インタビュー

「そろそろ結果を出したい!」興呂木雄治 熊本 96期 A級1班
昨年の夏に差し伸べられた、何本もの救いの手
 前期の格付けはA級2班で、初日はすべて予選スタートと厳しい条件が付くなか、終始90点台をキープしていた。S級点の確保も眼前にあったほどで、かえすがえす6月前橋ミッドナイトでの失格が悔やまれた。ところが「気にしていません。むしろ、戦えている方です」と、まるで意に介していない。

興呂木雄治 熊本・96期
 それもそのはず、デビューから4年が経過したが、はじめの3年は冴えない成績が続き、存在感がなかった。あるとすれば、珍しい苗字で名前を覚えてもらえるといった程度で、チャレンジ時代は長らく67点台をうろちょろしていたこともあった。今とは違い、いくぶん点数に上乗せがあったころの67点だから、相当きびしい。当時の様子を、高校の先輩であり、公私にわたって馴染みの深い松川高大(94期)も「『バンクでもがくぞ』と誘っても、遠慮して周回だけして帰っていた。あれじゃ強くならんと思った」と振り返る。当時と比べれば十分に健闘しているのだ。
 陸上競技出身で適性試験を一発で合格するなど、潜在能力はズバ抜けていた。にもかかわらず、どうして3年以上もくすぶっていたのか? 本人は「何でかな…慎重だからかな」と首をひねるが、慧眼鋭い松川はしっかりと見抜いていた。「陸上で短距離をやっていたから、ダラダラやる練習が苦手なんですよ。たとえば長距離を乗り込んだりとか。逆に自分は量をこなしたいタイプだから、よくわかる。『嫌々練習しても強くならんぞ』と一言だけアドバイスをした覚えがあります」。
 先輩の言葉が心底に響いたか、とにかく11年7月にはチャレンジ戦を卒業できた。それでも、点数は80点台の前半をキープするのがいっぱいで、まだまだ。いつチャレンジへと逆戻りするかわからないすれすれの状況が続いた。
 そんなあるとき、突然にして救いの手が差し伸べられた、それも何本も。昨年の夏のことである。まずは西川親幸(57期)との邂逅があった。元々トレーニングジムが一緒だった縁で、街道練習に誘われたのだ。西川の弟子である本郷雄三(99期)とは、96期の試験を受けた旧知の間柄で、迷いはなかった。「妥協のない西川さんとの練習はいい緊張感があって、疲れたとか休みたいなんて弱音が吐けなくなった」と、苦手な長距離練習を克服しただけではなく、メンタル面の強化まで図れた。しかも「直後の開催で初めて決勝に乗った」のだから、うまくいきすぎている。もうひとつは松岡貴久(90期)からフレームを譲り受けた。頑固者の松岡が大事に大事にしていた自転車を、悩める後輩に分け与えたのだ。とどめは、同配分だった服部克久(90期)から「バラバラだぞ」と、ほどこされたセッティングがマッチしたことが押しの一手となった。
 きっかけをつかめばあとは早い。瞬く間に10点以上点数をアップさせて、今期からは待望のA級1班へ昇格した。いまやV戦線には外せぬ存在で、当面の目標はS級点数の確保となるが、それ以上に重きを置くのは、チャレンジ時代からまだ一度もない「優勝」だ。松川が評する“遠慮”、そして自らが自覚する“慎重さ”が足かせとなっているのか、決勝に乗っても、いい人になりすぎている感が強い。「西川さんから『獲るときにとらないと。狙うのも大事だぞ』といつも言われています」。興呂木に足りないものを西川は見透かしているようで、説得力があり重たい。今期こそは全員の期待に応えねば。厳しく立ち回る場面がみたいものだ。


小倉競輪場より