インタビュー

桑原のイメージは渋い追い込み選手というところだろうか。
しかし今年は日本選手権決勝で2着となり、年末の大舞台も見えているところで走っている。今年デビュー20年を迎え、さらに進化を模索している桑原に競輪選手になったエピソードから今の心境までをインタビューした。
弱くても努力!それが実る。
-競輪選手を目指した理由はどのようなものでした?

日本選手権決勝の発走機に立つ桑原
「もともとは高校卒業したらファイヤーマンになろうと思っていたんですよ。
兄がボートレースの選手をしていて、その兄が自分はボートレースの選手だから競輪をやってみたらという感じで言われて。
そっかぁと思って。男だったらトライしてみて。何もトライしないで普通に生きるよりは、やってみればという感じで挑戦しました。何かに挑戦したいなという気持ちはあったんですけど、方法が見つからなくて、消防士を目指していただけだったんですよ」
-自転車競技の経験はあったのですか?
「自転車はママチャリだけです。高校を卒業してから乗り始めました。初めてピストレーサーに乗った時は怖くてフラフラでした。防府は333mバンクなので」
-これはいけると感じたのはいつぐらいでした?
「合格できるイメージが全くわかなくて。本当にひたすら、休むことを知らないというぐらい練習しかしていなかったですね」
-競輪学校合格までどのような道程でした?
「高校を卒業して4月に適性で受けて、その秋から技能に変えました。結局3年かかりました。21才でデビューなので。受かるまでの間は、お金もないですし。友達とかは成人式に行くじゃないですか、自分は職もない、お金もないので街道に行っていました。そういうのでも、いつかいつかいつかはという、その気持ちだけしかなかったですね」
-学校生活はいかがでした?
「同部屋に恵まれていて、楽しく過ごしていました。ただ自転車に乗るのは辛いみたいな感じでした」
-学校時代の成績はいかがでした?
「学校時代の記憶ってあまりないんですよ。学校の10ヶ月間、さっと終わってという気持ちしかなかったので。この間も20年の同期会を3、40人集まってやったんですけど、話の内容が全く見えてこないくらい記憶がなくて。「そうやったかね、うんうん」というぐらいで。あんまり一生懸命じゃなかったのかなと」
-そして、デビュー戦はいかがでした?
「緊張しましたね。でも弱かったので、先頭に出ることしか考えてなくて。でもすぐビューンて行かれてしまってという感じでした。でも練習は真面目にやっていたつもりだったので、いつかはいつかはという気持ちでした」
-初優勝まで5ヶ月掛かっていましたがその時はどのように考えていました?
「ひたすら先頭に出ることしか考えてなくて、バックでは行かれているみたいな弱い先行捲りみたいな感じでした。そこからだいぶ力がついてきて。A級に上がってちょっと足踏みしたんですけど、特選クラスになって、逃げ切って優勝とかし始めて、それからS級に行けるのかなどうかなという気持ちはありながら、S級の人は強いなという感じで、ただひたすら先頭に出る感じだったんです。S級の人と話したりレースを見たりするとこんなにレースが違うのみたいな感じで、たまたま2層制になるというところで、ここで僕の存在を誰も知らないので、この脚力を持ってマークをしようと決めたんです。今ほどテレビがなかったので、決まり手だけで判断されると思ったからですね。4月に2層制になるので、1月から決まり手を差し、マークにして。飛びつき、番手外併走、捲れるけど捲らないというレースしかしなくて。で、2層制になって、今まで流れが良くて今にいい感じでこれた競輪人生ですかね」
-S級に上がってからはいかがですか。
「S級に上がってからは、前々、前々みたいなそういうレースとかが多くなって、当然自力は全然ないので、とにかく1車でも前という気持ちを持って走っていたら、たまたま1班とかなれて、特別競輪に行けたりして、なんかちょっといけるのかな、もうちょっと点数上がるのかなという感じで。いろいろな人のアドバイスを吸収するタイプというか、そうするとなんか上がってきたという感じですね」
-その間の練習は?
