インタビュー

鈴木誠氏引退インタビュー

2016年8月オールスター競輪一次予選
また一人ビッグネームがバンクを去った。
2015年11月に本HPでもインタビューをしていた鈴木誠氏が、股関節の痛みに引退を決意した。鈴木氏は3058走中665勝を上げ、GI競輪タイトルである高松宮記念杯競輪、全日本選抜競輪、日本選手権競輪を優勝。KEIRINグランプリも優勝している。
年間賞金王に1回。通算獲得賞金17億853万1755円という偉大な実績を残した選手だった。
もっと長く選手を続けたかった…。
-まず今回の引退については。
「自分的にはもっと長く選手を続けたかったんですけども、でも、自転車に乗れなくなるまで頑張ったっていうことで悔いはないですね」
-股関節が痛くなってしまったのはどれぐらい前からなのでしょうか?
「半年くらい前からですね」
-それは何か原因があったんですか?
「それは積み重ねてきたものじゃないかと思うんですけど。落車してとか、原因があれば僕も考えたんですけど、今回は股関節と脚だったので、これで長く休むことになると鎖骨や手首などと違って致命的なので。今の年齢から考えて、3~4か月休んで、またもう一回という風にはいかないなと思いまして、そこで決断しました」
-徐々に悪くなってしまったかんじでしょうか。
「そうですね。…競輪が本当に好きなので長くやりたかったし、周りにも『俺はクビになるまでやるよ』って言っていたんですけど、でも、ケガや自転車に乗れないとお客さんにも迷惑かかるし、それで決断につながりました」
大ギアの時代が良かったかな。
-今まで競輪を走ってよかったことは?
「デビューした頃は右肩上がりで、お客さんも多かったし、賞金も高かったですからね、そういうのも経験できたし、本当によかったと思います。逆に、今の若い子たちにあの時くらいのお客さんが入ってたようなものを経験してほしいなって思います。ちょっと残念ですよね」
-鈴木さんが思う、どの辺は変わったなっていうのはありますか?
「根本的なルールは変わってないんですけども、色々と大ギアがあったり、ギア規制があったり、イエローラインができたりとか、事故点が厳しくなったり、そういうところが色々と重なっていますよね」
-ずっと経験されてきて対応してくるのは大変だったのでは?
「そうですね、その都度、ルールに基づいてやらなくてはいけないので、その度に変えて、練習も試行錯誤しながら、セッティングも変えたりしていました。それも楽しいと言えば楽しいんですけどね。そうでなければ、若い人と真っ直ぐに走って勝てっこないのに、50歳以上までやれたというのは経験だとか、道具を使うスポーツなので、色々と工夫できれば長くできるなっていうのは実感していたので」
-鈴木さんにとってどの辺りのルールがよかったですか?
「ギア規制がない時がよかったですね。若い時はそんなこと考えんかったんですけど、大ギアは年を取った選手にはいいギアだったので。年を取ってから若い子と同じギアというのは不利じゃないですか(笑)、その辺がギア規制の前がよかったかもしれないですね、年をとってもまだ勝負できる感じがあったので」
-ヨコの動きが緩かった時代はいかがでした?
「ヨコ(規制の)は、最初のうちは、先行捲りの時はヨコは関係なく、後ろの人の激しい競りをしり目に先行していたんですけど、後半になってきたらほとんどライン戦だったので、そんなにはヨコの動きはなかったです」
鈴木誠が確立されたレースとは
-今、振り返って思い出のレースは?
「思い出深いレースはたくさんありますね。大きいレースで言ったら、久留米の全日本選抜で吉岡(稔真)のすごく強い時にあたったことと、地元の松戸ダービーですね」
-優勝してらっしゃいますからね。
「はい。あと、自分の戦法的に納得がいったのは函館のふるさとダービーで勝った時が一番戦法的に確立できたかなという思いではありますね」
-そこで鈴木誠ができたということですか?
「戦法・自在というので、自在戦というのは良く言えば自在なんですけども、悪く言えば中途半端なんで、それがふるさとダービー函館の時は完成したなっていうのはありますね。吉岡や神山(雄一郎)が出てきて、先行だけでは通用しなかったので、そういう点で僕はもう自在に何でもやっていかなきゃいけないなって思ったんです」
-自在は中途半端という言い方もあるかもしれないですけど、今、自在は一番強い戦法と思うのですが。
「今はラインですけど、細切れが多いじゃないですか。そうすると先行だけじゃ通用しないっていうのが今の時代あると思うんですよ。先行だけじゃない、捲りもできて、先行もできて、おまけに競りもできたら最高だなっていうのはあると思うんですよね。なので、平原(康多)が今一番いいんじゃないかと思います。あとは古性(優作)君とか」
-鈴木さんが注目する若手選手は?
「やっぱり南(潤)くん。あとは、皆も知っている脇本雄太君は外国人選手と比べてもそん色がないのですごいなって思います」
-鈴木さんが外国勢と走ってどう思いましたか?
「やはり世界レベルなんで、持ちタイムも違うし、もう日本も上位が当たらないとなかなか勝てないですよね」
-そういうレースは見たいですか?
「そうなっていったらやっぱり見たいですね! 今だったら外国勢がいると2着探しになるから、だから、その辺は競輪としてはどうかなと思います」
-選手になってよかったと思ったことはどのようなところでした?
「実力の世界なんで強ければたくさん賞金がもらえますし、弱ければもらえないし、点数がなければもらえないし、そういうところが明確なので、若くてもチャンスがあるっていうのはよかったですね。逆に年取ってからは厳しくなるのはしょうがないところですよね。普通は年を取れば昇進して給料もあがっていくのに、そこが逆転の世界では面白いと言えば面白いし、残酷と言えば残酷なんですけど、でも、そういうところが勝負の世界のいいところですね」
-逆に苦しかったところは?
「この世界、やっぱりケガがなければ最高の仕事なんですけど。普段働いていたら骨折することってあまりないと思うけど、それがよくケガをするのは過酷な証拠だと思います」
-鈴木さんはどのくらいケガをされたのでしょうか?
「若い時はあまりしなかったんですよ。逆に年をいってから練習中の落車で手首の複雑骨折で7か月間休んだりしましたけど。けど、手首とか鎖骨とか肩甲骨とかそういうのは上半身なんで休んでいても鍛えられるからそんなには焦ってなかったんですけど、年取ってから脚の関節とかそういうのは大変ですね」

