インタビュー

松尾淳 岐阜 77期 A級1班
13年ぶりのA級生活も、現状打破の起爆剤にしたい
 S級1班からA級1班へ。松尾淳は2014年の新春1月から、およそ13年ぶりにA級生活を余儀なくされている。しかし悲壮感は全くない。前向きに競輪人生の1ステージとして捉え、脳裏にしっかりインプットし、今後に生かす決意だ。

松尾淳 岐阜・77期
 力が落ちた訳ではない。昨年1月の大宮記念と、4月宇都宮FIをともに失格。大きな足かせになったマイナス6点の事故点と、1~4月に続けて3回落車したケガのダメージが響いて、2001年後期(8月~11月)以来のA級へ逆戻りとなった。
 松尾はサラリと当時を振り返る。「それがその時の実力だったんです。失格に落車も競輪にはつきものですから。失格を2回したって実力と脚があればS級に止まれたはずですから」。事実、失格ペナルティーで斡旋停止となった昨年8月の1カ月を心のリセットと練習期間に充て、昨年後期はS級1班を維持できる競走得点「103.80」をしっかりマークした。
 ただ、A級降級第1戦の名古屋特選(1月8日6レース)は、ほろ苦い走り始めとなった。目標選手が打鐘から主導権を握り続け、終始番手絶好で推移したが、牽制をした際、内をすくわれたのが響いて3着に。ファンの人気に応えられず終わった。「せっかく前の選手が頑張ってくれたのに、ふがいない…。3番手がついてくれてるものと思いこんでしまった自分のミスでした…。A級も心して走らないといけませんね」。松尾は何度も反省し、しっかり心に留めた。
 A級陥落を、再上昇へのキッカケにするつもりだ。「ガンガン先行してた時もそうだったけど、競輪は奥が深くて、常に勉強することばかり」と松尾は言う。器用なタイプではなく時間を要したが、追い込み選手が板についてきた時のA級での再修業。「初心に戻れってことですよね」とポジティブに捉える。S級1班はキープ出来ても、09年6月の高松宮記念杯からGI参戦がままならない現状打破への起爆剤にもしたい。「岐阜には大御所の山田裕仁さんをはじめ、ボクより年上の濱口高彰さん、山口富生さんとずっと大レースに今でも出続けている人たちがいる。いい先輩たちの近くで練習できて、刺激にも事欠かない。改めて頑張らないといけないと思いました」と松尾は言葉に力をこめる。
 再びGI舞台へ!強いモチベーションが生まれ、松尾の目の色が変わってきている。


名古屋競輪場より