インタビュー

今年2月の全日本選抜競輪(松山)で通算4度目のGI優勝を達成した平原康多。実に3年ぶりとなる栄冠だったが、そこにたどり着くまで、数々の苦難を乗り越えてきた。だからこそ、この優勝の大きさは計り知れない。その表彰台の上でも、強くなるための考えを巡らせていたという平原が、これからの競輪界をもっと盛り立てていく。
今はやっとみんなに追いついて、波に乗れたかなという感じです
 昨年は不本意なシーズンに終わってしまった。9月のオールスター競輪(前橋)では準決勝で落車し鎖骨を骨折、戦線離脱を余儀なくされてた。だが、その苦境の中でも「気持ちだけは切らさずに」再び上を目指す策を練り上げていた。
「昨年の後半は鎖骨を初めて折って入院しているときがありまして、そのときに改めてトレーニングやセッティングもそうですけど、来年(2013年)以降どうやって戦っていこうかと考えていたんです。ケガをして休んでいたんですけど、気持ちは逆にやる気になっていたというか、『やらねば』という気持ちになりましたね。基本的に、競輪はケガをしても成績を出さないといけないし、何より競輪が好きだということが根本にあって、勝ちたい気持ちと魅せたい気持ちがずっとあったんですけど、今までは歯車が噛み合って無くて。それで時代が先にいってしまったなという気持ちでいたんですが、昨年一年間は、自分が思うように出来なくて、ずっと良くなかったので、逆に焦りはそこまでなかったです」
 そこで平原はひとつの決断を下す。それは全ての見直しだった。大ギアが主流になった現在の競輪界で、いかに自分の走りに徹した上で結果を出すか、その命題に真っ正面から向き合った。
「トレーニングメニュー、自転車のセッティングに、意識も、本当に全てのことなんですけどね。今の競走は、本当にギアとの関係があって。単純に(大ギアを)踏んでレースするだけだったら、自分でも出来たと思うんですけど、そういう単調なレースをしたくて選手をやっているわけではないですから。やっぱり自分のレースはそういうものではなく、お客さんが自分に期待しているレースのスタイルがあると思いました。でも、それが出来ていないと思っていたし、すごく考えて、本当に何とかしなきゃなという気持ちで、今までやってきたことを一新しました」
 そうした変化が、今年から結果としっかり結びついてきた。平原自身も「昨年までいろいろと研究、勉強してきたことの集大成として、結果は出せているかなと思います」と振り返る。
「鎖骨は初めて折ったので、もっと時間がかかるのかなと思ったんですけど、思ったよりかはすぐ練習も出来ましたし、競走もしっかり走れたかなと思っています。情けないなと思う時期が長かったので、そういうのが打破できればと思っていたし、何よりただ結果を出すだけの走りをするだけでは自分の中で面白くないし、周りへの脅威もないですからね。いろいろそういう面で考えてやってきました」

今年2月の全日本選抜競輪(GI)決勝ゴール、
(3)平原が4度目のGI優勝。
 そうして迎えた今年最初のGI、第28回全日本選抜競輪(松山)。1着8着1着で決勝進出を果たした平原は、武田豊樹の番手回りでレースを進めた。カマした鈴木謙太郎から武田が主導権を奪い返す展開の中、番手から直線勝負に出た平原が深谷知広の猛追を振り切って4度目のGI優勝を成し遂げた。10年の高松宮記念杯以来、約3年ぶりの歓喜の瞬間だった。
「今年に入ってからは、GIでも戦えるという自信を持って、気持ちでは負け ないと思っていました。(決勝は)武田さんの後ろを回らせてもらいました。基本的には武田さんは自分の気持ちを優先してくれて、すごくありがたいですし、そのときは前を回るよりも武田さんの調子が良さそうだし、周りの選手も脅威だろうなと思ったんです。今までの3つのGI優勝は、若さと勢いみたいな部分が強かったと思いますけど、今回は苦労しましたし、本当に今まで以上の努力があって…。悔しい思いもたくさんあって、そういう試行錯誤した時間が長かったので、それが30歳過ぎて初めてGIで結果として出て、まるで初めて獲ったような感じでしたね。(今までとは)全然違いました。表彰台の上はこんなに嬉しいところなんだなという感じでしたね」
 また、優勝の喜びと同時に、決勝で武田の番手を回ったことで、多くのことをその背中から感じ取っていた。そして表彰台に上がったその瞬間から、次へのステップを考えていたという。平原康多という選手の強さの根底が垣間見られるエピソードだ。
「武田さんの番手に付かせてもらって、逆に自分に足りない部分が分かったし、武田さんに比べたらまだまだ自分は力が劣っているなと。それに決勝には深谷君もいて、深谷君の力もすごく感じました。だからあの開催は優勝して、結果については良かったとは思いますが、力関係で見たら、自分はまだまだ劣っているなと感じて、そこには満足感は全然なかったです。本当に競走が終わってすぐまた新しいことに取り組んで、強くならないといけないと思いました」
自分に革命を起こして、もっと強くなりたいと思います
 この優勝で毎年の目標にしていた年末のグランプリ切符を誰よりも早く掴んだ。S級S班への返り咲きも決まったが、試行錯誤を繰り返しながら、どん欲に強さを求めるスタンスはこれからも何ら変わらない。
「今年のグランプリも決まりましたが、来年のS級S班も決まりました。でも、このままではダメだと思うんです。常に強くならないといけないし、そうしないとまた時代に置いていかれてしまうと思います。全日本選抜から一カ月以上も経っていますし、それ(優勝)はもう過去のことという感じですね。周りも日々進化しているし、絶対に止まっているわけではないんですよ。今は、やっとみんなの波に追いついて、ちょっとずつ、その波に乗れたかなという感じ。でも自分はまだまだだし、もっともっと上で頑張りたいという気持ちがあるので、自分の中で『革命』を起こして、今度は自分が先頭で大きい波を競輪界で作れるように頑張っていきたいと思います。もっともっと自分らしい競走を、勝ちにいくのは当然ですけど、見ている人の心を打つような魅了できるレースを一つでも多くできるようにしていきたいですね」
平原康多 (ひらはら・こうた)
1982年6月11日生まれ、30歳。身長184㎝、体重91㎏。在校成績は33勝で8位。師匠は太田耕二(59期・引退)。精神面の強化については「基本的には、日頃の部分が競走に繋がると思うので、自信を持てるほどの努力をしていれば、競走でも自信を持って臨めると思います。何もやらなかったら、競走でも自信は持てないですからね」