インタビュー

2013年は、まさに金子イヤーだった。7月の寬仁親王牌で初のGIタイトルを奪取すると、12月には競輪祭で2度目のタイトルをゲット、そして年末のKEIRINグランプリでは初出場、初優勝の快挙を達成した。グランプリユニフォームに袖を通して挑む2014年、金子貴志にその意気込みを聞いた。
僕の優勝は、深谷の強さの証だと思います
 デビュー18年目、金子貴志は初となるKEIRINグランプリ出場を決めた。選手であるなら誰もが憧れる、夢の大舞台。27日の前検日から検車場はいつも以上に報道陣、関係者でごった返す。特別選手紹介やイベントなど雰囲気はまったくの別物だ。12月の競輪祭で2冠目を挙げた金子は、この日をどう迎えたのであろうか。
「グランプリなんて、なかなか味わえることではないので、しっかりと楽しみながらと思っていました。(競輪場に)入ったときから雰囲気も違っていて、良い緊張感でしたね。(寬仁)親王牌が終わってから、ここに向けてしっかり準備をしようと思っていたので、日程をうまく取りながら本当に良いトレーニングができました。最後の1カ月くらいは、競輪学校で深谷(知広)や浅井(康太)、若手の選手を中心に合宿したりして。ウエイトトレーニングもやって、最後はバンクでしっかりと調整もできたかなと思っていました」

12月KEIRINグランプリのゴールシーン。
(3)金子が初出場・初優勝の快挙を達成。
 初めてのグランプリ参戦。特殊な開催ゆえに何かと戸惑いがあるかに思われたが、金子にそんな心配は皆無だった。
「ビッグレースでもダービーやオールスターなど休みがある開催があるので。負けて休みがあるとすごい疲れるんですけど(笑)、勝ち上がっての休みは本当に良い休みになるので、勝ち上がって休めている、そういう感じで過ごしました。あと自分は自転車競技をずっとやっていたので、ひとつのレースに(ピークを)もっていくのはどちらかといえば好きだったんです。月に2~3本を走るよりは2カ月で1本でも良いくらい。(間隔が)開けば開くほど得意というほどではないですけど、好きは好きですね。日にちが空くのでやりたいことがしっかりできますし、強弱をつけた練習もできてしっかり休むこともできますし」
 だが、レース当日。発走機についたときに見た風景に驚かされた。1万を超す大観衆、地鳴りのような声援。今まで味わったことのない世界がそこにはあった。
「グランプリシリーズの前座を走ったことがあったんですけど、そのときとはまた違う角度からグランプリを見ることができました。発走機に付く前の雰囲気も違いましたし、走る前までのすごい緊張感、すごかったですね。発走機についたときも、お客さんがすごくたくさん入ってくれているのが見えて、やっぱりグランプリは違うなと鳥肌が立ちましたね。本当に自分はここに来たんだな、深谷(知広)がここまで連れてきてくれたんだなと。僕は深谷がいなかったらグランプリは出られていなかったし、そういった意味でも深谷と一緒にグランプリを走れて嬉しかったし、さらに浅井(康太)も最後に乗ってきてくれて。(中部の)3人で走れたことで、気持ちはすごく良かったです」
 レースは福島勢が前受けを選択、そこに単騎の村上義弘、3車連係となった関東勢が続き、中部勢は後ろ攻めとなる。グランプリは7周回。頼もしい弟子の背中を見ながら、金子はその1周1周を噛みしめていた。
「冬場で周回が長いのはきついなと思っていたんですけど、行く前に、先輩たちからも『7周だし、練習の意味でもやっておいたほうが良い』と言われて練習しましたが、確かに長かったです(笑)。でも。グランプリの7周回は、1周1周ほんとうに噛みしめながら、楽しめました。走っている最中も、歓声が鳴りやまないほど。バック側は特観席なので、バックに入ると一瞬、静まり返って、またそれを抜けると、すごい歓声。あれはなかなか味わえることではないので、すごい良い緊張感を、良い意味で味わえたという感じでしたね」
