諸橋愛選手が第33回共同通信社杯(GII)で優勝を決めた。彼にとってこれがビッグレース初制覇になる。デビュー20年で掴んだ栄冠。そして、この優勝で見えてきたグランプリの出場権利。新たに見えてきた目標に、さらに躍進を誓う諸橋選手にこれからも目が離せそうにない。
努力して、あきらめなければ狙えるところにいるのかなって思います
-ビッグ初優勝の心境を教えてください。
「本当に嬉しいですね。直後は普通の1着と変わらない感じだったんですけど、ああやって表彰式を経験すると、自分が優勝したんだなって実感が湧きました」
-どこで優勝の手応えを感じましたか?
「平原(康多)君を抜くまでわからなかったです。平原君を抜けないなって感じで踏んでいたので、抜くまで本当にわからなかったですね」
-レースは前受けから始まりましたが、ラインとしてどんな作戦を立てていましたか?
「作戦では前を取って、誰がおさえにくるかとか、後ろが誰かとか何パターンか作戦を考えながら、わりとその通りの展開になったんですけど、康多が早めに捲っていったので、前がどうなっているのかっていうのはありました」
-その平原選手の背中を負いかけてっていう感じですか。
「そうですね、チャンスがあればっていう感じでしたね。康多がいい位置にいてくれれば、自分もチャンスがあるっていう感じではいました」
-平原選手が内に仕掛けた時は?
「捲っていくのかなと思っていたので、内に行ったのは想定外でしたけど、康多の背中を追いかけている感じでいたので、わりと落ち着いている自分がいました」
-直線に入ってからはどうでしたか?
「直線に入っても抜けないと思っていました。脇に新田(祐大)君がいたので、そこをまずどかして、まず持ち上げた時に4コーナーを過ぎているという感覚があったので、これは届かないなと思って踏んでいたけど、あっ、抜けちゃったって感じでした(笑)」
-直線が長い武雄競輪場だからですかね。
「そうですね。それに康多も早めに踏んで、長かった分、自分が伸びたなっていう感じでしたね」
-デビューから、ここまでの道のりを振り返ってどうでしたか?
「自分は天才肌ではなかったので、若い時はそこまで強くなかったから、40歳になってこうやって輝くことが出来たのも、支えてくれる人たちのおかげだし、お世話になっている江嶋(康光)さんとか、すごくよくしてもらっているので、そういう人たちがいなかったら、自分はここにいないと思います。努力して、あきらめなければ狙えるところにいるのかなって思います。
若い時はもう無我夢中でやっていて、父と二人三脚でやってきたんですけど、年を重ねて体力も落ちてきたので、そこで江嶋さんに出会って、自分の考えが足りないと思ったんです。それから、成田(和也)が新潟に来て、それで自分の足りないところがわかってきて、1つ1つ整理しながらやってきました。すぐには結果が出るものじゃなくて、2、3年の計画で考えていたので、その成果が出てきたのが昨年とか一昨年くらいかなと思います」
-7月に涙の弥彦記念優勝、そして、このGII優勝して、次の目標は?
「これで賞金がかなり上がったので、夢にまで見たグランプリに届くかなっていう気持ちになってきましたね。残りのGIは2回あるので、ケガなくいければチャンスはあると思います。GIの決勝に乗れれば、だいぶ圏内に入ると思うので、まずは決勝を目指して、最終目標はグランプリに出ることですね」
-ファンにひとこと。
「ファンの皆さん、いつも応援ありがとうございます。自分がここに立っていられるのも、皆さんの応援のおかげです。練習もきつくてダメになりそうな時もあるんですけど、その声援を聞くとまた頑張れます。これからも頑張りますので、応援よろしくお願いします」
諸橋愛(もろはし・めぐむ)
1977年7月21日生まれ。身長172㎝、体重75㎏。
名前の由来は?「誰からも愛されるようにとつけてくれたらしいんですけど、憎まれることが多いです(笑)。もう普段はすごく平和主義ですけど、競輪の時は勝負なのでそこは厳しくいきますね」でも、勝負に徹する姿は多くのファンに愛されている諸橋選手です。