インタビュー

苦難を乗り越えた先にあったのは、念願の記念初優勝だった。昨年は度重なるケガで順調なシーズンを過ごせなかったが、諦めない姿勢を貫いてコツコツと復調への道を歩んだ。瞬時のコース選択とシャープな差し脚を大きな武器として、次の目標であるビッグレース決勝へ照準を定める。
優勝したときは「あ、獲れちゃったな」という感じでした
 昨年は林にとって厳しいシーズンだった。昨年5月の別府で落車して長期欠場、さらに復帰して3場所目の9月京王閣オールスターで再度落車の憂き目にあってしまう。
「5月の別府では、肩鎖関節の脱臼と肩甲骨の骨折で、やっと復帰できたと思ったらオールスターの特選で落車。無事に走り終えようと思ったレースだったのに、まさかの鎖骨骨折でした。それに大事なオールスターの特選スタート、一番ケガをしたくないところだったのに落車をしてしまったことはガッカリでしたね」

記念では決勝の常連に次はビッグの決勝を目指す
 だが、ケガの連続にも心は決して折れなかった。当時の心境を淡々と振り返る。
「鎖骨骨折も、普通にすぐ復帰できるように出術しました。選手には、もっと大きいケガをする人もたくさんいますからね。自分はまだケガ自体は小さいほうのケガだったと思うし、強い選手はみんなケガを乗り越えて、必ず同じところまで戻ってきます。自分も頑張れば戻れるという感じで、ケガは言い訳にはできないですから。メンタルですか? 弱くはないと思いますね。昔は緊張してレースに挑んでいたのに、今はやる気で、気持ちが入った状態でレースに挑めています。緊張していたらパフォーマンスは上がらないですし、緊張から気合いに変わって、レースに取り組んでいる感じです」
 昨年末には、久留米FIで優勝を飾った。このときには、復調の手応えを掴んでいた。そして、1月の和歌山記念を迎える。
「調子的には、ケガあけの11月~12月頭はあまり良くなかったですけど、12月の後半レースくらいから感じが良かったので、ケガをする前の状態には戻っていたと思います。でも手応えはあったんですけど、記念を優勝できるとかは思っていませんでしたよ。決勝に乗ってみて、そこでようやく優勝は狙うもので、最初から優勝を狙っていける実力ではまだないと思っていましたから。チャンスがあれば獲れるのかなと、そのくらいの脚の状態ではありました」
 初日特選では新田祐大と連係した。新田のダッシュに連係が崩れるが、直線で一気に伸び返して1着。優秀2着、準決勝1着で決勝に駒を進めた。マークするのは準決勝同様に田中晴基。だが、相手は稲垣裕之-村上義弘の近畿勢に、新田祐大や池田勇人など強力な自力屋が相手、どういった手を打ってくるのか注目された。
「初日は連結が離れて、前の選手にも、お客さんにも迷惑をかけたので、良いレースとは言えないですけど、最後に内や中に突っ込んでいく、自分の持ち味はああいう感じのレースです。決勝は、田中晴基は先行もできるし、前々に踏めるし、作戦的にも立てやすかったですね。ガムシャラに先行する感じだと、必ず4番手には格上の選手がいるので、それなら後手を踏まないように、何が何でも先行ではなく、持つ位置なら駆ける、持たない位置だったら前々に踏んでラインで決めるような組み立てでした」
 地元・近畿勢の主導権で、田中は3番手を確保。捲りにいったところを村上が牽制し、そこで内にスペースが出来た。林は、それを逃さなかった。
「晴基の前々に進む姿勢で、自分にもチャンスが出来て、獲らせてもらった感じです。一回目の牽制で様子を見て、瞬時に見極めたというか、ガラ空きになったので入りました。優勝したときは、正直『あ、獲れちゃった』という感じでしたね。FIで優勝るときもそうなんですけど、ゴール後に大きいガッツポーズとかはほとんどしないので、平常心で『あ、獲れちゃった』と(笑)」
