インタビュー

完全復活の優勝劇だった。9月11日から5日間にわたり熱戦が繰り広げられた第57回オールスター競輪(GI・前橋)は、武田豊樹が12年・競輪祭以来となる5度目のGIタイトルを奪取した。ファンの期待に応え、結果を出し続ける。その使命を改めて胸に刻み、王者の走りで競輪界をリードしていく。
準決勝は自分の走りをして気持ちを高めていきました
 自粛欠場から戦列復帰したのが8月のサマーナイトフェスティバル(GII・松戸)。そのサマーナイトは決勝2着も、続く小田原記念は3勝を挙げるも準決勝5着で敗退、富山記念では初日特選で失格を喫するなど歯車は噛み合っていなかった。3月の日本選手権以来となるGI戦・オールスター競輪を前にして、調子は「あまり良くなかったですね」と吐露する。
「腰痛もひどかったし、あまり練習でも何かを確かめられる感じではなかったです。でも振り返ると、いつもGIを獲るときはそんな感じで、すごく良い状態で入って(GIを)優勝したことは無かったんです。そこは慣れていると言いますか、自分の体は自分が知っていますから。ひどかった腰痛も、いつものことだなという感じで、うまく付きあっていきながらでしたね」

第57回オールスター競輪の決勝ゴール
(2)武田が5度目のGI優勝を決めた
 武田の登場は2日目の特選予選10レースから。関東4車で並びが注目されたが、武田は後輩を前に回しての4番手。だがレースでは、前を任せた芦澤大輔、牛山貴広が先頭員追い抜きでともに失格。武田は4着に終わった。
「初日は事故が起きてしまって残念でした。残り3周の時点で、何となく自分でも分かっていましたが、うまくライン競走ができずに、一度も踏めなかったです。ああいう形の競走になってしまってファンに迷惑をかけてしまいました」
「複雑な思いで迎えた」という二次予選は、池田勇人と連係。その池田が積極的なレースで主導権を握ると、番手からまくりで抜け出して1着入線を果たした。
「池田君も活躍して、ドリームレースに選ばれている選手ですし、その池田君が自分をリードしてくれる形のレースをしてくれました。人気に応えられたし、池田君が頑張ってくれたおかげですね」
 そして今開催のポイントとなったのが準決勝だった。今回は武田-平原康多での並びで挑み、プレッシャーの中、見事にワンツーを決めた。
「平原君とは前後が変わりますけど、僕の中では、これからは番手を回るとも決めていないですし、まだ前を走る気持ちもあります。ここまでの2日間の競走を自分で評価したときに、どうかな?と。これで決勝にいっても勝てるのかなという気持ちがありましたから、準決勝で自分の走りで決勝にいって、気合い、気持ちを高めないといけないなと思いました。関東地区の開催で、準決勝の最終レース、すごく責任があると思っていましたしね。相手を見ても決して僕たちの方が力が上だというメンバーではなかったし、とくにあのメンバーでは、稲垣(裕之)君は全国的にも強いし、ライン競走のお手本のような選手ですから、すごくきついメンバーだなと思っていました。でも、準決勝を自分の力で勝つということは、決勝でも戦えるという自信につながると思うし、決勝だけ力で勝負しようと思っても、そんな甘いものではないと思うんです。すごく自分の中でもプレッシャーがあったけど、相手にもプレッシャーになるし、そういう中で結果を残せたことが嬉しかったですね」
 勝ち上がった決勝では、武田をはじめ、平原、神山雄一郎、天田裕輝と奇しくもサマーナイトフェスティバル決勝と同じ関東4車が揃った。サマーナイトでは連係したが、今回の選択は違っていた。「そうですね。サマーナイトでは、あのメンバーで失敗しているし、天田君が自分の競走をしたいということで、自分は迷うことなく、自分で走るという感じでしたね」と、武田-神山、天田-平原と別線勝負となった。
 迎えた決勝、武田は一番人気に推された。レースでは井上昌己が打鐘で先頭に立ち、そのまま先行態勢に入っていく。徹底先行型ではない井上のスパートは意外な展開に思えたが、武田は瞬時に対応する。
「相手に先行回数、バック回数がないからといって、それで判断をする、そういうことはあまりしないんです。その一戦、そのメンバーでなら先行した方が堅いと思う選手もいるし、その辺は僕も経験してきていますから。決勝は自分でも駆けたい気持ちだったし、先行するという気持ちもあったから、レースに関しては怖くはなかったです」
