インタビュー

不死鳥と呼ばれた男
市田佳寿浩(福井・76期)
不死鳥と呼ばれた市田佳寿浩が引退を決意した。
病気で倒れ、長期欠場から復帰。
落車し大怪我を負い、そこからの復帰。
何度も何度も復帰してくるその姿に、メディア、ファンは不死鳥と名付けた。
地元バンク福井の記念競輪の冠も不死鳥杯。福井もまた数々の災いから不死鳥のごとく蘇り、市民憲章に不死鳥のねがいと名付けられている。
それにも重なり、市田につけられた不死鳥というタイトルに涙する競輪ファンは多かった。
そして、村上義弘との激闘。また盟友として市田は近畿に並び立った。近畿全体が纏まって強くなっていった過程に、この二人の名前は外すことはできないだろう。
競輪競走はここで辞める市田だが、また不死鳥のごとく競輪界に舞い戻るはずだ。

寬仁親王牌決勝ゴール 9番車が市田
村上義弘との絆
引退の理由

2010年西王座戦決勝。村上義弘‐村上博幸の後ろを回る市田。
「これといった理由はなく、もう本当に身体的に走り続けるにはこの辺がギリギリかなと思って、家族と相談し、降りる決断をした感じです」


引退の決意、そして今までを振り返ってもらった。
-競輪選手を目指した理由はどのようなことでした?
「高校時代、自転車部に入る前くらいから競輪を知ってましたので、自転車競技をやりながら選手になれるかなと。その当時も強い先輩もいましたし、収入等も多いと聞いていたのでこれはいいなと思って、目指した感じでした」
-実際、選手になってどうでしたか?
「ケガさえなければ、いい職業だったと思います(苦笑)」
-市田さんはケガや体調を崩されたイメージが強くて、大変だったのでは?
「皆はそう言いますけど、自分の中では走れない時期に、色んなことで成長出来た人生だったなと思います」
-好調な時にケガをして、ここでまた落車!と思うこともたくさんありました。
「そうですね。そういう言葉をもらうだけでも、走っている意味はあったのかなと思いますし、そういう選手もいたんですよって言う感じです」
-そして市田さんには福井の不死鳥というイメージがあります。
「それこそ本当にありがたいことで。自分は1つGIタイトルを獲らせてもらったんですけど、活躍していた名だたる先輩がたくさんいるんですよね。自分の名前じゃない、そういうシンボルマークというか市田=不死鳥と呼んでもらえるだけでも、先輩の仲間入りが少しは出来たかなという気持ちはあります」
-大きなケガから戻ってくる姿を見て、涙が出そうでした。
「走っている自分も客観的に見ればそんな感じでしたし、とにかく、いつもそうでしたけど、『これで大丈夫かな』という不安な気持ちで復帰していました。それでもなんとか走り続けて、ここまで来れたので、そのことに関しては本当に皆さんのおかげだと思うし、満足しています」
-市田さんというと、村上義弘さんとの絆も印象に強いです。
「ここまで一番近くで支えてくれてた大先輩なので、やっぱり村上さんなくしてはここまで来れてなかっただろうと強く思っています」
-村上選手と親しくなったのは?
「それこそ自然に。若い時から力勝負で、別線で戦ってきた上で、自然に(親しく)なっていった感じですね。近畿地区の先輩たちが引退されていく中で、自分たちの競輪に対する想いを、2人だけでということはないんですけど、村上さんと話してました。20代後半頃かな、責任を感じながらS級S班になるための過程の中で、深く寄り添うというか、そんな感じで絆を深めていった感じでした。お互いの、特に競輪に対するバロメーターというか、そういうものに対してはよくアドバイスをもらいました」
-目標に向かって行く中で、お互いに?
「やはり村上さんとお互いに、こう見ていたということが大事だったと自分は思います。後輩はそういう姿を見て、育ってくれていたのかなと思います。近畿地区のタイトルホルダーっていうのは継続的に出てきていますし、嬉しい限りですね。自分がどうのこうのじゃないんですけど(笑)、見ていると嬉しくなります」
-脇本雄太選手も強くなっていますし、色んな意味で市田さんを継いでいるのかなと思います。
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど。でも、1人1人頑張っている結果であって、自分としては自分で一生懸命やってきた想いがあるだけで、恰好つけるつもりはないんですけど(笑)」

