今回の師匠の目は、埼玉の鉄人・伊藤公人選手(40期)と息子の伊藤慶太郎選手(107期)が登場です。公人選手が慶太郎選手が選手になろうと聞いた時のエピソードや、7月にデビューを控えた慶太郎選手の気持ち、そして練習仲間への気持ちなどを話してもらいました。
「自分を貫いて、デカい選手になってもらいたいですね」(伊藤公人)
-まず慶太郎選手から選手になりたいと初めて聞いた時はどう思いましたか?
「反対って言う人もいるみたいだけど、正直、自分の場合は嬉しかったですね。自分は競輪を始めてから色んなことを教わったし、それはどんな職業も同じかもしれないけども、自分は競輪に色んなことを教わってきたから、倅にも体験してもらいたいなっていう思いもあったので、目指すって聞いた時には、大変な仕事だけども、それは嬉しかったですね」
-聞かれたのはいつぐらいでしたか?
「高校の進路相談の時でしたね。そこで学校の先生から聞きました(笑)。直接聞いたのも、その進路相談中に先生に聞いて、本人に『そうなのか』って確かめたのが初めてでした。小さい頃は『選手になるか』って冗談半分で言っていたけど、物心ついてからは本人の口からは聞いてなかったですね」
-それは驚かれたのでは?
「びっくりしましたね。1回目は『よした方がいいんじゃないのか』って言ったんだけど、その時は(慶太郎は)返事しなかったんですよね。それで、『おっ、やる気なんだな』と思って、それで色々と考えました。(中村)淳とか若い選手もたくさん見てきたから、それで、(練習仲間の)若い選手に『これから慶太郎を頼む』って言って。それから高校時代は野球をやっていたんですけど、野球の夏の大会が終わった後は、学校が終わった後は若いのに迎えに行ってもらって、そのまま練習でした。それを毎日繰り返していましたね」
-練習の感じを見ていた感想はどうでしたか?
「自分のアマチュアの時のことをだぶらせながら、色々なことを一遍に言ったってわからないから、とりあえず徹底的に練習するっていうことをやらせました。今まで1年から3年まで先輩後輩、あとは監督、コーチくらいのそういう感覚しかなかったから、全然知らない世界に入ってきて、周りは先輩で『はい』しかないからね。そういう意味では野球をしていて、ちゃんとしていたんだろうけども、なんとかついていっていました。途中は『もう辞めろ』くらいのこと何回か言ったけどね、でも、なんとか一生懸命ついてきましたね」
-競輪学校入学は出来そうだっていう雰囲気はあったんですか?
「いや、出来そうだなって言うよりも、何とかさせるしかないって、試行錯誤しながらでしたね。ましてや、慶太郎の時は35人っていう狭き門だったから、自分が入った時は100人だったから、当時も大変は大変だけど、1000mTTは6秒を切らなきゃいけないとか、最低でも10秒を切らなくちゃいけないとか、色んなことを考えたら、どうしたらいいのかって思いました。自分だってそんなタイム出したことないもの(笑)。だから、他の若い子に聞きながら、色んなことを試しましたよ」
-展示訓練や卒業記念レースを実際に見て、慶太郎選手の走りはどうでしたか?
「よく言えば素直、悪く言えば…もうちょっと自分で色んなことを考えながらやってもらいたいっていうのがありますね。まだ1個、2個しか考えられないから、これだからこうだろうとか、こうなったらこれだろうとか、そこまでしか考えられない段階なので、もうちょっと考えて欲しいところです。でも、そこは経験を積んでから自然にわかってくることだと思うし、そういう意味では学校の授業とかわらないかなと思って見ていました。でも、これからやっていくことは楽しみがあるから。今のところは一生懸命やっていますね」
-どんなことをアドバイスしているのでしょうか?
「フォームにしても、考えにしても、自転車にしても良くない方に流れていっちゃうから、そういうところでポンポンって要所、要所で言います。それは現役の選手に対しても一緒ですね。見ていて、段々良くなってくると忘れがち、おざなりになっちゃうところを『今、こういう風に見ただろ』『こういう風に思っただろ』とか、いつもは言わないけど、たまに言った時に気づいてもらえるからいいんだけど、そういうタイミングで言いますね」
-それが重要ですよね。
「そういうことを忘れるとキリがないですからね。どんどん強くなったら、強くなったで、次の問題が出てくるものですから。大概の人はすぐに結果を求めようとするので、それはやっぱり違いますよね。そういう過程が面白いし、振り返った時に財産になるものですからね」
-そうですね。今は一緒に練習しているのでしょうか?
