インタビュー

「不屈の男」増成富夫 岡山66期 A級2班
全力を出し切ったあとのファンの声援が嬉しい
 不屈の男が笑っていた。みんなの前で満面の笑みを浮かべていた。4月の高松FI最終日。快晴の中で行われた青空も笑っているように思えた。1レースに登場。いつも通りの競走で、主導権を奪っての快勝にレース後は、「これがあるから、やめられないよね」とぽつりつぶやいた。

増成富夫 岡山・66期
 一昨年(2011年)12月、体が少しだるくて、病院を訪れた。そこで伝えられた病名を聞いて、仰天した。急性骨髄性白血病。誰もが知っている血液のガンだ。一番ショックだったのはこれで「競輪が出来なくなるかもしれない」という恐怖だった。ただ、妻の父親が、同じ病名だったが、骨髄移植で病気を克服していたのも聞いていて、助かる可能性があるのは知っていた。それでも選んだのは骨髄移植ではなく、抗がん剤による治療だった。
「義父が、骨髄移植をして、長期治療で苦しんでいるのをみていたからね。僕はとにかく早く復帰したかったので、その治療はやめました」と命の保証のない病気と闘う決意を、復帰することを条件に高めていったのだ。
「ありえない」と病院も驚く脅威の回復力だった。豪放磊落(らいらく)な性格から「親方」と慕われている男は、周囲に闘病の苦しさを感じさせないように振る舞った。そして、1年後の昨年12月には、バンクに戻ってきた。
「最初は力が入らなくて大変だったよ。でもね、練習を重ねることで戻ってこられる自信がついてきたね」。地道な練習で自力を貫いてきた選手の真骨頂だった。
 1990年のデビュー当時から先行基本の戦いを貫いてきた。「僕にはこれしかなかったし、目標の2人とともに自力で戦ってきた」と1期上の吉岡稔真や山本真矢らを意識しながら西日本を代表する先行選手として戦ってきた。その2人が引退をした後も先行を続け自力を捨てる気は毛頭ない
「全力で力を出し切った後にね、ファンがかけてくれる声援や、時にはヤジもね。とにかくそれがうれしくてこれまで競輪を続けてこられた」。どん底から帰ってこれたからこそ言える心からの男のメッセージだった。


高松競輪場より