西王座戦を優勝してインタビューを受ける。

2010年西王座戦決勝ゴール
市田佳寿浩の競輪道とは
-市田さんが競輪で一番大切にしてきたことは?
「いわゆる競輪道ということですよね、うーん、言葉にするとこれというものはないんですけど、日々、競輪選手として一生懸命生きてきた、そういうことかな…。じゃ、競輪道って何ですかと言われるとまた話は長くなりますけど(笑)、1人1人違うものなので。しっかり生きるということですね」
-ファンのためにも、自分のためにもしっかりやり抜くということですね。
「そうですね、競輪はお客様あっての競輪ですし、もちろん、各関係団体の方もなくてはならないものなので、選手だけがどうこうというわけでなかったと思うんですよね。自分の置かれていることも、落車とかケガとか、そういうものに関わってくれたことを振り返ると、本当にこの業界はありがたいなと思いますね。そういう意味で一生懸命生きるってことですね。…しみじみなりますけど、そういうことですね」
-一番印象に残ったレースは?
「それこそたくさんあるんですけど、村上さんと別線で戦ってきたレースは自分の中でも興奮したレースでした(2010年10月3日福井記念決勝)。全てを知っている、知られている。それでどうするかもわかっているのに、でも、そこを勝負して、お互いがゴールを目指して一生懸命走るという独特の勝負でしたね。それは楽しかったですね! 福井記念の決勝戦で、僕は番手から出て行ったんですけど、村上さんはホームからカマしていって…。あのレースが思い出ですね」
-それは見ていて熱くなるレースですよね。
「お客さんもベストレースだったと挙げてくれて、嬉しかったですね。ストーリーを知っているというか、そこまでの過程とか、そういうものをイメージして、それでいて競輪を予想した結果が面白いレースだったと、ファンの方から言っていただきました」
-そういうのが最近は少なくなってきたような気がします。
「それは時代の流れと言ってしまうのは簡単すぎるんですけど、脚力ですとかレースの流れ、ギアは落ち着きましたが、そういった諸々の流れが少しずつ変わっていって、いま福井の脇本が最先端をいっていますよね。日本の国内であっても規格外のスピードで走っていますけど、これがゆくゆくは基準になっていくのかなと思います。これは競輪の流れ的にも避けられない気がしますね。どうしてもスピードがついてきて、それが当たり前になって行く気がします」
-時代とともに競輪も変わっていくと?
「世界がそういうスピードになっていますから、日本の競輪選手もそれに追いついてきているというのが現実だと思います。その中で戦っていくので、おのずとスピードを競い合っていくのかなと思います」
-見ていて、すごいなと思ったレースは?
「身内の話で申し訳ないんですけど(笑)、最近の脇本の走りは言葉を失うくらいすごいですね! 昨年、今年くらいの脇本は競輪の流れを変えるくらいの力があります」
-ワールドカップの男子ケイリンでも、世界のトップ選手相手に金メダルですからね、すごいですよ。
「よくここまで頑張ったなって。そんな言葉じゃ片づけられないんですけど、本当に素晴らしいです!」
-やはり身近に市田さんがいたおかげも大きいと思います。
「いえいえ、あくまで本人が頑張った結果だと思います」
-今まで市田佳寿浩を応援してくれたファンの皆さんにメッセージをどうぞ。
「いい時も悪い時も不死鳥と呼び続けてくれて、『市田なら必ず戻ってくる!』という声をお手紙や声援で応援メッセージをいただいて、ここまでずっと走ってきました。これで終わってしまうのは本当に自分でも残念で、身体的な理由で終わるわけですが、皆さんのおかげで23年間、皆さまと一緒にここまで走ってこられてありがとうございました」
市田佳寿浩 福井 76期
通算成績 2010年寬仁親王牌優勝 2010年西王座戦優勝 2006年サマーナイトフェスティバル優勝 GIII優勝 14回
通算優勝数 65回 1着451回 2着278回 3着184回 勝率26.8% 2連対率43.4% 3連対率54.3%