師匠の吉井秀仁氏と。
仕事のオファー待っています(笑)
-引退されて、今したいことはありますか?
「今まで33年間競輪界のことしか知らないので、今までの恩返しではないですけど、今まで色んな強い人と戦ってきましたし、戦法も先行、捲り、自在と何でもやってきましたし、そういう経験を少しでもお役に立てればと思って競輪のお仕事をしたいなと思ってはいます」
-オファーはありますか?
「まだやめて2週間くらいしか経ってないので、サテライトさんとかに引退の挨拶でまわったりとかはしています。本格的な仕事しては8月の松戸GIIIで4日間ですね」
-サマーナイトフェスティバルで車券を買われたそうですが、どうでしたか?
「まず、どうやってマークシートを書くのかわからなくて(笑)、吉井(秀仁)さんや他の記者さんたちに聞きました。でも、なかなか車券って当たらないですね(苦笑)。最終4コーナーまではだいたいわかるんですけど、そこからの突っ込みはやはり強い選手ばかりなのでラインは崩れますからね。でも、やっぱり見ていて一番面白いのは競輪ですね!」
-走っていた時はやはりそういう展開はよく考えていたのでしょうか?
「展開は、他の選手から『今日どうしたらいいですか?』とか色々と聞かれることが多かったですね。意外と、展開を読むことや人の分析をすることは好きでした。弟子の福森慎太郎がA級なんですけど、会う度に『どうしたらいいですかね?』って聞いてくるんですよ。でも『A級はわからないよ』って言うんですけど、『それでもお願いします』って言うので、新聞とかタイムとか戦法を見て、『こうじゃないか』って言うとだいたい当たるんですよ」
-その経験を活かして、解説など。
「普通に解説したら、他の方たちと同じになるので、7月の12日まで選手をしていたので選手の目線を活かして、それを皆さんに伝えられたらいいなと思っています。選手サイドにいた方から、皆さんの知らない部分や性格などを伝えられたらいいなと思っています」
夢中になれたもの。それが競輪。
-鈴木誠さんにとって競輪とは?
「やっぱり競輪が好きだったんだなと思います。何につけても競輪のことを考えていて、スポーツしてもそんなにも夢中にならないし、趣味もそこそこあったけどやっぱりそこまで夢中にならなかったし、トレーニングもジムに行っていい身体になりたいとかじゃなく、いかに自転車で強くなれるかを考えて鍛えてましたし、やっぱり競輪が好きなんだなって思いました」
-やめられてからは自転車に乗っていますか?
「脚がまだ痛いので乗れないですけど、汗を流す程度はやっています」
-ファンにメッセージをどうぞ。
「今までファンの方に励ましや応援、たまには叱咤激励もあったり、ファンの方から『感動をありがとう』って言われるんですけども、自分も感動をもらったので、これからは外から競輪の素晴らしさを伝えていきたいです」

千葉の先輩の滝澤正光日本競輪学校校長と弟弟子の武井大介選手と。