インタビュー

山路 藍 京都 106期 A級2班
いつかは師弟で、夢の舞台へ
 心待ちにしていた初の師弟競演は、アクシデントでお預けになった。8月21日から23日まで函館で行われた「ガールズケイリンフェスティバル」(GKF)に初出場した山路。師匠・川村晃司(京都・85期)も「サマーナイトフェスティバル」に出場が決まっていたが、直前の豊橋記念2日目に落車し、鎖骨と肋骨3本を折る大ケガを負って欠場を余儀なくされたのだ。山路が知らせを聞いたのは、8月8日初日の佐世保ミッドナイト参加中。「大丈夫なんですかね? 心配でレースに集中できない…」と表情を曇らせつつ、2、2着で予選を突破し、決勝も4着。気丈に完走すると、入院中の川村を見舞いに飛んで帰った。

山路 藍 京都 106期
 山路のGKFは7、7、7着。7着を3つそろえたのは、デビューして初めて。ただ3日間とも、道中では主導権取りに動いて見せ場は作った。「うーん…やっぱり上位クラスが全員そろうと、力の差を感じますね。当たって砕けろと思って仕掛けたけど、砕けちゃいました」と、つとめて明るく振り返る一方で「最初はGKFの裏開催でこっそり稼ごうかなとも思ったんです。でも師匠に『チャンスがあるなら(出場を)目指せ』と言われて、そこから成績がよくなって、出場することができた。自分は在校成績も18人中14位。ここまで来れたのも本当に師匠のおかげなんです。だから今回も、敗戦の中から何かをつかんで帰らないと、顔向けできない」とも。悔しさを笑顔で隠して、さらなる成長を誓った。
 高校から始めたテコンドーが、折れない心の土台を作った。2009年の世界学生選手権で銅メダル、同年のアジア大会(ドーハ)ではベスト8と、輝かしい実績もある。その後は吉本新喜劇のオーディションに合格し、1年半在籍。舞台上で得意の上段回し蹴りを披露することもあった。新聞で「ガールズケイリン」の記事を見つけ、転身を決意。「(兵庫県の)実家から通うのが一番楽だった」向日町競輪場へ押しかけて、弟子入りを志願したのが川村だった。練習は師匠とともにバンクに入り、男子選手に混じって汗を流すのが日課。弟子のけなげな姿を間近で見ているからこそ、川村も自身の競走参加中に記者をつかまえて「今日、山路が走っているんですが、どんなレースでしたか?」と尋ねることがしばしば。強い絆で結ばれているのが分かる。山路は言う。「以前よりも落ち着いてレースができているし、メンバーに応じて自力、マークを使い分けている。まだ地脚もダッシュも全然足りないけど、師匠を信じて付いていけば、いつかは…」。2人でそろって「グランプリ」と名の付く舞台へ―。夢に向かって努力は続く。


函館競輪場より