 最終ホームではあいた3番手に一旦入り、最終2コーナーからまくり発進。井上マークの岩津裕介も合わせて踏んできたが、最後は力でねじ伏せて12年の競輪祭以来となる約2年ぶりのGI優勝を決めた。
「動きが何回かあって、僕が理想とする位置にはならなかったので、こうなったら外に踏むしかないと思いました。後方になるような位置でしたからね。あのまま前までいく気持ちで踏んでいましたけど、3番手があいていたので一度入って、そこからまくりにいったという感じです。でも、やっぱり外に踏んでいたことですごく脚力を消耗していたし、その中でのまくりだったので、きつかったですよ」
 久々のGI優勝は、喜び以上に「安堵」が大きかったという。
「(決勝は)自分が理想とする勝ち方からすれば、自分ではどうかな?と思いますけど、(神山雄一郎との)ラインで決まったことが、お客さんに一番喜んでもらえることだと思っているので、お客さんの人気に応えられた、そのことにホッとはしました。なかなか今の競輪競走では、ラインで決まることが少ないですしね。(優勝は)もちろん嬉しいですけど、GIのタイトルがひとつ増えたという喜びは、もうそこまで無いですね。一戦一戦、戦っていくことは本当にきついですから。終わって、力を出せて、結果も出せたことにホッとしています」
 同時に、優勝インタビューでも語っていた通り、「走れる喜び」を感じた。
「もちろん、そうですね。それでお客さんが支持してくれる中、大舞台で結果を残せたということは嬉しいです。また、今度の自分の車券を買ってくれると思いますし、またそこで結果を出すことが大切になってくると思います。やっぱりお客さんに頑張れと言われるのが一番ですからね」
選手としてどう走り、どう競輪を見てもらうかが大切
 今年で40歳。だが、その走りは充実一途だ。まだまだ強くなる、そんな思いをファンに抱かせる。
「競輪は総合力でしょうけど、脚力よりも必要なものもたくさんあると思います。昔は勝ちたい、勝ちたいばっかりでしたが、最近はそこまでそういう思いは無くなってきた感じですね。自分が選手として、どういう走りをして、どう競輪を見てもらうか。それが一番大切だと思うので。見ていて、楽しんでもらえる走りというものをやっていかないといけないです。そこには何が必要かと言うと、苦しい練習しかないんです。脚力はなかなか付いていかないので、日々の努力次第だと思います。もっと強くなろうとしたら、いろんなことにチャレンジして、いろいろな失敗をしないといけないと思いますが、肉体面でもケガは付き物だし、自分は普段のトレーニングでも気を入れ過ぎるとケガをしてしまう。そういう年代にも差しかかってきていますから。負けることも多いと思いますし、負けて悔しい気持ちが練習に繋がってくると思うので、その辺のバランスをうまく自分で取りながら、体作りでもケガが無いように、新しいものにもチャレンジしたいと思います」
 大ギア化が加速していった競輪界。その流れにも対応しながらも、今までの「競輪道」をしっかりと全うする。この軸がぶれないところに、高い支持が集まるのだろう。
「スピード競輪と言っても、僕はあまり信じていないですし、そこまで考えたこともないんです。競輪には歴史がありますし、その歴史の中での走りが一番だと思っていますから、そういう練習もものすごくやっています。自分で評価するところではないですけど、マスコミの方や、いろいろな選手の方が、普段の競走を評価してくれるのは嬉しいですね」
 ただ勝つだけではない。王者として、強さや巧さはもちろんのこと、見る者すべてを惹きつけていくような、そんな競輪の究極を求めていく。
「オールスターの優勝は感謝の一言です。さらに自分らしい走りが一戦でも多くできるようにこれからも努力していきますので、また応援していただければと思います」
武田豊樹 (たけだ・とよき)
1974年1月9日生まれ、40歳。身長178㎝、体重88㎏。在校順位は32勝で3位。練習は「午前中はほぼひとりで練習をしていて、午後はバンクに行ったり、街道に行ったりと決まってはいないです。次のレースに向けて決めていく感じですね」