競輪の一番の魅力は何だろうか。その答えが、このレースに全て凝縮していた。7月の寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(GI)の決勝で、金子貴志が念願の初タイトルを獲得した。スランプで諦めかけた時期もあった。だが、弟子である深谷知広と掴んだ優勝に、自然と涙があふれてきた-。
うまく駆けてくれたし、あれが深谷の器の大きさだと思います。
「よく『夢じゃないか』と言う人がいますけど、あれはこういうことなんだなと思いましたね」。7月、弥彦競輪場で開催された「第22回寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(GI)」。決勝は、写真判定に持ち込まれる大接戦となった。そして、確定放送でコールされたのは「1着4番・金子貴志」。デビューから18年、夢が叶った瞬間だった。
「オーロラビジョンがあれば分かったんですけど、無かったし3人ともタイヤ差の写真判定で、お客さんも分からなかったんだと思いますね。よっぽど余裕があれば優勝は分かったんでしょうけど、自分でも分かりませんでした。(確定放送が流れても)最初は本当に分からなくて、涙とかそういう感じじゃなかったんですけど、先輩や後輩が『良かったですね』と祝福の言葉を言ってくれたので、それでこみ上げてくるものがありました」
優勝インタビューでは感極まって涙を見せた金子。その寬仁親王牌は、一次予選からの静かなスタートだった。
「初日も、すごい調子が良いという感じではなかったので、どうかな?と思っていたんです。でも、一次予選をギリギリ4着で残れて、2日目も松岡(篤哉)が頑張ってくれて、そこから良い流れになりましたね。準決勝で深谷(知広)と一緒になって、流れがドンドン良くなって、調子が上がってきた感じでした」
準決勝では弟子である深谷知広が積極果敢なレースを見せ、逃げ切り1着。懸命に追走した金子は2着で、実に8年ぶりのGI決勝を決めた。ずっと目標にしていた「GI決勝での師弟連係」が実現したが、飯嶋則之が信念を貫き深谷の番手勝負を宣言。金子との競りとなった。
「(深谷を)弟子でとったときから、GI決勝を一緒に乗れたらいいなという思いがあって、目標のひとつでしたから決まったときは嬉しかったですね。GI決勝は8年ぶりぐらいだったと思うんですけど、そこで競りになるのかなと(苦笑)。タイトルを獲るのは相当厳しいなと思ったし、深谷の後ろはただでさえ付いていくのが苦しいのに、競りならさらに苦しくなるなと思っていましたね」
大接戦となった寬仁親王牌の決勝ゴール。
(4)金子が悲願の初タイトルを獲得した。
レースでは深谷知広が打鐘からスパートしていくと、「失礼の無いように」と飯嶋と競った金子は一旦離れてしまうが、最終ホームですぐさま追い上げて、深谷の番手をキープ。最後は逃げる深谷、差す金子、そして成田和也の三つ巴となった。
「深谷が結果的にすごくうまく駆けてくれて、自分の持ち味を引き出してくれたことで、チャンスが広がったと思います。ああいう風に駆けてくれた気持ちが、すごく嬉しかったですし、あれが深谷の器の大きさだと思います。(追い上げて番手に入った時も)絶対に抜けないと思っていましたからね(笑)。でも、あれだけいってくれたので、とりあえずは番手まで追い上げたいという気持ちが強かったです。そこで力を使ったので、もう抜くのは厳しいけど、なんとか深谷が獲ってくれと。何年ぶりの決勝だとか、そういうことを考えている余裕は無かったですね(笑)。ましてやワンツー出来るとは思っていなかったので、本当に嬉しかったです」
またあそこに立てるなら、どんな練習でも出来ると思いました。
思い返せば8年前、名古屋オールスターで、神山雄一郎に敗れて決勝2着。それ以来のGI決勝だった。優勝インタビューでも「諦めかけた時期もあった…」と苦しかった心境を吐露した。
