インタビュー

「同門の絆で挑んだ大会」
園田匠 福岡 87期 S級1班 & 小川勇介 福岡 90期 S級1班
師匠の名が付いた開催が大きなモチベーション
 8月に小倉メディアドームで「吉岡稔真カップ」が開催された。今年で7回目を数える当大会は、小倉・夏の風物詩としてすっかり定着。また今年は、吉岡氏の功績を讃えた記念館「TOSHIMASA MUSEUM」 がオープンするなど、連日場内は活気にわいていた。当所は毎年「競輪祭」が行われる関係で記念開催がない。そのため、当大会を記念代わりと位置づける地元選手も多く、なかでも吉岡氏の直弟子である園田匠と小川勇介の意気込みは、毎年並々ならぬものがある。

園田匠 福岡・87期

小川勇介 福岡・90期
 園田は直前に走った松戸記念で準Vと流れを手繰り寄せての参戦で、前検日には「この開催に向けてずっと準備していた。その成果が松戸で早目に出た。狙ってます」と、みなぎる闘志を前面に押し出していたし、小川勇介も「自然体で挑みたい。結果は勝手についてくるはず」と話していた。ともに、ここまで地元でのS級Vがなく、有形無形の地の利が期待できる当大会は大いなるチャンスだった。さらに後押しする材料がもうひとつ。吉岡氏が主宰する「不動會」に所属し、大会2Vを誇る大塚健一郎(大分)が、今年はあっせんしない処置で不参加となったのだ。“アニキ分”の存在は何とも頼もしいが、昨年の当大会決勝では小川―園田の3番手から直線を突き抜けるなど、最後の最後では最大の難敵としていつも立ちはだかる。そんな大塚の欠場で、やにわにお膳立てが整ったかに映った。
 両者は初日特選から連係した。周回中に小川が「クリップバンドが外れた感じがしたので」と違和感を覚えると、道中ですぐさま前後を入れ替えて、園田が急きょ自力に転じて3着をキープした。アクシデントにも動じぬ冷静な判断はお見事だった。準決勝は小川が同県の永田隼一を目標からイン捲り、園田も佐藤幸治を足場からしぶとく勝ち上がった。いずれも、パワーでネジふせるような圧倒的な立ち回りではなかったが、とにかく最低限のノルマである決勝進出を決めた。小川は「やるしかないです」とさばさばしたもので、園田は「勝負は決勝。調子? 悪くないし最後は1着で締めたい」と共闘を誓った。そうは言っても決勝にして初めてまっさらな自力を出した小川は厳しく、好位から捲りを放ったが思ったように車が出ずに苦戦した。園田も2センターから内に踏み場を求めたが3着までが一杯で、しかもゴール前に落車してしまい両者のVとはいかなかった。「落車が余計でした」と園田はレース後に苦笑いしていたが「攻めた結果だから。逆に状態が悪かったら、あのきわどいコースには入っていけなかった。これで吹っ切れた」と前向きだった。
 地元Vはお預けとなっても、その後、園田は岐阜記念で1着2着3着5着とまとめたし、小川も松戸FIで長い距離を踏んで白星をつかむなど、失敗を繰り返さず次へとつなげた。来年こそは覇権奪回、そんな気持ちが、この先の大きなモチベーションとなるのだ。


小倉競輪場より