インタビュー

デビューしてから23年。
金子貴志が9月17日、第34回共同通信社杯(GII)最終日に通算勝利500勝を上げた。
一つ一つの勝利が積み重なっての500勝の重みを金子貴志にインタビューした。
ナショナルチームで意識が変わりました。


発走直前

500勝のゴール
-500勝を達成されましたが、今振り返るといかがでしたか?
「500勝を目標にやってきたわけではないので、色んな人に『おめでとう』と言ってもらってやっと実感が湧いてきたような感じで、気にしてくれていた人がいたというのが嬉しかったし、高知でお客さんに、たくさん声をかけてもらったので嬉しかったですね」
-デビューされてから23年ですが、振り返って短い?
「短いと言えば短いし、長いと思えば長いですし、今思えばあっという間でしたね。でも、30代前半くらいの時はなかなか結果も出なくて、そういう時は長く感じました」
-その時とは?
「年間で何勝か出来た時は早く感じたと思うんですけど、なかなか1勝が出来ない時が続いた時は長く感じたように今振り返ると思います」
-そこまで積みあげるのは?
「1着を取ることが一番お客さんに還元出来ていると思うし、期待に応えることが1勝だと思うので、それを500回出来たということはすごく嬉しいですね」
-その勝利の中にタイトルが4つ(2004年ふるさとダービー佐世保、2013年第22回寬仁親王牌・弥彦、第55回競輪祭・小倉、KEIRINグランプリ2013・立川)入りますが、その辺はどうですか?
「それもすごく嬉しいですね。やっぱりタイトルを獲りたいと思ってデビューもしているし、それが4回獲れたのはすごく嬉しいです」
-さて、デビューの時に、自分はどんな選手になりたいというのはありました?
「いや、最初の頃は何も考えてなかったので(笑)。 デビューの時は、強くなりたいなとは思っていましたけど、どんな風にとか考えることなく練習はしていました。今考えると何も考えてなかったかなとは思いますね」
-色々考えるようになったのはいつぐらいからでしょうか?
「ナショナルチームに入ってですかね。その時はタイトルのことは考えてなくって、競技をメインにとか思っていたのですが、伏見(俊昭)とかタイトルを獲っていたので、いずれ獲れたらいいなと、多少は意識するようになりましたね」
-同期の優勝で意識を?
「太田(真一)もですけど、すぐに獲っちゃって、逆に遠く感じたというか。太田や伏見なら獲るだろうな、自分はなかなか難しいのかなって感じでした。
 太田は学校時代から飛び抜けて強かったし、伏見も特進してすぐに上がっていっちゃったので、僕はその時にA級だったので、差がかなりあったと思います」
-そこから一歩ずつですか?
「全プロ(スプリント優勝 2000年弥彦大会)で優勝するようになってから意識が変わったように思いますね」
-昔のインタビューで、若い時は遊んでいたという話も。
「そうですね、サーフィンやったりとか(笑)、色んなことやりながら、でも、練習はやってましたね。夜中の2時くらいから練習して、サーフィンして、また練習みたいな感じで繰り返して」
-すごい体力ですね!
「はい、体力はあったと思います(笑)」
-サーフィンにはまっていたんですね。
「色々ですね、冬はスノーボードもやっていましたし」
-競輪に打ち込むきっかけはどのようなことでした?
「ナショナルチームに入ったら、時間がなくなったし、そういうことをしている場合ではないなって自覚も出てきたので」
-ナショナルを離れてからは?
「でも、離れたのは30代前半だったと思うので、その頃はもうタイトルが獲れるんじゃないかなって錯覚というか、見ていたので。でも、そこからもうタイトルなんて全然届かない感じが続いたので、そこが一番きつかったですね」
-思いと状況のギャップというか。
「獲れると思った時に獲れなくて、こんなに難しいのかというか、タイミングが悪いのかっていう感じでした」
-そこから深谷知広君(愛知・96期)が出てきて。
「そうですね、やっぱり深谷が出てきて、トレーニングもレベルの高いものが出来たし、タイムとかすごい出していたので、その中で練習出来たのがすごく大きかったですね」
-やっぱり深谷選手は違ってましたか?
「全然違いましたね!」
-練習に向かう姿勢とか?
「それも違いましたし、とにかく見たことないようなタイムを出すので、自然と皆があがっていったというか、しっかり練習に取り組まないと一緒に練習できないようになってきていたので」
-では深谷選手に引っ張られてでしょうか?
「そうですね。豊橋だけじゃなく、もう愛知県が引っ張られていくようでした。意識もそうでしすし。その頃は、競輪界全体が深谷が出てきたことで変わっていたし」
-金子選手も頑張らなきゃという意識が湧いてきた?
「そうですね」
-それで初タイトルにつながるんですね。
「いえ、最初はもうついていくのに精いっぱいで、抜けることはないなっていう感じだったので(笑)。特別の決勝には乗りたいなって思っていましたけど、タイトルまでは考えてなかったです」
-逆に深谷選手の後ろについていくのが大変だったとか?
「ついていって、なんとか決勝に乗らせてもらえたらいいなっていう感じだったので、その頃は」
-それが抜けるようになったのは?
「いえ、親王牌(第22回大会・弥彦)もそうでしたけど、深谷は後ろのことに気を使ってくれるので、とんでもない選手だなって思いました」
-深谷選手が弟子入りした経緯は?
「元選手で、今は学校の教官をしている加藤(栄一)さんの息子さんが深谷と同級生だったので、それで僕のところに来ることになったんです」
-深谷選手はジュニアの頃からナショナルチームで活躍していたし、知っていたんですか?
「強いということは知っていました」
小嶋敬二さん、神山雄一郎さんに食らいついていきたいです。


