インタビュー

7月17日から20日に弥彦競輪場で行われた寬仁親王牌で、初タイトルの栄冠を手にした園田匠。『33歳までタイトルを獲る』という目標を達成した園田が、次に目指すもの、また、師匠の吉岡稔真氏への想いなど語ってもらいました。
これからも、貪欲に、気持ちだけは負けないように狙っていきたいと思います
 初タイトルを獲った今、ここまでの競輪人生を振り返り、園田匠はこう答えてくれた。
「自分が目標としてきた通りにことが進んでいると思います。色々と大変なこともあったけど…、こんなに落車するとは思ってなかったし、こんな怪我もすると思ってなかったので、その辺は辛かったですけど、でも、獲れたことを思えば、そのための苦労してきたんだなと今はそう思えますね」
 優勝インタビューで『33歳までに獲ろうと思っていた』と言っていましたが、なんで33歳だったのだろうか。
「そこをピークにもってきて、33歳で年齢的にも獲ろうって整体の先生とかと話しながら決めていたんです。今回の親王牌がラストチャンスだったので、新聞の記者さんとかにも『33歳で獲りたい』って言っていたので、獲れてよかったです。
 33歳でというのは何となくですね。長い目で見て、選手生活を考えて、そこらへんがピークかなって。その前に獲れればいいですけど、33歳をピークにもってくればいいかなっていう感じでした。
 でも、そうやって自分に言い聞かせてないと、そうは上手くいかないので。言わないと何も叶わないですからね、常に言い聞かせて、『タイトルを獲る』って言いながら、馬鹿にされながらきましたけど」
 漠然としているようでも、でも、獲るんだという強い気持ちで臨んでいたそうだ。

 園田にとって、ギア規制も大きな追い風になった。
「33歳で獲るって決めていたけど大ギアブームがきて、ここ数年間低迷していたのは大ギアに対応出来なかったというか、あえて、してこなかったっていうか、皆、セッティングを変えたり、自転車を変えたりしていたけど、大ギアを踏めるようになるまで自分の今までやってきたスタイルは変えたくなかったので、それで大ギアへの対応は遅れてしまって。成績を残せなかったけど、3.92に戻って急激によくなっているので、ギア規制は自分にとって追い風になったと思います。3.92が自分の一番得意なギアで、リズムに合うギアなんで まず、ダービーに向けて仕上げていったんですけど、初日に落車してしまって、でも、その後に1着1着を取ったんで、3.92でやれるっていう手応えはありました。高松宮杯も準決勝で落車してしまったので、それ以外は3連対していたので」
 獲るべくして獲ったと言える。
「獲るつもりでやっていたので。でも、皆そのつもりでやっていますからね。漠然と『獲れたらいいな』で獲れるようなものじゃないですから。皆、狙っていますからね!」
 その中で獲ったということは園田の気持ちが、それだけ強かったということだろう。
「その一戦に集中していたことだと思います」
 決勝戦の発走機についた時はどんな気持ちだったのだろうか。
「気持ちよかったですね! 人に見られていた方がというかテンションがあがるので。むしろFIの準決勝とか負け戦とかの方が緊張しますね(笑)。決勝戦の方が開き直ってじゃないですけど、思い切ってというか、一つのことに集中出来るので。
 ダービーの決勝に立った時もですけど、あそこに立っている価値はあるかなっていう気はします」
 決勝に乗らないとタイトルない。
「そうです。だから、準決勝の方がガッツポーズしていた感じはします(笑)。決勝にいけば、一発勝負なんで、誰にもチャンスあるし。でも、決勝に乗らないと獲る権利はないですからね」
 これからの目標は何だろうか?