 勝負のときは刻一刻と迫ってくる。だが、金子にとっては「気づいたときには」深谷が動き出していたという。深谷が早めに上昇して前団を抑えると、そのままスパート。中団には長塚(智広)が入り、打鐘から一本棒の展開となった。グングンと加速していく深谷、その後ろで金子は状況を冷静に把握していた。
「厳しいレースになると思っていたんですけど、深谷が早めにいってくれて、長塚も粘ることができず、すんなり出切ることができました。村上さんも単騎だったし、新田(祐大)も遅かったら引かなかったと思いますし、深谷が早めに動き出したからこそ一本棒になったと思うので、本当に良いタイミングで仕掛けてくれました。ちょっとでも緩んでいたら後ろから誰かが来たと思うし、深谷がずっと踏んでくれて、道中のペース配分もうまかったと思います」
 最終バックを過ぎて、最後の直線に向かう。番手絶好。そのまえに立ちはだかるのは、立川のロングストレートだ。
「ずっと長塚が4番手にいたのは分かっていましたし、その後ろには平原(康多)が4.50のギアをかけていましたよね。でも浅井が3番手にいてくれたことで、冷静に判断できたました。練習とは違うので、踏み出したときは思ったように体は反応はしなかったし、本当は深谷とワンツーを決めたかったんですけど、気持ちであれだけいってくれたのでなんとか優勝をと思って踏みました。でも直線が本当に長かったですよ(笑)」
 最後は浅井康太、長塚智広らの猛追を振り切って、ゴール線を真っ先に切った。「最強の師弟連係」が、グランプリでも結実。見事に、初のグランプリ優勝の栄冠を勝ち取った。
「ゴールではちょっと出ていたのが分かりました。『こんなことあるわけないだろ、分かるだろう』と思っていたんですけど、夢のような感じというのはこういうことなんだなと改めて感じました。まさか自分がグランプリを勝てるとは。深谷が勝てるように、好きなように走ってくれと思っていた中でのあのレース。あれが深谷のすごさでした。僕が獲ったタイトルは全部深谷が絡んでいますし、『僕の優勝は深谷の強さの証』だと思っています。本当にうれしかったです」
 さあ2014年。金子が身にまとうのは、競輪界でただ一人しか着ることの許されない、そして愛知勢初となるGPチャンピオンユニフォームだ。どういった思いを胸に、新シーズンを迎えるのであろうか。
「今までやってきた練習もありますし、変な走りはできないなと思いますが、自分の中ではこのユニフォームを着たからといって強くなれるわけではないので。自分のできることをしっかり準備して、やれることを精いっぱいやっていけたらいいかなと思います。(GPユニフォームは)誰かほかの選手が着るもので、自分が着るとは思っていなかったので実感がなかったんですけど、改めて失礼のないようにしたいですね。1番車で、1人しか着られないユニフォーム、それはなかなか味わえないことなので良いプレッシャーに変えて、モチベーションもプラスに変えていきたいと思います。これが着られるのも深谷が頑張ってくれたおかげですし、今まで支えてくれた方達のおかげで実現したと思うので、その分も一年間精いっぱい頑張ろうと思います。不安になっても仕方がないしやるしかないので(笑)、悔いの無いように一年間を過ごしていけたらと思います」
 今年も競輪界を大いに賑わせてくれそうな「最強の師弟」金子貴志と深谷知広。最後に、愛弟子・深谷に対しての思いを聞いた。
「(グランプリが終わった後は)特に話はしていないです。気持ちは分かっていたので。深谷は今すごくパワーがたまって、一年一年どんどん強くなっていっています。だから、深谷がどんどん結果を出していくところを、今と同じ位置で見ていければと思っています。深谷の雄姿をずっと見られるように、少しでも長く頑張れればと思いますね」
金子貴志 (かねこ・たかし)
1975年9月5日生まれ、38歳。身長175㎝、体重86㎏。トレーニングについては「(寬仁)親王牌が終わってからウエイト中心に迷いなくできています。セット数を設定して、しっかり積み上げて1万セットを試してみたいと思っています。どうなるか楽しみですね」