今年最初のGIである2月の全日本選抜競輪(静岡)は、山崎芳仁が渾身のまくり追い込みで混戦を制した。ギア規制がスタートした一発目のGIで「4回転モンスター」と称された山崎が優勝するというドラマティックな展開となった。いかにしてこの復活劇は生まれたのであろうか。
体のリズム、踏み方に4倍前後が一番合っていたのかも
9つ目のタイトルは「懐かしさ」をまとったものだった。今年のビッグレース戦線の幕開けとなる2月・全日本選抜競輪(GI)。ギア倍数の規制がスタートして最初のGIとしても注目されたが、1万人を超えた静岡競輪場の大観衆の前で「復活劇」を成し遂げたのが山崎芳仁だった。
「ここ2年間はずっと成績がイマイチ低迷して、昨年は記念を3回優勝したんですけど、GIの決勝も1回だけ。タイトル戦線から遠ざかっていたので、ある意味、(優勝は)懐かしい感じはしましたね」
2月全日本選抜競輪の決勝ゴール
(4)山崎が大外強襲で混戦を制した
初日から動きの良さが際立っていた。一次予選はまくりで後続を7車身も引き離す圧勝。二次予選は守澤太志と連係して3着で突破し、準決勝は桐山敬太郎の一発には屈したものの2着で決勝に駒を進めた。
「調子自体は練習でも良い感じだとは思えなくて、疲れだけは取って一次予選を走ったんですけど、体も動いていたし、タイムも良かったので、思ったより調子が良いことに気づきました。それが初日の感想でした。二次予選は守澤君が本当に頑張ってくれて、そのおかげですね。準決勝は、川村(晃司)さんか僕のどちらかが武田(豊樹)さんを中団でフタするしかないなとは思っていたので、ある程度は想定通りでした」
決勝は平原康多-武田豊樹-岡田征陽と強力なラインを築く関東ラインが一番人気に推された。山崎は後ろ攻めを選択し、「優勝」を手繰り寄せるべく勝負に出る。
「調子も4日目で段々分かってきたことだし、疲れさえ取れていれば良い勝負ができると思っていました。関東がどうでるか分からなかったけど、自分は自分の競走をするしかない。僕は(番手で)粘ったりするタイプではなく、力を出し切って終わるタイプだから、関東勢の動きは気になったけど自力で仕掛けるしかないなと。最初から後ろ攻めにして、単騎の人もいたので、僕が早めに動けばレースもゴチャゴチャになるかなと思っていました」
レースは関東勢が主導権を握る流れになる。山崎は最終ホーム8番手になるが、冷静に状況を見極めていた。
「もうあれしかなかったので、優勝するには。もし中団を取ったとしても稲垣(裕之)さんや単騎の人と絡んでは意味がないし、思った通りの展開といえば、思った通りですね。あとは浅井(康太)君がどこでいくかを見ていたんです。そうしたら早めにまくりにいったので、それだけは助かったかなと思います。無我夢中でしたが、4コーナーを回って、もしかしたらとは思っていました」
12年9月のオールスター競輪(前橋)以来、9度目のGI優勝だった。「低迷していた」と語るこの2年間、その要因はどこにあったのだろうか。
「自分が弱くなったんだなとしか思っていませんでした。あとは周囲もギアを上げて来て強くなってきましたしね。目には見えないですけど、ニュートラルに入る早さが変わってきたんです。前だったらすぐ入ったんですけど、ここ最近はすぐ入るということがなかったので、そういう意味でも力が落ちてきているのかなと。普通、人間は落ちていくものなので自分の中では仕方ない現象だなと思いましたけど、疲れを取りながら、それをどうやって練習や技術で補っていくか。応援してくれるファンのためにも試行錯誤して頑張ってきました」
その最中、今年1月からギア倍数を4.00未満とする規制が決まった。これに山崎は即対応。「すべてのイメージを一度捨てる」レベルでの変革に打って出た。
「ギア規制がある1カ月くらい前から街道練習の乗り込みは増やしました。軽いギアだとスカスカしてしまうと予想して、とりあえずスカスカした状態からでもひっかかるように、脚を使った状態でモガキたかったので、乳酸を溜めてからのモガキに変えました。ギアが軽くなる=(イコール)練習しておかないといけないと思ったので。それに、今までのフレームも、踏み方も変えました。今までは後ろに蹴って踏んでいましたけど、前に送り出すように蹴るようにしたら上手くいきました。なかなか難しかったですが、たまたま噛み合ったんだと思いますね」
もちろん多くの選手がまだまだ試行錯誤している段階だが、山崎にとって大きな収穫だったのが今年初戦の1月・大宮記念だった。
「大宮で今のギアを初めて使ったんですけど、スカスカする感じが全くなかったので、トレーニング次第ではうまく噛み合ってくれるかなと思っていました。なにしろ初めてだったので、競走して見なくては分からなかったんですけど、1走してギアが軽い感じもまったくありませんでした。スカスカしなかったこと自体、僕自身がびっくりしていたんです。とくに初日(特選)、動いて(中団を取って)から深谷(知広)のことをまくり追い込みできたんですが、スカスカしていたら飛び付けなかっただろうし、前も抜けなかったと思うので、意外にいけるなと思っていました」
4回転をいち早く取り入れ、時代の寵児のごとくタイトルを量産した山崎。その後、超大ギア時代へと突入していった。だが、今回のギア規制で改めて発見したことも多かったと言う。
「このギアでは一瞬でスピードに乗る感じがします。今までの僕の場合、後半伸びていたので、前半で一回スピードに乗るという感覚はあまりなかったんです。僕は初速も良い方ではないので、新鮮な感じでしたね。もしかしたら自分の体のリズム、踏み方には4倍前後が一番合っているのかなと思います。みんながギアを上げていったから自分も上げていったんですけど、結果的に力で踏んでいて、体のリズムでは踏めていなかったのかなと思います。またトレーニングを考えたりして、いろいろ挑戦していきたいと思います」
今回の優勝で、今年一番乗りで年末のグランプリ切符を掴んだ。ゴール線をトップで通過した直後、何よりまず思い浮かんだのは「グランプリの大歓声」だった。
「優勝した瞬間に、グランプリが思い浮かんだんです。やっぱり嬉しかったですね。あの大観衆の中で走る、それが忘れられなかったんです。グランプリは小さいころから目指していた夢でしたからね。でもこの2年間は、正直グランプリに乗れる位置にまで来ていませんでした。ちょっと遠ざかってしまって、なんだか悔しさもあまりなく……。接戦だったら『惜しかったなぁ』とか『あとちょっとだったなぁ』と悔しさもあると思いますけど、そこまでも行き着いていませんでしたから。今回は『またグランプリに出られるんだ』という思いしかなかったです。GIで噛み合ってくれたのが選手として一番ありがたいし、今回に限ってはうまくいったのかな」
自転車を、そして競輪をこよなく愛する山崎。日本選手権を勝てば、グランドスラムも達成する。新たな時代を迎えた競輪界においても、パイオニア的存在として光り輝き続けていく。
「(グランドスラムは)そんなに意気込んでないというのが正直なところで、もともと意気込むタイプでもないですからね(笑)。ファンが望むレースをしないといけないし、また今回みたいに確定板を外さないように、ファンの車券に貢献できるようにこれからも努力して頑張りたいと思います」
山崎芳仁 (やまざき・よしひと)
1979年6月12日生まれ、35歳。身長174㎝、体重85㎏。練習は「若い頃は本を読んだりして決めていましたが、今は『直感』です。これだけやっていけばある程度競走で出るなという経験はあるので、それさえやっていけば、ぶれることはそんなにないですね」