父の評価がすごい。父としても選手としても、本当にすごいと思います。でも、最近は朝、鰐渕さんと3人で練習するんですけど、(情報を)仕入れてきて、セッティングを変えてみたりいろいろやって、僕の方が父にアドバイスしているくらいですけどね(笑)」
-最後に読者にメッセージをお願いします。
「9人いても僕だけ目立つような、何をするのかとワクワクさせて、『近藤がどこどこで走っているぞ』と言われるような存在になりたいですね。走るステージを上げても、自分のスタイルを変えずに、このままどこまでいけるか、自分でも楽しみだし、ファンの方にもそこを楽しみにしてほしいと思います」