「これからも自分は泥臭いレースで、いつも通り自分のスタイルを通していくことは変わりないですね。タイトルホルダーって肩書きはつくかもしれないけど、急に強くなったりはしないので、今までと同じように自分は自分の努力をして、貪欲に、気持ちだけは負けないように狙っていきたいと思います」
 親王牌を優勝し、グランプリの出場権を得た。園田にとって、グランプリはどんなレースだろうか。
「いつも通りです。グランプリもFIも一緒なので。買う方からしたらグランプリの1走も、目の前の1走も変わらないと思うし。自分は調整して強くなるとは別に、日々の努力だと思っていますので。
 でも、師匠は『あの場に立ったら、もう1回走りたくなる』って昔からずっと言っていたので、そのために1年間やっているって言っていたくらいなんで、自分もやっとそこに立てるので、そこに立ったら自分もわかるんじゃないかなっていう楽しみはありますね。
 師匠が引退した時に、グランプリを目の当たりにしたんですけど、あの声援の中を自分も走りたいって思っていましたから、そこに立てるのは嬉しいですね。自分は人が多い方がテンションあがりますから」
 園田にとって師匠・吉岡稔真氏はどんな存在なのだろうか。
「僕の人生の全てです! はじめたきっかけもそうですし、師匠がいたから獲れたと思います。
 師匠も自分も多く語るタイプではないので、常に怒られてばっかりです(笑)。弟子の中で一番怒られていると思います。普段の態度もそうですし、高校生の頃からお世話になっているので、かなり一番迷惑かけていると思います」
 父のように尊敬する存在なのだろう。
「そうですね、(不動會は)血はつながってないけどファミリーですから」
 不動會の仲間である小川勇介は、園田の優勝を確信した瞬間に満面の笑顔になったが、小川からはどんな声をかけられたのだろうか、
「『おめでとうございます』くらいじゃないですか。人が言うほど、そんなにねぇ。やっぱり師匠がいっぱい獲っているから、タイトル自体をそんなに、じゃないですかね。でも、自分が獲ったことで、小川も十分獲れるってことを証明出来たと思うので、やる気になったんじゃないかと思います。言葉でというより、気持ちを受け取ってくれたんじゃないかと思います」
 その気持ちが不動會という感じがする。
「師匠も多くは語らないので、姿で見せてくれましたからね」
 不動會の仲間はどんな存在?
「さっきも言ったように、ファミリーですね。師匠を頂点としてファミリーです。他の練習グループとは一線を画していて、うちはただの師匠と弟子っていう感じではないですね。今だに師匠からは『タイトルを獲る気がないなら辞めろ』って、僕も小川も言われています。『その気がないなら手帳を持って来い』って言われています。簡単に師匠を辞めたり、グループを変えたりする人もいるけど、自分のたちは師匠を変えるくらいなら選手を辞めるくらいの気持ちですよね。選手になる時から人生を全て師匠に預けている感じです。
 だから、なおさら言われたことは絶対にやらないといけないので。でも、それがあるからやっていけているところはありますよね。力は他の強いS級の人たちに及ばないですけど、獲らなきゃいけないっていう使命じゃないですけど、気持ちだけは負けてないと思います」
 だが、気持ちで負けることが一番いけないこと。
「100回走って、真っ直ぐに走ったら1回も勝てない…、その自信はあります(笑)。でも、競輪だと万が一勝つことはあるので、その一を勝つために練習しています。そう自分に言い聞かせて練習していますから。その1回で今回は獲れたと思うので、獲れる時に獲れましたね。
 これからも僕は泥臭くいきます。努力すれば獲れるっていうことを見せられたと思うので、今、小倉の若手たちが、九州の若手が低迷しているので、自分が獲ったことで、『自分も獲れるんじゃないか』っていう気持ちになってくれたと思います。例えば、(中川)誠一郎さんが獲る分には『獲ったか』ってなるだろうけど、自分が獲ったことで、『自分も』って、少しでも周りの皆の気持ちが乗ってくれればいいと思います。
 ファンの皆さんの応援のおかげでタイトルを獲ることが出来ました。他のタイトルホルダーに比べられると力はありませんけど、一走一走にかける気持ちは負けないつもりです。一生懸命頑張りますので、応援してください」
園田匠(そのだ たくみ)
1981年9月22日生まれ、身長168cm、体重73kg。親王牌決勝では大塚健一郎と小倉竜二にアドバイスをもらったそうだが、どんなアドバイスだったのだろうか?「そこは企業秘密です(笑)。控え室が、四国勢と近いので、小倉さんとよく話したり、大塚さんも不動會の仲間なので。大舞台を踏んでいるお二方だし、小倉さんはタイトルを獲っていますからね。色々とですね」