ついに念願のグランプリ出場を決めた稲垣裕之にインタビューしました。その決めた瞬間の心境や、レースへの意気込み、また、レースを離れてオフになる時などなど話してもらいました。
初出場のグランプリはラインのおかげです。近畿の競輪道を守って今後も走っていきます!
「大きくは、オールスターが終わった時点でだいたいの順位は決まっていたんですけど、最後の競輪祭が終わるまで、あまりそこは意識せずにいたんですけども、…意識しないでいようということが既に意識していたのかなと今思いますね。
決定した瞬間というのは、正直、嬉しさよりも責任の重さというか、そっちの緊張感がすごく高まりました」
グランプリ出場が決まった時の心境を聞くと、稲垣裕之はこう語ってくれた。
ここまでの2015年の流れは
「調子の波を出来るだけ作らないように、課題にしていました。夏場にちょっと手足口病で体調を壊した以外は、年間通じて維持出来たし、それがこの安定した結果につながったのかなと思っています」
稲垣にとってグランプリという舞台はどんなところなのだろうか。
「選手になってからずっと目指していた舞台ですし、ヤンググランプリ(2003年)を走っていた時に、グランプリを走っている松本整さん、村上(義弘)さんの姿を見て、必ずこの舞台に立ちたいと思って、ずっとやってきましたし、その夢が1つ叶えられて、嬉しい気持ちはあります」
その舞台に村上義弘と一緒に立つ。
「ここまで育ててもらった偉大な先輩ですし、その人と一緒にそういう舞台に立てるのは光栄なことです」
グランプリまでの調整方法は?
「今もけっこうハードにトレーニングしている最中です。1ヶ月空いて、身体を作れるっていうことがあまりないので、最高の舞台なんで、最高の準備をしていきたいなと今思っています。毎日をムダにしないで、緊張しながら、練習出来ています」
昨年グランプリに出場した近畿の選手たちからも話を聞いたそうだ。
「ここに来るまでに、こうした方がいいとかアドバイスをもらっていたんですけど、そこはね、村上博幸君とか稲川(翔)君とか色々と話を聞いて、『僕はこういう風に過ごしました』とかアドバイスをもらっています」
そこからも近畿の絆が感じられる。
「市田(佳寿浩)さんを含めて、グランプリで活躍した選手が多いので、その中で獲っている選手も京都には多いですし、そこはすごく心強いです」
グランプリ2015の舞台となる京王閣競輪場の思い出といえば。
「やっぱり初めてヤンググランプリに出て、グランプリの舞台を生で見た場所でもありますし、そこから念願が叶って、それが今年京王閣で行われるのは縁かなと思います」
と稲垣は笑った。ヤンググランプリから12年の時を経て、夢が1つ叶った。
だが、稲垣ならもっと早く乗れると思っていたファンも多いだろう。
「…僕の中でもタイトルは獲らないといけないっていう気持ちでずっといましたし、でも、今、振り返れば、その気持ちがまだ足りてなかったのかなって、レースの中で。
やっぱり強く思っている人がグランプリを獲っていると思うし。今、振り返れば、昨年、今年が意識も強かったですし、過去を振り返れば、獲れればいいな、乗れればいいなっていうくらいの意識だったのかなって思います」
それが変わってきたポイントはあったのだろうか。
「今のままの自分を振り返ってみて、やっぱり足りてない部分は気持ちかと思いましたし、上位の選手を、近畿では、村上兄弟がなぜ獲れたかっていうのを考えた場合に気持ちの入れ方が違っていたのかなと思いますし、その辺は、周りが教えてくれたのかなと思います。周りを見て、だんだん自分の意識も変わってきましたし」
稲垣裕之 京都・86期
近畿は独特の競輪道がある。
「そこは大事にしている部分です! 胸を張って、全国、日本の中でも自慢できる部分だと思うし、そこを大事にしているからこそ、GIも獲れて、グランプリにも乗れて、意識の高い選手が多いので、その中でまた意識を高め合って、すごくいい循環で、ここに来れているのかなと思います」
稲垣も走る時に自分の役割を大事にしていることはレースを見ていてもわかる。
「そこは今だに1走、1走考えるところです。前回の競輪祭でも失敗したところですけど、初日に自分のレースが出来なくて後ろの2人にも迷惑をかけましたし、やっぱり自分がダメな時でもラインからっていう気持ちを今一度強く持って、1走1走り強く思って走っていかないとダメだなと深く考えて走っています。役割を果たした中で結果はついてくると思いますし、まずはそこは大事したいですね。
競輪って色んな走り方があって、お客さんからしても色んな評価の仕方があると思うんですけど、京都が、近畿が大事にしているラインの競輪っていうのもファンの方に喜んでもらえるんじゃないかと思うので、そういう競輪は残していくべきだと思っています」
それだけ競輪に全てをかけている稲垣にとって癒しの時間は何だろうか。
「うーん、いいお父さんぶってしまいますけど(笑)、子どもと遊んでいる時が本当に心休まりますね。僕は子どもの休みに合わせて練習を休まないので、なかなか子どもの休みと合わなくて不憫な思いをさせていると思いますけど、そんな中でも、ちょっと出来た時間で公園で一緒に遊んでいるだけでも子どもはすごい喜んでくれて。それが逆に不憫なんですけどね、『やった、公園に連れて行ってもらえた』っていう子どもの顔が不憫なんですけど、僕は出来るだけ、そういう時間は子どもと接したいなと思って、休んでいる時間ですね。
オフの時に競輪のことを考えないように意識するけど、意識している時点で忘れられてないというか、正直、忘れられる時間はないのはないです」
稲垣にとって競輪とは?
「レースに自分の生き様のスタイルが表れますし、月並みな表現ですけど、人生そのものと言ってもいいんじゃないかなと思います。レース内容にその選手の性格が出ますし、人生そのものですね」
レースを見ていると稲垣の人の良さもわかってしまう。
「そこも自分では理解はしているところなんですけど(苦笑)。
レースに自分を出したいって気持ちはありますし、獲りたいって気持ちもありますし、自分を表現したいって気持ちもあって、それはいつも考えながら走っているところです」
それでも、それを曲げず、きているのが稲垣だ。
「そういうスタイルできている村上さんの姿を見ていて、やっぱり憧れている部分はありましたし、格好いいなって思ってきていますから。
今年グランプリに出られたのも、前で頑張ってくれた自力選手や後ろで援護してくれた選手、近畿のラインの選手たちのおかげで、コンスタントに成績も残せましたし、グランプリに乗れるのはラインのおかげという気持ちが強いので、ラインを大事にすることが一番大事だと思うので、僕はそれをこれからも大事にしていきたいと思っています」
最後にグランプリへの意気込みを聞いてみた。
「悔いの残らないレースがまずしたいですね。何も出来なかったとか、そういうのだけはしたくないですね。
初めて乗れる念願のグランプリの舞台で、そこでも自分を表現し切れるように頑張りたいと思いますので、応援よろしくお願いします!」
稲垣裕之 (いながき・ひろゆき)
1977年7月28日生まれ。身長178cm、体重83kg。
「SSの赤パンツは、正直、喜びよりもプレッシャーを感じているところですけど、でも、高いレベルの緊張感の中で走れるというのは幸せなことですし、それを感じながら1年走っていきたいと思います」