500勝達成!
-500勝を達成し、今後の目標は?
「小嶋(敬二)さんは、とんでもない選手だし、神山(雄一郎)さんもとんでもないレベルの先輩がいるので、目標というわけではないけど、1勝でも多くしていきたいと思います」
-先輩たちに追いつけ、追い越せという感じですね。
「いえもう、追いつくというよりくらいついていきたいという気持ちです」
-今、はまっていることは?
「今は自転車に集中している時ですかね。自転車が中心です。逆に他のことをしている余裕がなくなったのかもしれないけど、疲れも取れないし、もう、ほぼ競輪中心ですね」
-トレーニングからケアまで?
「疋田(敏)さんともう後何年出来るかっていうことをよく話すんです。デビューした時はそんな引退なんてずっと先のことだと思っていたけれど、今は、いつ引退するかわからないし、確実に引退に近いところにきていると思うので、『一走一走を大事に走りたい』って疋田さんが話しているんです。確かに自分も逆算していったら、あと何走出来るかわからないですが、選手生命の半分以上きていると思っているので、一走一走に集中出来ているかなと思います。しっかり準備して、楽しくなっていますね。一走一走、一年一年が集中出来て、あのグランプリの時くらいから集中出来ていますね。本当に(競輪は)奥が深いですね」
-今、若い選手に伝えたいことは?
「競輪は面白いと思うし、レース形態も進化していると思うんですよね。昔と同じ走りではおそらく通用しないというか、自分が変わっていかないと通用しないと思うので、若い子に言いたいというより自分が聞きたいくらいですね。どんどん進化しているので」
-金子選手がデビューした時と今で一番違うことは?
「ギア比が全く違いますね。3.57だったので踏んだり止めたりという感じだったんですけど、今は打鐘から行って逃げ切れる人は、ほぼいなかったと思うんですけど、ワッキー(脇本雄太)みたいなレースをされるともう本当にとんでもない強さですよね。年寄りというか同世代が少なくなっているのも感じるけれど、その中でも頑張っている人がいるので。ただ、一回そこから外れるとかなり苦しくなるなと思うので、進化についていかないといけないなと思いますね」
-ハイスピード&超持久力のレースですね。
「そうですね。全く隙がなくなっているので」
-そういうところで今のブノワ体制のトレーニングは気になりますか?
「そうですね、250に行ったりしていたし、いいところもあるし難しいところもあるので、その辺を上手く対応しながら活かしていけたらいいなと思っていますけどね」
-なかなか脇本選手のような選手は出てこないかもしれないですけど。
「でも、高知の山崎賢人もすごい強かったですからね。ああやってどんどん出てくると思うので、対応するようにはしていますけど」
-山崎選手は脅威ですか?
「そうですね、山田(英明)が離れるなんて想像もつかないので…。でも、逆に山崎の後ろについてみたいなっていうのはありますね! 井上(昌己)もすごいって言っていたので。けど、そういう選手が出てきてくれた方がいいですね」
-刺激になりますか?
「そうですね」
-最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。
「1つでも勝ち星をあげたいと思いますので、応援よろしくお願いします!!」
-600勝、700勝を目指して頑張ってください。
「白鵬の1001勝を出来るような選手を目指して…難しいとは思いますけど(笑)、少しずつ積み重ねていけるように頑張っていきます」
金子貴志(かねこ・たかし)
1975年9月5日生 身長175cm 体重86kg
競輪でのタイトルは4つだが、世界でも数々のメダルを獲得している。