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平原康多(埼玉・87期)
平原が4年8ヵ月ぶりGI制覇!! 9回連続のグランプリ出場を決めた!
第30回寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(GI)を優勝した平原康多選手。14歳まで弥彦の隣の岩室村で育ち、父・康廣(28期・引退)の練習地でもあり、小さい時に弥彦競輪場で遊んでいたこともある思い出の地。ここでGI優勝を飾れたことは別格の喜びがあったそうです。平原選手はずっとGIを獲ることを目標に走っていて、それは次の競輪祭でもいかんなく発揮してくれることでしょう。
また競輪祭でも優勝を狙って頑張ります!
-寬仁親王牌を優勝した心境はいかがですか?
「信じられない気持ち、と弥彦は準地元だったのでいいところを見せられてよかったなという気持ちです」
-準地元というのは?
「中学2年生まで隣の岩室村に住んでいました」
-GI優勝は4年振りになりますが。
「どのくらいぶりっていうのは気にしなかったし、勝てないのは自分の力がないだけだし、それで努力を続けられたのかなと思います」
-レースを振り返って、大きく2分線の戦いでしたが、どうでしたか?
「(初手で)後ろになってしまったので、ちょっと不利になるなと思ったんですけど、少しでも隙があれば(吉田)拓矢の援護をしようと思っていました」
-吉田選手と新山響平選手がレースの口火を切っていきましたが。
「あの2人は同期だったのでバチバチにやり合って、その中からのレースになると思っていましたが、その通りになりました」
-すかさず平原選手は位置を確保しましたね。
「あそこ(新田祐大の後ろ)を取れると思ってなかったので、流れで決めにいって、迎え入れる形でしたね」
-そのあとの吉田選手の動きを見ていましたか?
「あとは拓矢が行けるとこから行ってくれればと思っていました」
-そこからご自身で踏み出す覚悟を決めたのはどこでしたか?
「思い切って行かないと地元の諸橋(愛)さんにチャンスがないと思ったので」
-弥彦の長い直線はいかがでしたか?
「もう無我夢中でした。間に諸橋さんが来たのでワンツー決まるかなと思ったんですけどね…、(諸橋さんの落車は)残念です」
-優勝の手応えはどこでしたか?
「ゴール線を通過した時には優勝したなって思っていました」
-久々の有観客での優勝でしたが、どうでしたか?
「それが弥彦だったので、親戚の人も多かったのでいいところを見せれました」
-これでグランプリの出場権を獲得しましたね。
「今年はちょっと(高松宮杯前に)練習中に骨折した時に厳しいなって思ったんですけど、それが逆に開き直れていい方向にこれたのかなと思います」
-その間に練習仲間の宿口陽一選手がGIを優勝しました。
「それが今年は何よりも嬉しかったですし、これで続く形になって、獲れてよかったです」
-次の目標は?
「自分はずっとGI優勝を目標にやっているので、来月も競輪祭がありますし、そこに向けてまた努力していきたいと思います」
-その先のグランプリについては?
「そこはまだ考えてないですね(笑)」
-ファンの皆さんにメッセージをどうぞ。
「4年半ぶりにGIを優勝することができました。それが弥彦というのは格別に嬉しいです!また競輪祭でも優勝を狙って頑張りますので、応援よろしくお願いします」
平原康多(ひらはら・こうた)
1982年6月11日生まれ。身長184㎝ 体重95㎏
Q.宿口陽一選手と一緒にグランプリ出場については?
「宿口と一緒にグランプリは緊張もあるけど、選手になった時から一緒に練習やっているので、楽しみでもありますね」