インタビュー

和田誠吾 広島 55期 A級2班
見せておかないといけない父親としての威厳
 11年和歌山GIIIを最後に和田は姿を消した。バイクでの交通事故で重傷を負い、長い休養期間に入ったのだ。
 翌年7月にA級として地元戦で復帰したが「もう全然駄目ですよ。レース勘もないし、脚も完全に落ちている」と嘆き節が続く。ただその表情は復帰できた喜びに満ちていた。そして復帰3走目の小松島で早くも準優勝と持ち前のパワーが顔をのぞかせた。それでも「流れが向いただけですよ」とあくまで謙虚だ。ただもともと天才的なフットワークの持ち主。95年デビューから30年近くのキャリアの中でGI戦線を生き抜いてきた。      
 だからこそ47歳になった今でもその決め足は健在だった。一方、3人の子供に恵まれて長男の誠寿は103期で在校成績4位という好成績で卒業を迎えた。さらに自らが経営するラーメン店も順調だ。ただ浮かれることは決してない。「単価の小さい商売だから。きっちりしていかないと大変ですよ」と実業家の顔もちらりと見せる。「今はもう忙しくてプライベートの時間がないですね。その中から練習の時間を捻出しながら頑張っています」と充実した表情を見せた。その充実ぶりが最近は結果となってきっちり表れている。     

和田誠吾 広島・55期
 目標がないときや、流れの中では捲りも飛び出し柔軟な戦法がものをいう。そして3月久留米で復帰後の初優勝を決めた。その3場所目の岸和田でも優勝を決めており、和田の躍進はいよいよ本格化してきた。
 岸和田の初日は目標選手が8番手と立ち遅れ、9番手から車群を縫って追い上げ4着に到達。冷や汗ものの予選クリアだった。「とにかく(着を)拾うだけ拾った」と苦笑いだ。追い込み選手というのは9番手になってからどう対処するかで真価が問われる。その真骨頂とも言えるレースだった。
 好位へ切り替え俊敏な立ち回りで準決を突破した和田の決勝は岡山の3番手という厳しい位置取り。だがレースはよみがえった和田のうまさが存分に光った。捲り主体の棚橋勉は7番手。ここに小林健が続く。またもや和田は9番手。ところが小林が中団から内にさばいて伸びるところを、続く和田が詰め寄ってゴール前で差し切った。
「プロになった息子が自分を師匠として付いてくる決意を固めた。オヤジの威厳を見せておかないと駄目でしょう」といつもの柔和な笑顔の中に厳しい闘志が垣間見えた。
 これから二人三脚の競輪人生が始まる。熟練の47歳はまだまだ強いオヤジとして頑張っていく覚悟だ。


岸和田競輪場より