インタビュー

猪俣康一 愛知 99期 S級2班
S級戦での慣れとペダリングが急上昇の理由
 決勝に3場所連続進出-。A級時代、圧倒的な内容と結果を残していた猪俣康一が、S級戦線でも活躍し始めた。
 対戦した相手は渡邉一成、吉本卓仁らS級の中でも上位クラス。そんな強敵でも先行中心の戦いで結果を残しているのだから本物だ。今年1月のS級初昇級後は落車による鎖骨骨折も経験するなど苦しんだが、4月末から成績が急上昇した理由は2つあると言う。

猪俣康一 愛知・99期
 まずは「慣れ」。S級の自力型の踏み方が分からず迷いながらの競走を続けていたが、4月の防府FIで戦った才迫勇馬からヒントを得た。「師匠(山内卓也)のバイク誘導でS級の流れを作ってもらう練習をしていたのですが、それがカマしてきた才迫君の踏み方とまったく同じ。彼に合わせることができた瞬間に、どれだけ踏めばよいのか分かったんです」。
 そして、もう一つは「ペダリング」。A級戦はカマシ、捲りばかりの力任せの競走で白星を量産できたが、S級では通用しない。抑え先行も必要のため、他の先行型の回し方を参考にしつつ試行錯誤していたら探し当てた。「脇本(雄太)君や藤木(裕)君は出切ってから流して、うまく上げていく。引き足を使って、きれいに回しているんですよね。僕もそれが練習の中でできるようになってきた。体への負担も小さくなったのも大きい」。
 粗削りだったからこそ、技術を習得することで輝きを増し始めた猪俣。だが、彼の強さは、これまで様々な体験をしてきた人生が礎になっているのも事実だ。小学生の時から始めたMTBでは世界の舞台を経験。勝負の厳しさを知った。「若い頃は負け癖が悪かった。でも経験を積むにつれて、いろいろな状況に応じてメンタルをコントロールできるようになった」。競輪では勝っても負けても、表情が大きく変化することはない。
 さらに、他選手には当たり前でも、競輪の恵まれた環境を幸せに感じることがモチベーションを高める要素になっている。10・20代の猪俣が夢中で取り組んだMTBやオートバイモトクロスだったが、常に頭を悩ませていたのがスポンサースポーツの現実。お金が集まらなければ、その競技を続けることはすぐに困難に。競技を戦うことよりも、練習環境を整えることにエネルギーを注がなければならない日々が、競輪選手転向の動機の一つにもなった。「多くの選手の引退理由がお金。その点、競輪選手は練習に専念できるうえ、賞金さえもらえる。僕にとっては、競輪学校ですら幸せな環境でしたね。練習の苦しさなんて慣れていますから」。社会経験。これも猪俣という選手の武器になっている。
 この月には37歳になった猪俣。年齢的現象は「まったくない」と言う。また、その年齢自体についても「考えたこともない」と受け流す。今はただ、競輪選手であることの喜びを感じながら、先行基本のスタイルを貫くだけ。果たして、宇都宮記念、地元戦の豊橋FI、前橋記念と続く注目度の高いレースでどんな結果を残すのか。「成績が良かったのはまだ3場所だけ。これからですよ」。純粋に応援をしたくなる男である。


岸和田競輪場より