インタビュー

「バンクを去った肥後の闘将」森内章之 熊本 64期 引退
闘将魂はついえることなく、脈々と受け継がれていく

森内章之 熊本・64期
 2013年の年の瀬、高知競輪場で24年の現役生活に別れを告げた。ひっそりと身を引きたいとの思いから、引退することを知っていたのはごくわずかだった。「俺は脇役」と話す森内らしいつつましい引き際だった。かつては「肥後の闘将」との異名を取り、恐れを知らぬ立ち回りでグレード戦線を中心に活躍し“武闘派マーカー”として名を馳せた。また、上位陣たちと戦う心構えを後輩たちへ伝える鬼軍曹としての役目も担った。それはそれは厳しかったそうで、当時を知る同県の後輩たちは、口をそろえて「森内道場は怖かった」と振り返る。ただし、恨んでいるものは一人もいない。森内の競輪へ取り組む真摯な姿勢と的を射たアドバイス、そしてあたたかい人間性を知っていたからだ。我が強いわりには柔軟性もあり、理不尽なことを後輩に押し付けない、会社、企業でいえば信頼できる上司のようなものだ。引退レースには中川誠一郎(85期)をはじめ何名もの選手がわざわざ熊本から駆けつけたほどで、その人望の厚さを裏付ける。
「グループを組んでいた頃は若手も一緒だったんで厳しく接したね。でも自分を鍛える意味でもあった。ここ何年かは同年代の仲間との練習がほとんどだったんで、丸くなりましたよ(笑)」
 ここ数年は幾度となく怪我に見舞われ、2013年にはA級陥落をするなど、本来の力を出し切れず、もどかしい日々が続いた。そうなると、段々と気持ちも萎えてくる。
「俺っていつも5年周期でヤル気のあるなしのリズムがあったんです。でもここ数年は、周期に変化が起こらなくなった。ああ、この辺が引き際なのかなと考えていました」
 決意を固めたのは、A級時に参加した地元戦だった。力の違いを見せつけてすぐにでもS級へと返り咲こうと、意気揚々に登場したが、準決勝で敗退してしまい人気に応えることができなかった。レースを終え、検車場へ引き上げると人目をはばからず涙を流したという。
 ただし、簡単に辞めてしまっては悔いも残る。そこで、長年培った経験則を後輩へ伝授する伝道師となった。“門下生”は意外や意外で、中川諒子と藤原亜衣里(ともに102期)のガールズ両名。地元が熊本である中川の冬季移動に藤原が帯同しており、バイク誘導やセッティングのフォロー、街道練習などの面倒を献身的にみたのだ。
「2人と練習をするのが新鮮だったですね。自分には直弟子がいないし、距離感もちょうど良かった」
 闘将魂はついえることなく、脈々と受け継がれる。 第二の人生も決まったということで、不屈のガッツと辛抱強い気力で乗り切ってほしい。そして競輪界をあたたかく見守ってもらいたい。


熊本競輪場より