インタビュー

松浦悠士 広島 98期 S級2班
追い込み選手として上を目指すことを決意
 突然の決意表明だった。広島のヤングレーサー・松浦悠士が突如、追い込み型へ戦法をチェンジした。10月函館の準決勝で現在、ナンバーワンの自力選手といっても過言ではない新田祐大(福島)の後位をマーク宣言。新田とは同じ北日本で地元のスター選手・菊地圭尚(北海道)に敢然と競り込んだ。当初は松浦の行動に多くの選手が疑問を抱いたが、最終日にも番組構成上、実質先行一車だった藤田大輔(千葉)の番手を南関の名マーカー・高木隆弘(神奈川)と勝負して、『本気』であることをアピールした。

松浦悠士 広島・98期
 松浦はA級時代、捲り主戦の自力戦でS級点獲得の狭き門を突破。7月からの昇級すぐは真っ向からS級レーサーにぶつかっていったが、昨年12月の広島レインボーカップファイナルで落車した怪我の回復が芳しくなく、さらに今年前期の4月奈良、6月富山でも転倒するアクシデントも追い打ちをかけたようで、勝ちっぱなしだった昨年後期の面影はなく、完全な「頭打ち」。早い段階で脚力不足を思い知らされていた。そんな心境で迎えたのが9月の青森記念。4日間とも車番は「ヨーロッパ」だったがハッスルプレーで5着3着3着5着の好成績。単騎戦を克服して変幻自在に走りまわる競走が向いていると思った一方で「今度ラインができた時に後ろの選手は1車下がるだけ。これなら面白くないし『自分に付いてもメリットがない』と思うだろうと、考えるようになった」。そこで、松浦は追い込み選手で上を目指す「イバラの道」を選んだ。
 追い込み選手としての地位を確保するため、函館の次の開催だった10月広島の初日は屋良朝春(東京)、11月小倉では松岡篤哉(岐阜)の番手に競り込んだ。荒削りで成績は伴っていないが「負けて気づくことばかり。踏むタイミングだったり、当たるタイミング。ビデオを見て『ここで先に当たっとけば…』とかを気付かされます」と、毎日が新たな発見で競輪生活は非常に充実している。
 来年はA級に降格するが、松浦はデビューしてわずか3年。これから何十年と続く選手生活を考えれば、ほんの通過点だ。それでも、挫折を味わい新境地を求めたこの半年間のS級生活は大きな糧になることは間違いない。「来期はS級点を取らないと意味がない。今度こそS級をキープできるように頑張りたい」と、希望に胸を高まらせている。再び、S級に返り咲いたときこそ、番手マン・松浦の真価が問われる。


小倉競輪場より