インタビュー

大野 悟郎 大分 83期 A級2班
不屈の9連勝
今の思いをすべて込めて2コーナーから踏み込んだ。2日目準決のプレッシャーに苦しんだ力みもこの日はなかった。あっさり前団を飲み込むと後続を離して余裕を持ってゴールした。14年12月5日の向日町FII7R、チャレンジ決勝で9連勝の特別昇班を決めた。

大野悟郎 大分 83期
「選手になって初めて特昇をかけたレースだったので緊張しました」とレース直後はこわばった表情を崩さなかった。それでも周りの祝福の言葉に和らいだ。ファンへ優勝報告に向かった後に戻ると、同じレースで逃げた小竹洋平(福井)に「大野さんと力と力の勝負ができて良かったです」と声をかけられた。「正々堂々とした勝負だったね」とようやく柔らかい笑みと言葉を小竹になげかけた。
不屈の男だ。11年2月高松記念後の街道練習で悪夢のような事故が大野を襲った。止まっている自転車に全速で車が突っ込んできた。全身のあらゆる箇所が骨折した。入院は1カ月、手術は7回にも及んだ。苦闘のリハビリ期間を経て、約3年後の14年2月、復帰にこぎ着けた。「この3年間は、先のことは考えないようにしたんです。目の前のケアに集中して…。引退は考えないようにした」。
復帰して2戦目に落車。今度は肩を痛めた。3月に再復帰したが、チャレンジでも思うような結果が出ない。「事故後の3年間は辞める気はなかったけど、レースで自転車に力が伝わらなかった時は、復帰は間違っていたと絶望に襲われましたよ」と振り返る。もうS級でばりばり自力を出していた自分には戻れない。開き直って練習内容を変えてみた。その直後の11月富山から9連勝につながった。だからこそ「夢のような出来事だった」と話した。
デビュー時から不運はつきまとった。学校時代からヘルニアに悩まされた。故郷松山を離れて温泉治療にでかけた別府が練習地となった。それでもS級に定着した時期に事故に遭遇した。「あきらめが悪いだけなんです。それに練習は嫌いだけど自転車がずっと好きだったから…」。
すでに心はA1、2班戦で戦う自分に向いている。とうは過ぎても自力は捨てない。覚悟はできている。今持てる力を不屈の精神でぶつけるだけなのだ。


京都向日町競輪場より