インタビュー

競輪祭で初めてGI準決勝に進出した和田真久留。また、ナショナルチームで世界を目指して頑張っている和田にリオオリンピックへの思いや、皆が気になっている名前の由来、チャレンジ・ザ・オリンピックの懐かしい思い出などを語ってもらった。
両立することは難しいけど、それを目指して頑張っていきます!
「二次予選は思い描いてない展開だったので、良過ぎる展開でしたね(笑)。最終日は、二次予選でうまく海老根(恵太)さんと2人で決められなかったので頑張りたいなと思っていたんです。でも、相手も初日特選からの2人で、深谷(知広)さんや池田(勇人)さんが相手で難しい中だったんですけど、主導権を取れて、海老根さんの1着に貢献出来たので、自分の現状では最低限の仕事は出来たかなと思います」

 二次予選、赤板から動いた早坂秀悟が先行し、3番手にはまった和田。直線追い込んで1着になったが、レース直後にも「こんな展開になると思わなかったですね。でも、こうなるんだったら海老根さんと決めたかったです」と言っていた。その思いもあり、最終日は再び海老根と連携し、打鐘から先行した。

和田真久留 神奈川・99期
 準決勝はどうだったのだろうか。
「前のライン2つが発進、発進だったので、僕もホームくらいで緩んだら行こうと思っていたんです。それで、緩んだって思って、行こうとしたら、深谷さんが内に行くか外に行くかわからなくて、深谷さんが外にやめちゃうのか、後ろが金子(貴志)さんだからへばりついて勝負するのかわからなくて、それを見ちゃって行ったから遅れてしまって、前の村上(義弘)さんも金子さんも出て行ってしまいました。難しかったですね…。もっと自分でレースを動かせって言う人もいますし、もっとガマンしてバックから捲っていけば行けたんじゃないかって言われますし。でも、初めてGIの準決勝の景色が見られたので、次は決勝の景色を早く見なければいけないって気持ちになりました!」

 近況の南関は、他の関東や近畿に比べると少し勢いがないのが現状だ。
「最近のGI決勝は寂しい感じになっているので、記念の決勝やGI決勝になると他の地区に比べて寂しいから、その辺は僕や同県の郡司(浩平)くん、他の若い力で盛り上げていきたいですね。郡司君は、同期同級生なので、レースは見ますけど、ライバル意識といわれるとどうだろう? 今のところ、いい成績を残せたら嬉しいです、たぶん。あいつがどう思っているか知らないので(笑)。でも、一緒のレースの時は連携すると思うし、それがGIの決勝だったりしたら最高だと思うので、その高みまでお互いに駆け上がれたらいいですね」

 2015年は和田にとってどんな年だったのだろうか。
「前半は競輪に集中するような形で走っていて、成績もある程度安定していて、いい勝負出来ているなって感じだったんですけど、後半から落車も続いてしまいましたし、大きなケガにはつながらなかったけどバランスを崩してしまいましたね。でも、その中で、来年はリオオリンピックがあり、出るためには、チームスプリントの1走を目指しているので、そっちに特化したトレーニングを組むようになり、ちょっと競輪の方の成績が自分の思い描くような成績が求められなくなっているっていうのが後半のはがゆい部分でありました」
 チームスプリントの1走はスタートのため、他よりもより特化した能力が求められる。
「皆、1走を目指している人はぶつかるところだと思うので、ここの両立っていうのは…、うーん、追い込みの人だったら対応出来るかもしれないけど、自力で勝負をしようとしている中で、1走のトレーニングや、地位を確立させていこうとすると、難しいなっていうのが、現状ですね…。でも、自分の中では、それでも、競輪っていうのは仕事ですし、あまりそれを理由で先行出来ないとか、点数を落とすとか、弱くなったって言われたくないですし、やっていく中で、二兎を追うものになってしまいますけども、でも、僕はそこを目指さなければ競技をやっていなくちゃいけないですし、競技をやっているから競輪の成績を落としてもいけないと思っていますから、難しいところですけど、そこを模索中というか頑張っているところです」
 話は少し変わって、気になっている人も多い真久留という名前の由来について聞いてみた。
「真久留は、たぶん半分は競輪用語のそれからだと思うんですけど、あとの半分は漢字を見てもらえばわかるんですけど、真実が永久に留まるという意味があるという話です。…諸説ありますが(笑)。じいちゃんとお父さんが競輪好きだったんです。でも、僕が高校になって自転車をやるようになってから、賭け事として見れなくなったみたいです」

 この真久留の名が最初に世に出たのは第4回チャレンジ・ザ・オリンピック(2003年)のことだった。伏見俊昭や長塚智広などに混じり中学1年生(12歳)の和田が参加し、250バンクを走り切ったことが話題になった。
「あの時、僕は250バンクを走れる機会があるっていうのを雑誌で見て、行ってみたら、とんでもない場違い過ぎて(笑)。『でも、エントリーもしたし、どうしよう~、ヤバいな、うわー、帰りたーい』って感じでしたよ(笑)。でも、その話から10数年たって、もしオリンピックに出られたら、すごく嬉しいことですよね。それに向けての努力もしますし、出られたら、それ以上に嬉しいことはないと思います」

 競輪のトップ、そして、世界、両方を目指す和田。それが苦しくとも目指すと言い切れる強さを和田は持っている。高い壁は競輪、競技と両方にあるが、それを乗り越えて、力をつけていく和田を応援していきたい。
「これからも精一杯、全力で頑張ります! それと、南関を引っ張っていけるような選手になりたいと思いますので、応援のほどよろしくお願いします!」
和田真久留 (わだ・まくる)
1991年3月2日生まれ。身長172cm、体重69.7kg。
ライバルは?「ライバルってあんまり考えたことないですね(笑)。同乗した自力選手には負けたくないって思うくらいです。うーん、あとはチームスプリントで1走を争っている雨谷(一樹)さん、うーん、やっぱり他のナショナルチームには負けたくないですよね」