抜け出した新田祐大を、青い勝負服が追い上げる。そして地元ファンの地鳴りのような大歓声は追い風に変わり、その男の背中を強く押した。第56回オールスター競輪を制したのは、後閑信一だった。7年ぶり3度目のGI優勝は、いかにして成し遂げられたのか―。
歓声に背中を押されるというのは、ああいうことなんですね
前検日から、いつもと違う感覚があった。後閑信一は、地元・京王閣で迎えた大一番「第56回オールスター(GI)」を前にして、選手生活23年を振り返って経験したことがない境地に達していた。
「地元での特別競輪クラスのレースを走るという緊張感や変なプレッシャーがなく、何かが吹っ切れたんですよね。これが平常心なんだなと。初めて分かったような、不思議なくらいに落ち着いていました。振り返ると今までは余裕がなかったですね。ずっと精一杯突き進んできましたから。今年の豊橋(7月の豊橋記念)くらいから自力が出るようになってきたし、身体がギアの使い方、身体全体の使い方を掴んできたんだと思うんですよ。それで余裕が出たのかな」
9月の京王閣オールスター(GI)決勝ゴール。
(4)後閑が7年ぶりのタイトルを奪取した。
一次予選、二次予選は池田勇人マークから1着2着で勝ち上がり、準決勝では平原康多と連係して2着入線して決勝に勝ち進んだ。決勝では「悔いの無いように自力で前々に」攻めることを誓った。一日順延を挟んだ決勝レースでは、初タイトルを目論む新田祐大が捲りで抜け出して後続を引き離す。それを追ったのが後閑だった。両者のマッチレースとなり、ゴール前で後閑が新田を捕えて歓喜のVゴールに飛び込んだ。後閑はこのレースで、味わったことのない感覚を経験していた。
「捲りにいったときのお客さんの声援…あれに押されました。ワーッていうのが聞こえ、自分も集中しきっていて、ゾーンに入ったと。必死だったんですけど、何だか2センターくらいで新田君を抜けると思ったんですよね。1センターで踏んだ時は、どうかなという感じだったんです。それで3コーナーくらいで、ゴールがもうすぐだと思って、藤木君を交わして後は新田君だと思ったら、まだけっこう離れていて。それで危機感を感じた時、同時にお客さんの声援が聞こえてきたんですよ。あの唸るような声援…。声援に押されるというのは、ああいうことなんですね。自分の集中力も半端じゃなかったんですが、あんなこと経験したことなかったです。全部があそこに集まった、そういう感じでしたね」
7年ぶりのGI優勝。そのゴール線を通過したときの感触はどうだったのだろうか。
「初タイトルは神山(雄一郎)さんに引っ張ってもらって小倉(05年競輪祭)で獲ったんです。そのときにタイトルを獲るというのはこういう感じなんだと、やっとこの日が来たんだという感じだったんですけど、その時と同じような雰囲気でした。それと今回は『またこの日が、来てくれたんだ』と。タイトルを獲るという感触がまた分かりましたね。心技体があって、どれかが10でも、どれかが3ではダメ。全部が整ったんでしょうね。全部が5くらいの力でも、それが全部5・5・5と揃ったので、バランスよく取れた。たとえレベルが下がっていても、整っていれば獲れるんだと思いました」
もちろん、ここまで楽な道のりではなかった。この復活Vに繋がっていく「全てを見直した」キッカケとなったのは意外にも優勝を遂げた昨年の京王閣記念だったという。
「昨年の京王閣の記念は平原君(康多)に引っ張ってもらって優勝することができたんですけど、あのときに優勝して、『俺はこのままでは次はない』と思ったんですよ。優勝したけど、ゴールした瞬間に脚が一杯で、やっと勝てた感じ。この先はないと思ったら、その日からすごく不安になって…。これはギアを使えるようにしないといけないし、身体の使い方もそうだし、あの優勝が一からいろいろなトレーニングを始めたキッカケなんです。それと、大ギアでレースの形態が変わったこともありますね。昔は、同じ競輪でずーっと何十年も来たんですけど、今はその時代が変わりつつあるので、そこにうまく自分が先読みして乗っかった感じです。山崎(芳仁)君が出てきた時も、4回転と聞いてビックリしましたね。自分はあの時、3.57が重かったんですよ。3.64を踏む人でさえすごいと思っていたんです。でも、あの京王閣記念で限界を感じましたね。平原君はどんどん強くなるし、武田君(豊樹)も強い。しかも彼らは強くなり方が半端じゃなかった。その成長の過程を自分でも見てきて、自分は劣ってきている危機感がありました。それに神山(雄一郎)さんもトレーニングをすごくする方で、特別競輪では関東から神山、平原、武田という名前がいつも乗るわけじゃないですか。そこに自分が乗れなくなってきた劣等感もすごかったです。自分の気持ちをどうしていかなくてはいけないのか、何やっているんだと。不安で仕方なかったですよ」
だが、後閑には大きな「武器」があった。それは23年間の競輪人生で培ってきた経験の力だ。苦しいときも、自身を鼓舞し続けて、気の遠くなるような試行錯誤を繰り返してきた。