「本当に、あのオールスターからすごい長かったですね。あのレースが終わったときは『神山さんはあんなに優勝しているんだから、優勝させてくれても良かったのに』と思っていたんですけど(笑)、神山さんは『もう少しで届くから頑張れ』と言ってくれて。でもそのあとは勝負の厳しさもあって…本当に苦しかった時期には、諦めるしかない状態のときもありました。全然決勝にも乗れず、優勝する、しないというレベルじゃなかったので。でも、やっぱり優勝は苦しいんじゃないかなと思っていたときでも、それ以上にまわりが『頑張れ、頑張れ』と言ってくれて、それで持ちこたえることができました。逆に、開き直って、良いレースをしようと切り替える感じでやっていたんですけど、その気持ちが良い方に向いてきたときに、深谷が出てきてくれて、さらに気持ちが盛り上がってきたんですよね。またチャンスが来た時に掴めるようにしておきたいなと思いました。でも、よくみんなが『深谷が出てきてチャンス』と言ってくれたんですけど、強すぎてしまって『チャンスと言われても抜けないよな』と(苦笑)。厳しいなというのはあったんですけど、トレーニングも集中して出来ていたし、寬仁親王牌は深谷も仕上げてきて、良いタイミングで持ち味を出してくれて、チャンスをくれたなと思いますね。諦めずにやってきて良かったなと、こみ上げるものがありました」
そして2011年には深谷が高松宮記念杯でGI初優勝を達成した。弟子に先を越される形にはなったが、金子の目に、あの優勝はどう映っていたのだろうか。
「あのときは、こういう選手がタイトルを獲るんだなと、すごく思いましたね。もちろんタイトルを獲る力があるとは思っていたんですけど、こんな簡単に獲るんだなと。もちろんすごい嬉しかったです。あれが自分にとってもキッカケになったと思いますね。あのレースを生で見ていたんですけど、自分のことのようにしびれて鳥肌が立ったんです。戦いたいなという気持ちになりましたね」
念願の初タイトル奪取で、道は大きく拓けた。初出場となるKEIRINグランプリの出場権を獲得し、来年はS級S班としての戦いが待っている。
「本当に、今まではグランプリは人が走る感じのレースでしたからね。12月30日というと、伏見(俊昭)が平塚で優勝したとき自分の長男が産まれているんですよ。だから、子どもの誕生日ということもあり、グランプリは一回走ってみたいとずっと思っていたので、叶ったのは良かったです。甘くはないと思うので、優勝どうのこうのよりもまずは自分が出来ることを、あと半年くらい、しっかりやることやって臨みたいですね。グランプリに失礼のないように。
S級S班も、そういう人がいるとしか見てなかったので、自分がまさかなるとは思っていなかったです。でも、ずっと良いなとは思っていましたね、特選スタートですしね(笑)。もちろんそれ以上にプレッシャーもあって大変だと思うので、それも良い力に変えて、走っていきたいと思います」
寬仁親王牌の後も、地元の豊橋記念を完全優勝するなど絶好調の金子。優勝したことで、レースに挑む気持ちが今まで以上に強くなったという。もちろん、金子と深谷の「最強の師弟」はこれからも、競輪界の中心となって数多くのドラマを見せてくれることだろう。
「(GI優勝後は)今までメールで100件とか見たこと無かったんですよ(笑)。いろんな人から電話もあったし、『感動した』といってくれた人がたくさんいたのが嬉しかったですね。そう言ってもらえることが一番良かったし、これからはそんな風に思ってくれる人がたくさんいるなら、今まで苦しいと思っていたことも苦しいとは思わず出来るかなと。弥彦のお客さんもすごい声援してくれたし、あそこに立てるならどんな練習でも出来るなと思いましたね。またあそこに立てるように、追い込んでいきたいなと思います。自分がやってきたことが間違ってなかったと思うし、これからは今までいったことのないところまで、ギリギリのところまで追い込んでいきたいです。今までのトレーニングをさらに越えて、肉体の限界まで。デビューして引退するまで、もう半分は折り返していると思うので、一戦一戦を全力で、悔いがないようにやっていきたいなと思います」
金子貴志 (かねこ・たかし)
1975年9月5日生まれ、37歳。身長175㎝、体重86㎏、在校成績は20勝で14位、師匠は樋口和夫(引退)。「疋田(敏)さんや島野(浩司)さんといった先輩からも刺激をもらいますし、勉強になりました。一戦一戦を出し切る、大事に走るありがたさ、そういうのも感じることが出来ましたね」。