インタビュー

第66回高松宮記念杯競輪で久々のGI決勝進出をした松岡貴久。そこで感じたもの、また、これから松岡が目指していくものとは何なのだろうか。
高松宮記念杯を走って、色々と足りないところが見えたので、そこをちゃんと補強していきたいと思います
 松岡貴久は、6月18日から21日に岸和田で開催された高松宮記念杯競輪(以下宮記念杯)で、2011年の日本選手権以来のGI優出を果たした。宮記念杯を振り返ってもらうと
「疲れました」
と、まず、そのひと言返ってきた。率直な本心だろうが、その飾り気のなさ過ぎる言葉に松岡らしさを感じた。
 一次予選は4着、二次予選3着とギリギリの勝ち上がりだった松岡。
「今回は準決勝には行きたいなと思っていたので、そこはクリア出来ました。でも、自力という自力は出していないから、後ろの先輩には悪いことをしたというか、自分だけ勝ち上がったので、スッキリはしてなかったですけど…」
 確かに自力ではなかったが、一次予選は後方8番手から最終4コーナーから追い込んでいるし、二次予選は空いていた中団に追い上げて4番手を取り、吉田敏洋が捲ってくるのを上手くけん制しながら、追い込んでいる。要所、要所の勝負どころを逃さない動きは、必要最低限の動きで狩りをする隼のよう動きだ。しかし、前を任された責任と自分の動き、その間の葛藤は尽きないのだろう。

第66回高松宮記念杯競輪準決勝後
 準決勝戦、単騎の松岡は稲垣裕之-稲川翔の近畿ラインの後ろからレースを進めた。最終3コーナーで、近畿ラインが捲っていくと、それを神山雄一郎と飯嶋則之がブロックにいき外へ膨らんだその瞬間、松岡は空いた内を一気に突いていった。降りてきた飯嶋を飛ばし、バンク中団を踏んで行った。直線は渡邉一成も外を捲り追い込んできていて、ゴールでは接戦だったが4分の1車輪差で勝ち、3着に入り決勝戦進出を果たした。
「だいたい流れの予想はついていたので、あとは集中して走っただけです。あれも考えていたことの1つでした」

6月高松宮記念杯・決勝戦、(6)松岡。
 そして、迎えた決勝戦。メンバーは平原康多と武田豊樹の関東の3番手を固めた佐藤慎太郎、そして脇本雄太、稲垣裕之、村上義弘の近畿、さらに松岡、岩津裕介、石井秀治が単騎と難しい細切れ戦のメンバーになった。レースは脇本が赤板から先行。4番手から平原が捲っていくが、それに合わせて稲垣が捲り、捲り切れなかった平原は村上のところへ降りて、村上を抑える形になった。それを見た武田が平原の番手から捲っていって、優勝を決めた。松岡は、初手は近畿の後ろにいたが、脇本が踏んだ時に離れてしまい、空いていた6番手に入った。武田-佐藤の捲りを追走していったが結果6着だった。
 レース後、松岡は「近畿を追っていくって決めたけど、離れました。……リカバリーをできるところは他にもあったけど、完全に脚不足でしたね」と切れ切れに、言葉少なく語っただけだった。
 改めて、インタビューであの決勝戦を振り返ってもらうと、あの時の悔しさを話してくれた。
「チャンスは来たけど、それを活かす脚がなかったので、ちょっと…、なんか…、恥ずかしかったと言ってはあれですけど、そんな感じでした……。
 決勝は、チャンスがないメンバーとか、流れではなかったと思うので、それを活かす脚がなかっただけなので、次にチャンスが来た時にちゃんと狙えるだけの脚をつけておかなきゃいけないなっていうのは感じました」
 自分のレースを恥と言った。それは、ただの後悔だけではなく、自分への叱責や、もっと複雑な心境だったことは想像にかたくない。でも、そこから次へのステップになるものを松岡は見つけた。
「宮記念杯が終わってから、練習を見直しました。やっぱり色々と足りないところが見えたので、走っていて。そこをちゃんと補強していきたいと思います」
 2005年7月にデビューし、2007年には特別競輪に参加、すぐに特別競輪に定着し、2011年の日本選手権で初めての特別優出をすると、共同通信社杯春一番、共同通信社杯秋本番と決勝に乗った。あの頃と今と変わったのはどこだろうか?
「やはり脚が落ちているので、今回もちゃんと動ける脚なら違ったかもしれないので…。ケガとか色々とあるのはあったんですけど、気持ちが一番デカいとは思います」
 最近は、バック数も2本(6月29日現在)と少なくなって、決まり手も逃げ0%、捲り64%、差し27%となってきたが、今の松岡選手の戦法についてどう思っているのだろうか?
「理想は、昔みたいに先行捲りで勝ちたいんですけど、なかなか思ったように自転車が進まないから、その中で出来ることをしているだけですね」
 練習については
「まぁ、練習は変わらずにしていたのはしていたけど、やっぱり何か足りないんじゃないかなと思って。練習のやり方とか、周りは進んでいるけど、自分はあんまり変わってなかったから、感覚だけでやっていたので」
 感覚というのは松岡を語る上で逃せないキーワードではないだろうか。感覚の鋭さがレース勘となり、感覚のせいで昔の走りと今の走りのギャップに苦しんでいる。
 今後の目標を聞くと「まずは、そのシリーズ、そのシリーズをきっちり走り切ることですね。そこが今一番です」と答えてくれた。
「最近はだいたいFIの決勝上がれるようになりましたね。一時期は…、昨年の前半なんかは1回も決勝に乗ってなかったですからね。
 また、ちょっとずつ調子が戻ってきているので、それを崩さないように、まずは無事に走り切ることですね」
 飛ぶ鳥を落とす勢いで強くなっていった松岡を苦しめた落車とケガ。そこから徐々によくなってきている今だからこそ大事にしたい気持ちはわかる。
 それと同時に、やはり特別競輪への想いも松岡を奮い立たせてくれる。
「同県の先輩・中川誠一郎さんも調子がいいので、もし、2人で一緒に特別に乗れたら、どっちかチャンスはあると思うし、頑張りたいと思います」
 その時はどちらが前?
「僕はどっちでもいいので、メンバーを見て、先輩がやりたい方で決めます(笑)」
 その目標のためには、一歩ずつ自分を戻していくしかない。
「とりあえず確定板に乗れるように、ちゃんと最後までゴール出来るように(笑)、頑張ります!」
 本来の自分の走りを取り戻していくことは容易ではないだろう。自分に足りないものを補強していった松岡がこれからどんな走りを見せてくれるか楽しみで仕方ない。
松岡貴久(まつおか・たかひさ)
1984年5月27日生まれ、身長178cm、体重76kg。ギア規制については「別に重いのも踏めていたし、軽いのも回せているので。自転車の進み具合が戻れば、ギアは何でもよかったので、僕は」と松岡選手には問題ないようです。