インタビュー

上垣光永 京都 93期 A級1班
「自力でS級1班」を目標にタテ脚を磨いていく
 人を恃(たの)むは、自らを恃むに如(し)かず―。7月、輪界の一大勢力となっている京都から、また新たなS級戦士が誕生する。そう聞けば、村上兄弟をはじめとする向日町のスター軍団にもまれて花開いたか…と思ってしまうが、上垣はバンク練習をほとんど行わない異色タイプ。「練習は街道ばかり。ひとりでやっています。好きな練習を存分にできるし、気を遣うこともなく集中してやれるので」。5年半、人を頼らず、ただひたむきに一歩ずつ前進しつづけ、ようやくここまでたどり着いた。

上垣光永 京都・93期
 93期生といえば、入学時の年齢制限が撤廃された最初の卒業期にあたる。府立須知(しゅうち)高ではサッカーに没頭していた上垣は、日本競輪学校に6度目の受験で合格した苦労人。「ラストチャンスだった92期も失敗して、落ち込んでいた時に一緒に受験した友人から電話がかかってきた。『年齢制限なくなるらしいぞ』って。それが2005年の12月24日、日付も覚えています。次の日からすぐ練習を始めました。1度気持ちが切れて、リセットできたのが大きかったのかも」。新制度のおかげで夢はつながり、晴れて合格。入学した時は24歳になっていた。
 08年1月、向日町でのデビュー戦を白星で飾り、順調なプロ生活をスタートさせたが、2戦目の豊橋初日に落車し、鎖骨を骨折。2カ月半後に復帰したが、2勝目を挙げるのはさらにその3カ月後。「あきらめずにやってきたけど、ここまでいろいろありましたね。近畿の同期は京都の7人を含めて11人いるんですが、8人がS級を経験しているんで負けたくない気持ちでやってきた」。時には孤独と戦いながら、反骨心を支えに自転車と向き合ってライバルたちに肩を並べるところまで来た。
 現在はS級での戦いをにらんで、ギアとフレームを試している最中だ。1カ月半ぶりの実戦だった5月21日らの奈良FIIでは、初日特選で地元の中井太祐に付けるも佐藤亙に粘られて番手を明け渡す失態。続く準決勝も捲り不発と、落車明けを割り引いても物足りなさが残った。それでも「自分の目標は『自力でS級1班』。タテ脚を磨いて、同期の星だった西谷岳文さんに早く追い付きたい」と前を向く。近畿の他の同期には、目下絶好調の水谷好宏、山田久徳らもいるが「もちろん負けたくない」と、新たなステージでの戦いに目を輝かせる。自分を信じ、文字どおりの自力でつかんだS級の座は、簡単に手放したりはしないつもりだ。


奈良競輪場より