「もちろん、やってましたよ。最初のうちは物足りない部分がすごくあったけど、最近は踏めてきているみたいで。本人も配分が決まってから、かなり緊張したみたいです(笑)。自分が選手になったばかりの時を思い出しますよね。やはりデビュー戦は独特のものがありますからね」
-やはり緊張しますよね
「そうですね、するなっていう方がムリですよ。一生懸命やっているから、緊張するんであって、周りの先輩たちもそれに対して一生懸命やろうとするから、さらに応えようとするから緊張するんだけど、それは仕方ないですよ」
-そうですよね。また、郡司盛夫選手に親子選手について話を聞きに行ったというのは本当ですか?
「郡司や、今辞めちゃったけど東(晃)に、『あれだけ倅が良い競走をしていると、親父としたらいいな』って言っていたんですけどね。郡司なんかは『最近は俺の言うこときかない』とかね、俺も『それはしょうがねぇよ』って(笑)。それは先輩がいるんだからね、親父うるせぇなってなるのは仕方ないです。だけど、郡司の息子(郡司浩平)と開催が一緒になった時はいつも挨拶してくれて、嬉しいですよね。やっぱり彼の競走を今も見るもの。良い競走しているなって思います。そんなに身体が大きいわけでもないのに、このまま順調に色んなことを吸収して成長していけば良い選手になるなって、そういう楽しみはありますね。東のうちもそうだけど。その頃に、うちの倅は競輪学校に入っていた時だったから、たまに郡司や東に会った時に、いっつも倅のことを褒めるんだけどね、親父連中のことはあれだけど、まぁそれは横に置いておいて、うらやましいなっていうのはあります。親父は元気で、倅はトップクラスに近いような考えをもって会話したりね、そういうのを見ているとうらやましいなって思います」
-そういう選手になって欲しいですよね。
「それはもちろんですよ」
-慶太郎選手には、どんな選手になって欲しいですか。
「やはり強くなる選手っていうのはパターンとかレールがありますよね。ちょこちょこ目移りするような戦法でも考え方でもなくて、自分を貫くようなことをやって欲しいですね。それに対して成績が伴っていけばというかそういう風になんなきゃいけないんだけども。やはり将来的にはS1はもちろんだけど、そういう考えで一生懸命やって、今まで世話になった先輩たちに恩返し出来るようになって欲しい、それが一番ですね。親父にっていうよりも、先輩の人たちに恩返しってそういう気持ちで取り組んでくれた方が俺は一番嬉しいです」
-周りの人たちがいて自分がいるわけですからね。
「本当にそうですよ。だから、今まで色んな選手を見てきたけど、俺は人から何を言われても、自分なりに、損得を考えずにやってきて良かったなと思います。慶太郎を見ている時に、周りが俺に遠慮して慶太郎に注意を言わない時があったんですよ。そこは逆にそれを叱りました。『俺に遠慮なんてふざけるな。なんのためにお前たちを見てきたんだ。俺がお前たちにやってきたように同じようにやれ!』って言って。そういう風にやりながら、何とか学校に受かって、選手になれたから。先輩たちは食事の面でも本当によくやってくれたからね。そういう意味では、濃い付き合いは今の他のグループはないと思うよ。そういう良い経験を慶太郎はしているんだから、慶太郎は先輩のためにも、もちろん自分のためにも頑張ってもらいたい、強くなってもらいたいと思います。ただ、頑張れるだけなら誰だって出来るから、やっぱりデカい選手になってもらいたいですね」
-では、伊藤選手自身のことも教えてください。お休みが続いてますが、体調は大丈夫ですか?
「ちょっと身体が具合が悪くなっちゃって。今は平気なんだけど。でも完璧に治そうと思って、今少し休んでいます」
-多くのファンが伊藤選手の元気な姿を待っています。ですから、最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。
「引退とかも考えたんだけど、ボロボロになって、最後までやるのも魅力かなって思って、時期になってみないとわからないけども、もう少しボロボロになるまで頑張ってみようと思っています。あとは、親としても自分としても緊張するんだけど、親子ともども頑張りますので、よろしくお願いします!」
「自転車にただ乗るんじゃなく、常に考えて乗れって言われています」(伊藤慶太郎)
伊藤慶太郎
-選手になろうと思ったきっかけは何だったのですか?
「高校の進路で何になろうか悩んでいる時に、たまたま競輪のレースを見る機会がありまして、その迫力に一目惚れじゃないですけど、すごいなって思って、それで選手になろうと思いました」
-お父さんが選手ですが、それ以前はあまり見る機会はなかった?