 デビューから16年目での記念初優勝だった。近年の活躍は目覚ましいものがあるが、ビッグレースに出るようになったのは意外にも2010年から。S級初優勝を決めたのも、その年だった。
「それまでは、はっきり言って練習不足でした。4年前から平塚競輪場に入って、コツコツ練習するようになってからですね。特にキッカケはないんですよ。元々は花月園がホームバンクでしたが、平塚の方が近くて行ける距離だったんです。それにバンクにいけば必ず練習相手がいて、ひとりでは練習できないタイプなので、環境がすごく良かったです。脚の状態も、自信もないと、強い気持ちでレースに挑むことができないと分かったし、練習でタイムが出たり、ちゃんと通って練習していると強くなって、どんどん楽しくなっていく相乗効果はありましたね」
 その切れ味鋭い追い込み脚と、強気なコース取りは南関地区、そして全国でその存在感を増していった。大ギア化が叫ばれて久しい昨今の競輪界だが、トップ級の追い込み選手としてはどう捉えているのだろうか。
「あまり横にガツガツいく牽制よりも車間を切って、ギアを活かした感じのアシストみたいな感じでやっていますね。ただ大ギア化で、ちょっと前なら7~8番手からでも2~3着くらいまで入れるなと思ったところでも、みんなギアをかけているので、前ほど最後まで届かないんですよね。周囲がかけているので、自分も今はギアをかけていますが、ずっとやってきた軽いギアの方が自分は大歓迎なんですけどね」
 そして話は理想の追い込み像に及ぶ。ファンの目線も意識した走りに全力を注いでいく。
「追い込みとして、あまり離れることはないんですけど、最近では新田祐大と連結が離れたり、まだまだライン戦で未熟な部分があります。追走が遅れたり、牽制もちょっとした隙に横に並ばれたり、細かい部分ですけど、そういうところを超一流の選手はそつなくできているんですよ。ちょっとまだ、そこは足りない部分はありますね。アシストして前とワンツーを決める、みんなそれを思っているとは思いますが、あとはたとえ後方になったときも、諦めないレースですね。自分は競馬をやるんですけど、スタートしてから何もしないでゴールというのはガッカリする部分もあるので、見せ場を作って諦めない姿勢は持たないとダメですよね。買っている選手が何もせず9番手だったら、それはお客さんにも失礼なことですし。そこについては、脚力がなくなったとしても、気力が持つ限り、最後まで一生懸命頑張りたいと思います。自分が突っ込んでくると予想して買ってくれる方もいらっしゃるので、その気持ちは持ち続けたいですね」
 記念優勝は今年の目標でもあった。そして、もうひとつ自分に課している目標がビッグレースで決勝に乗ることだ。
「ビッグの決勝は今年の目標だし、展開が向けば、乗れる脚はあると思うので、しっかり乗れるように頑張りたいですね。超一流の選手とはまだ違うなと思う部分はありますけど、ビッグの決勝メンバーを見ていると、自分も負けていない、変わらないと思える選手も乗っているので、上位との差はないと思っています。それに今の南関地区は元気が出てきて、追い込みも高木(隆弘)さん、勝瀬(卓也)さん、松坂(英司)さんと元気で、みんなが刺激し合って、相乗効果で頑張っていると思います。それに自分も乗り遅れないようにしたいですね」
 記念を勝ったことで、ひとつステップを上がることが出来た。これからもファンの期待に応えるべく、最後の最後まで諦めない走りを貫き通す。
「お客さんの声援は厳しいときもありますけど、自分の中では一戦一戦、どんなレースでも全力で一生懸命最後まで走っています。温かく見守ってほしいと思いますね」
林雄一 (はやし・ゆういち)
1978年8月26日生まれ、35歳。身長174㎝、体重70㎏。練習は「午前中からお昼まで平塚競輪場で練習して、そこで出し切って、午後は自分の好きなことをやっている感じですね。練習量としては少ないですけど、集中して出し切っているので、それだけは負けていないと思います」