「自分の経験と、信じる力、もうやるしかないという感じでした。今のままでは衰えていくだけですからね。良くなると骨折、また良くなると骨折と、これでもかこれでもかと続いた時もありましたけど、新しい試練を自分に与え、同時にそれを楽しむようにしました。身体の使い方、自転車のセッティングだったり、何かないのかなと常に競輪の事を考えていますね。課題を与え、やる気にさせるもう一人の自分がいる感じです。それで自分の中で閃いたことは何百回、いや、何千回かな、試してきました。何千個もの引き出しを開けては閉めてを繰り返しましたね。この部品のときは、このサドルの高さで、この乗り方だと、組み合わせは何千、何万通りもあるんです。その繰り返しを寝る間も惜しんでやっていたましたね、もう家族が心配するくらいまで。ウトウトしながら自転車に跨っていたこともあるし、何万通りの作業なので時間が足りないんですよ。自分は今までやってきてダメだったことも捨てずに引き出しに入れてきたんです。人から聞いた話、いろんな場面で得た知識、そう全てです。それが今、活きてきた感じですね。スランプの時こそ、引き出しの量なんです。メモにも残っているし、あとは自分の記憶と感覚。乗ったときの進み具合、それを全部覚えているんです。これは自分が自転車だけをやってきたから。余計なことをやっていたら、無理だったと思います。自転車だけに時間を費やしてきたからこそ、分かる、覚えていられる。若いときは、自転車は金を稼ぐ手段だったんですけど(笑)、今は本当に自転車しかないし、自転車が楽しいし、奥深さが分かってきました」
時代の流れを見極めながら、ずっと自転車と向き合ってきた。戦法を変え、追い込みでも頂点を極めた男が、常識を覆す「自力選手に戻す」選択をしたことも、後閑選手の話を聞いていると、ごく自然なことのように思われてくる。
「今は、使っている大ギアも4.33が3.57くらいに感じるんですよ。ありえないことですよね、昔の自分からすると。3.57が重くて、3.50に落とそうかなと思っていたのに(笑)。よっぽど脚だけで踏んでいたんだなと。あとは若い選手に挑む気持ちですね。30代は受ける立場で、相手も俺を捲らせないようにしてきたし、競りでもそうですよね。それを、ずっと受ける立場でこなしてきて、今度はこの年齢になって、逆に開き直って、脇本君(雄太)や深谷君(知広)に挑んでやろうという気持ちがあるんですよ。そうなるとこっちの方が、気持ちは強いんです。よく『なんでそんなに勇気があるんだよ』と言われるんですけど、挑む気持ちなんだから勇気は出ますよね。もちろん勝てば、『後閑すげえ!』と言われるわけですし(笑)。やってやろうじゃねぇか!という感じだし、衰えていく感じが今はしないです」
オールスター優勝で、7年ぶりとなる年末のグランプリ出場、そして来年のS級S班の座も獲得した。意外なことに、S級S班は初めてのランク付けとなる。
「グランプリ…若い時は、当たり前のように乗っていて、不安とプレッシャーと危機感で、ただガムシャラにやっていただけでした。でも今はいろんなことを準備して、冷静に走れそうなので、すごく楽しみですよね。それと、S級S班。あの赤パンを履きたくて、できた当時からずっと目標にしていたんですよ。途中で、俺には無理なのかなと思ったときもあったし、それに18人から9人になったから余計に無理かなと(笑)。でも諦めたら、俺は終わる。俺にはこれしかないんだから。でも、もし以前だったら、赤パンを履いてもプレッシャーだけで周りも見えなかったかもしれないけど、今ならちゃんとプレッシャーに負けずに走れると思います。そこまでやってきたからこそ、履けるのかな」
恐るべきは、まだオールスター優勝も「後閑プラン」では通過点に過ぎないということ。新人選手によく使われる言葉ではあるのだが、後閑の走りから感じられるもの、それは間違いなく「無限の可能性」なのだ。
「自分の求めているのはまだ先で、今はまだ、これからのビジョンの2~3割なんです。そこでこの流れが来たので、まだもっとできる気がするんですよね。ここまで心強かったのは、周りの選手や関係者もそうですけど、やっぱりファンの皆様のおかげです。トークショーへ行った時、ファンのみなさんは俺がタイトルを獲れることを信じくださって、そのことばかり言うんです。普通ではこの年齢になるとありえないこと。だけど、口を揃えて信じ切って、『タイトルを獲って』、『グランプリに出てくれ』と言ってくれるんです。どんだけ、みんな思ってくれているんだよって。そんなに信じてくれているんじゃ、俺が答えを出さないとね。だからやめられないし、その期待に応えてタイトルをまた獲ることができた、この快感といったらないですよ(笑)。良い仕事に巡り合ったという感じですね。感謝ですね、競輪に!」
後閑信一 (ごかん・しんいち)
1970年5月2日生まれ、43歳。身長176㎝、体重90㎏。レースでは「お客さんが金網で見ていて、『俺だってできるよ』と思うようなレースはしたくない。どこにいるか分からないレースではなく、『こんなことするのか!』というレースをしたい。それは、娘(百合亜・102期)にも言っているんです。そのためにも努力して頑張ります」