「父が選手っていうのはわかっていたんですけども、それまで競輪に興味がなくて、見たことがなかったんです。お父さんが競輪選手だけど競輪って何だろうなって感じで、よく選手の方が家に遊びに来ていたりしていたんですけど、『お父さんはすごいんだよ』って言われても、何がすごいのかなっていう感じでした(笑)」
-その時見たレースというのは?
「父が走っているレースだったんですけど、ちょうど見る機会があって、ネットでなんですけど、それで見て、すごいなって思って、それで興味を持ち始めました」
-お父さんは違う道に進むと思っていたみたいで、びっくりしたそうですね。
「そうだと思います。全く相談していなかったので(笑)」
-でも、嬉しかったそうです。
「僕にはそういう顔は見せなかったんですけど、でも、他の選手の方からそういう話を聞いて、嬉しかったんだって思いました」
-それまで見ていたお父さんの顔と、そこからの競輪選手になると知った後の顔は、違いますか?
「やはり違いました。僕が自転車に乗る前までは、そんなに話したりしなかったんですけど、乗り始めてからは1日一緒にいるような感じなので、色んなことを教わったりだとか、自転車のことばかり話しました」
-お父さんの凄さに気づいた感じですか。
「それは思いましたね!こんなにすごかったんだって感じました」
-公人選手は、普段はどんなお父さんですか?
「なんというか、パワフルな感じですね(笑)。夜遅くまで起きていて、それで朝早くから練習に行っていたりとか、本当に1日中動きっぱなしな感じですね」
-競輪学校を卒業して、来月(7月)にデビューになりますが、今はどんな風に過ごしていますか?
「卒業したなって、でも、まだプロになったという実感はなくて…、練習はちゃんとやっているんですけど、いざ、あっせんが来ると気持ちも変わりました。先輩たちからアドバイスをもらいながら、実践的な練習もしています」
-地元ですね。緊張はしますか?
「それはしますね(苦笑)。地元ですし、デビュー戦で何もわからない状態で不安もあるし、でも走りたい気持ちもあります」
-大宮バンクはけっこう走っていますか?
「はい、500で走るのが一番イメージしやすいということで、先輩たちと練習しに行っています」
-どんな戦法で戦っていきたいと思っています?
「基本は先行で戦って、まずは上を目指して、上で通用する選手になりたいと思っています。他の選手によく言われるんですけど『すぐに追い込み屋になるのか』(公人選手の印象で)って言われるけど、全くそんなことは考えてません(笑)。先行で上のクラスで戦っていけるようになりたいと思っています!そう自分の中で決めていることなので。それと選手になったからには父を超すって決めているので、それはいつも思っています」
-お父さんからアドバイスはありますか?
「常に『自転車にただ乗るんじゃなく、常に感じろ、常に考えろ』とは、よく言われています。乗る時もどうやって乗ったら、効率よく回せるかとか常に考えろ、と言われますね」
-自転車は難しいスポーツですからね。
「そうですね、奥が深いです」
-目標を教えてください。
「そうですね、父を超すっていうことが目標なんですけど、それが並大抵のことじゃ出来ないのはわかっているので、そこは覚悟していることだし、まずは父を超すことが一番の目標です」
-現在、一緒に練習している方々は?
「栃木の中村淳さんや、埼玉の尾崎(剛)さん、安部(達也)さん、峠(祐介)さん、東京の市倉(孝良)さん、山崎(充央)さん、あとは埼玉の丸信五さんとかですね。本当によくしてもらっているので、早く恩返ししたいですね!」
-最後にファンへのメッセージをお願いします。
「自分は先行で戦おうと思っています。お客さんに喜んでいただけるレースを心がけて、車券に貢献出来るよう一戦一戦頑張っていきたいと思います」
-これからプレッシャーも大きいと思いますが、頑張ってください。
「はい、頑張ります!」
プロフィール
伊藤公人 40期 埼玉 A級3班
1957年1月1日生まれ 58歳
通算成績 1着422回 2着375回 3着296回 着外1394回
伊藤慶太郎 107期 埼玉 A級3班
1993年11月23日生まれ 21歳
練習仲間
伊藤公人(40期) 峠祐介(78期) 鈴木康雄(東京53期) 尾崎剛(79期) 丸信五(48期) 市倉孝良(東京77期) 中村淳(栃木69期) 山崎充央(東京79期) 安部達也(83期)
出場予定 大宮7月6日~8日 伊東7月16日~18日