「他の人はわからないですけど、僕なりに結構頑張った方だと思っています」
-遊んだりするのは?
「明日はお休みとか思うと、飲むのは好きなので今日はガーッと飲んで、次の日ずーっと寝ているみたいなこととかもありますけど」
-メリハリをつけるということでしょうか。
「そうですね」
-S級1班に上がられてからは?
「S級1班というのに固執している自分はいなくて。僕はやりたがりというか、このレースで何ができるかを考えたりするので。ただ着いていくことだけを考える時もあるし、こうなったらこうやって自分で何かやってみようかなみたいな。ということを思っているので、1班だろうが2班だろうが、そこはそんなに執着がないですね。1班の方がいいに決まっているんですけど、どこのカテゴリーであっても何ができるかって考えてやっています。だんだんできることの範囲が狭くなっているので。そこばかり考えていますね」
-中国地区はなかなか先行選手に恵まれていなかった時があったと思うのですが、だから、そのようなことを考えて走っていたのでしょうか?
「それもあると思います。これから(若い選手が)どんどんくるので、ここで踏ん張っていたらもうちょっと頑張れる競輪人生あるかな。若い子たちと一緒に波に乗れたらいいと思うのでここが頑張りどころだと思います」
-そして、今年に入りダービー2着。その辺りはいかがでしょうか。
「2着も嬉しいんですけど、特別競輪の準決勝の発走機につきたいという気持ちがずーっと強くて、あの発走機の緊張感ってどうなんだろう?ってすごく思っていました。二次予選、松岡貴久くんがピューンって行ってくれて。
 それが一番目標を達成した感がすごくありました。二次予選で2着で決めた時にやっと(準決勝の)発走機に立てるみたいな感じの方が強くてですね。準決勝の3着になった時は、えっえっえっみたいな感じで、決勝戦は魂抜けていましたね。ふうおおおみたいな感じで。夢のまた夢みたいなことが続いたので。二次予選が一番僕の中で目標としていたので、やったーーという喜びが一番強かったですね」
-現状としては年末のKEIRINグランプリも見える状況ですが。
「いやいやいや、全然お話になっていないですけど。でも、そういう緊張感で走れるということがそうそうある訳ではないので、一発屋とはいえ、そこをグッと噛み締めて走りたいなとは思っています」
-ちなみに桑原選手はどのようなタイプですか?石橋を叩いて渡るような?
「石橋を叩く訳ではないですね。ふわふわ浮かず、地に足がついた状態でグッとやるタイプで、冒険心はすごくあります。セッティングを今日は変えてやってみて、あー今日はダメだったということはたくさんあるので、そこは違いますね」
-そうすると、常に何かにトライしている感じでしょうか?
「それはすごくあります。試すのが大好きなので。今日はこれでやってみるって岩津(祐介)にいうと、「どうでしたか?」「いやーダメだった」って、着は別なんですけど、全然進まなかったって。やっていない人よりは絶対経験値も上がるし、自分の中では色んなことをトライすることは大事だと思っています」
-どのようなところを考えるのでしょうか?
「踏み方、身体の使い方、セッティング、ギアとか細かいところ全部を毎回やってみたい派なので、今日良かったからといって明日良いとは限らないので、そこを自分の中でトライするのが好きで、「もっと進むんじゃないかな」と思ってしまうんですけど、ほぼ進んでいないみたいな感じです。トレーニングも色々な人に聞いて、色々なトレーニングをやっているつもりなんですけど、乗り込みとかは最近全然やっていなくて、筋力系、回転系、心肺系を分けてやるって考えています」
-今後の目標は?
「最近、自分の中で低下してきているところ、落ちてきているところがあるので、最近の若い子の初速とかそういったところをもう一回盛り上げて、自分の得意な、一所懸命ゴシゴシ追いかけるのは残っているので、初速とかダッシュをもう一回盛り返して自分の平均値を上げるというのが目標ですね」
桑原大志 (くわはら・だいし)
1976年1月27日生 身長173cm 体重77kg
趣味
バイクに乗ること、たまにゴルフだそうです。