インタビュー

丹波孝佑 大阪 98期 A級2班
迷いなき先行
 晴れ渡る冬空のもと、迷いなく風を切った。澄み切った空のように無心でペダルを踏み込んだ。1月21日からの高松FI、結果は、1、6、1着だった。2日目の準決は、前受けから別線の巻き返しを突っ張り、2周半をもがき切った。しかし満を持してまくった四国ラインに沈められた。番手の真田晃(兵庫)と反省会となったが、隣で聞いていた中村美千隆(兵庫)が、「今のように見せる先行も時には必要や」の言葉に勇気づけられた。かつて大型先行として彗星(すいせい)のように現れ、一気に近畿を代表する先行選手に駆け上がったミッチー(中村)の言葉だけに重みがあった。

丹波孝佑 大阪 98期 A級2班
 「ようやくS級が見える位置まできた。S級に上がっても通用する先行選手になるという目標があるから、結果だけにこだわらずに思い切ったレースができてると思います。それは7車立てのチャレンジ戦から意識してました」ときっぱり言い切った。まだまだ自分の力が足りないことはわかっている。それでも今先行選手として力を出し切れることに感謝を込めて走っている。
 2012年の5月末、悪夢のような事故となった。福井競輪に移動中の不注意運転で同乗した先輩だった中川大佑さんを亡くした。もう2度と競輪選手には復活できないと思った。遺族にも会って非難の言葉も浴びた。生きる気力さえ失いかけた時に、中川さんの妻からかけられた言葉でやっと救われた。「うちの人が届かなかったS級に挑戦して…」。両親や友人も声をかけて支えてくれた。長いブランクを経て、1年半を経てチャレンジ戦で復帰。徹底先行を貫いて、今S級を狙える位置まで上がってきた。「あの事故のことは忘れるわけにはいかないし、吹っ切れたなんて言葉はおこがましいです。でも遺族の方や支えてくれた人のためにも悔いのないレースをしたいんです」。
 高松では決勝に乗れなかったが、今年に入っても常に主導権を取る競走は続けていく。決勝になれば楽に駆けさせてくれることはないのはわかっている。しかし先行でこの壁を乗り越えてこそ、S級の道が開かれることは、もがき切った体が覚えている。壁を突き破る努力は惜しまない。


高松競輪場より