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梅澤謙芝(三重・57期・A級3班)
2022年1月14日、四日市競輪場で500勝を達成した梅澤謙芝選手。本人は「その場その場しのぎでやってきた感じです」と振り返るが、36年間、その一瞬、一瞬を真剣に走ってきた結果がこの500勝なのだろう。まだまだこれからも、今までと同じように頑張ってくれる梅澤選手に期待したいですね。
目標は60歳、 すごい先輩たちを見習って頑張りたいですね
-500勝達成の感想は?
「とても嬉しいのひと言ですね。けど、5、6年前はできるとは思えなかったです。やっぱりチャレンジに落ちて、『…もうダメかな』って思ったんですよね。でも、その年に30勝くらいできて、それで急に近づいてきたというか、もうちょっと頑張れるんじゃなかと思って、なんとか頑張りたいと思って、ここまできましたね」
-500勝目も3番手から追い込んでの勝利でしたね。
「はい、微差でしたね。僕、ハンドル投げるの下手なんですよ(笑)。同期に『今までで一番上手くハンドル投げていたな』って言われました(笑)」
-梅澤選手が、競輪選手になろうと思ったきっかけは何だったんですか?
「高校の学校の先生に薦められました。でも、薦められたというのも僕が体育の先生に『どうやって競輪選手になるんですか?』って高校2年の時に聞いたんです。その先生はけっこう競輪が好きだったので。その先生が教えてくれて、それで頼んでもないのに高校3年の時に(競輪学校の)願書をもらってくれたんですよ。でも、自分もなれると思ってなかったんですよね。僕は適性入学だったんですけど、なれると思わずに、せっかく願書ももらってきてもらったし、その時、受験料5000円だったんで、今も5000円ですけど。あの時に受験料が1万円だったら受験してなかったですね(笑)。通ると思ってなかったし、5000円なら、話のタネで、『よーし、やってみよう』って思ったんです」
-陸上で培われたバネが活かされているんですね
「陸上もそんなに強かったわけではないんですけどもね(苦笑)」
-競輪選手になってから、これだけ活躍されて。
「なんか自分ではずっと中途半端な感じでしたけど」
-そうですか!?
「そうですね。若い頃は先行でしたけど、30歳過ぎてからは自力って言っても捲りばっかりだったし、なんか中途半端だなって思いながらいました」
-我々からすると梅澤選手の捲りはすごいと思って見ていましたけど!
「いやー、どうなんですかね。やっている本人は煮え切らない、そんな感じでやってきましたけど」
-適性で入学して、競輪学校時代はどうでしたか?
「いやではなかったですし、楽しかったですね。大変は大変だったけど、本当に何も知らないで入ったので、皆は準備してきて学校にきていたので、僕は何も準備していなかったので、最初の頃は、1kmサーキットでの練習で3周くらい周回遅れになったりして、なんか目の前が真っ暗になりましたね、『どうするんやろ…』みたいな(苦笑)」
-どのくらいでやっていけるって自信がつきましたか?
「いやー、適性だけの期間が1か月半くらいあったんですけど、あの時はもう本当に泣きそうでした。午前、午後も練習で身体もしんどくて『こんなんでやっていけるのか』って思いました。でも、技能の人たちも入学してから、午前中が学科になって身体も楽になって、ちょっと落ち着いてきましたけど」
-そこからデビューして今までやってこられたわけですね。
「もう36年ですか、本当にあっという間でしたね」
-その積み重ねが500勝なんですね。
「そういうことなんでしょうけどね」
-振り返って、思い出のレースはありますか?
「うーん、嬉しかったのは全プロのBMXが一番嬉しかったですね(笑)。楽しかったですね~。全部で8回くらいあったと思うけど、全部出ました。けっこう一生懸命にやって、5回くらいは決勝に乗りました。あれは嬉しかったですね。なんで嬉しかったかというと、子供の時にやりたかったけど、そんな環境ではなかったし、真剣に、賞金も出て走れたというのはなんとも言えない喜びでしたね。けっこうケガをされた方もいましたけど。僕はけっこう真剣に練習して、ケガなく終われて、それに、こちらのピストにもいい影響はありました」
-デビュー当初の目標は何だったのですか?
「なかったですねー。適性だったし、強くなれるんだろうかとか全然わかんなかったですからね。S級に上がりたいというのはあったけど、具体的になんかというのはなかったですね」
-でも、ずっと上で活躍されてきましたよね。
「自分の中ではそんな感じはなくて、そういう風に記者さんは言ってくれますけど、そうなんかなぁ?自分としては常にその場、その場しのぎでここまで来たような気がしますね。その場、その場で一生懸命にやって、結果的にここまで来れたのは嬉しいというか、ありがたいことですね」
-練習環境は?
「すごくいいですね! 師匠が竹田恵一さんで、兄弟子が片岡(浩也)さんで、今も練習グループもけっこう人数いるし、皆に引っ張っていってもらっていますね。競輪も自由に走ってましたけど、練習もけっこう自由にさせてもらいましたね。1人でやりたい時は1年、2年くらい1人で練習させてもらって、また皆と練習したくなったら『また一緒にやらせてください』って言って、それでも竹田さんは1人で練習したいって言っても『好きにしたらいいぞ。また戻ってきたかったら、いつでも戻ってくればいい』って言ってくれて、本当にありがたかったです。すごく感謝していますね!」
-今があるのは練習グループのおかげなんですね。
「そうですね! なんか、けっこう自由気ままにやってきた気がしますね。だから、その場しのぎ、その場しのぎだった気がしますね」
-でも、ここまで現役で頑張ってこれたのはすごいことだと思います。今後の目標は?
「今後は少しでも長く選手をできたらいいかなというか、少しでも長くやりたいです! 今、目標を聞かれると60歳までやりたい! ですね(笑)。頑張りたいって言えるかな。5月で56歳になるので、あと4年ですね。1年、1年が本当に厳しいですけどね。1年というか1ヵ月、1ヵ月が自分の中に変化があって、ダメな時もあるし、練習もおぼつかんこともあるけど、練習グループに引っ張ってもらっていますね」
-体調面が変化するんですね。
「体調が悪いわけではないけど、練習についていけない時はやになりますね」
-そこをなんとか、しのいでいるわけですね。
「そうですね」
-目標は60歳までですね。
「そうですね、頑張ります。佐古雅俊さんもちょっと前に400勝して、ケガもして大変そうですけど、でも、そうやって先輩が頑張っていると(自分もって思いますね)。同じ三重県には萩原操さんっていう先輩もいるし(笑)、すごい先輩を見習って頑張りたいです」
-最後にファンの皆さんへメッセージをどうぞ。
「中途半端なレースが多くて、なんか、それでも応援してくれるファンの方がいて、声をかけてもらうことも多くて、すごくありがたいなと思うし、そのかげで頑張れているので、これからもよろしくお願いします!」
梅澤謙芝 (うめざわ・たかし)
1966年5月3日生まれ。身長177cm 体重80kg
デビューは1986年5月10日青森。
ホームバンクは松坂競輪場。
100勝1993年2月1日花月園
200勝1999年9月12日大垣
300勝2006年3月12日一宮
400勝2013年8月19日京都向日町
そして500勝2022年1月14日四日市
Q節目の勝利はどうでしたか?
「やっぱりホッとしました。(節目が)近づけば、やっぱり達成したいって気持ちが大きかったので、『あぁ、よかった、500勝できたんだ』って嬉しいのと、やっぱりホッとしますね」