インタビュー

利根正明 大分 97期 S級2班
迷ってばかりでは前進はない、先行選手としてやっていく
 今年1月にS級復帰を果たしたが、初戦の岸和田最終日に落車して左鎖骨を骨折。およそ3カ月ほど戦線離脱を余儀なくされた。初日は松谷秀幸を打ち砕く先捲りで予選を突破し、準決勝は度胸のいい早仕掛けで菅田壱道を相手に先着を許さないなど、体のいいスタートを切ろうとしていただけに、出鼻をくじかれた。

利根正明 大分・97期
 3月をめどに復帰を画策したが回復も思わしくなく、念には念を入れて4月松阪から戦線へと戻ってきた。もちろん、すぐに結果はでない。松阪を9着8着9着で終えると、直後の小田原も9着8着8着と見るも無残な成績で、まったくもって競走になっていなかった。
「レース感覚を養えただけでも」と言うが、そのあとには待望の地元記念が控えていた。いくら低調といえども、やはり特別な気持ちで挑む開催だ。せめて存在意義を示さねばならない。ただ出てきて負けましたでは何の収穫にもならないからだ。「直前に地元で行ったプチ合宿で、自分は『捲り』が出ないと実感した。やっぱり先行選手なんです。持ち味を生かすのが手だと覚悟を決めた。大竹(慎吾)さんや大塚(健一郎)さんからも同じようなことを言われました」。
 初日から3日目までは大敗続きで、まるで出番がなかった。とくに3日目は、打鐘前からの大フカシで、追走の高田真幸に番手捲りを打たれる凡戦だった。レース後、何があったのかと利根の身を案じた菅原晃が、手厳しくも献身的にアドバイスを送っていた。
「後ろが見えていなかった。でも、連日なにもできなかったから、モガいておきたかったんです。着はひどかったけど、先行ならば勝負になることが分かってよかった」 
 たしかに、初日よりも2日目、2日目よりも3日目と、日に日に航続距離が増しており、わずかながらも兆しを感じさせたのは明らかだった。
 そうなると、あとはどこで結果を出すかで、興味は最終日へと向けられた。レースは2分戦で、近況、不振に悩まされている伊原克彦が相手。早めに誘導を切って伊原を後方に下げさせると、巻き返しに合わせてスパートし、いとも簡単に攻略した。最後は番手の佐々木浩三に交わされたものの、末脚の粘りもたしかで、2着に踏みとどまった。「地元で結果を出せたのは大きい。ホッとした」は本心でも、菅原晃から「いいレースだった」と褒められたことが、何よりもうれしかった。
 レース中でのアクシデントで公傷が適用されたため、競走得点的には大きな響きはない。しかし、それは今期までのことで、7月からは待ったナシだ。この先の数カ月間の立ち回り方は要注目だ。


別府競輪場より