インタビュー

佐藤雅春 宮城 94期 S級2班
期待を抱かせる自力型
 また一人、期待を抱かせる自力型が北日本に現れた。現れたといってもこの先どうなるか。ただそれでも彼、佐藤雅春の可能性を信じてみたい。この7月から4年半ぶりとなるS級を戦っている。初戦の福井は予選を1着、準決を2着でクリアしいきなりのベスト9入り。決勝でも3着と結果を残した。その後の弥彦、宇都宮、青森は精彩を欠いた。そして迎えた小田原記念。高久保雄介らを相手にまくり勝負に出たが届かず7着。しかしながら踏み出しのスピードは抜群で、まくり切ってしまうのではないかと思った程。結果以上に力強い動きだった。2日目は選抜。人気は伊藤裕貴に集まったが抜群のスピードで前団をひとのみ。マークした飯田辰哉に差されはしたが、2着は立派。3日目は大敗を喫し、最終日は3着で開催を終えた。2回目のS級、記念という舞台で目立つことはできた。

佐藤雅春 宮城 94期
 最初のS級は2011年1月。その2か月後に「東日本大震災」が起こった。「だから最初のS級は実質2か月くらいで終わりました」。当時は動いても結果が出ず大敗が続いたと振り返る。たった1場所だけのS級。8月からはA級。そこでアクシデントが佐藤を襲った。8月末の立川で落車。右鎖骨、肋骨骨折に加え、肺まで傷を負った。2か月休んで復帰したが、初めての大けが、そう簡単に元の体には戻らなかった。「一時期、競走得点が70点台まで落ちました。このままじゃチャレンジってところまで」。どうしていいか分からない。それでも競走に参加しなければいけない。出ても結果はついてこない。負の連鎖。何をやってもうまくいかない。それが昨年までの3年続いた。
 きっかけは2014年6月。フレームを違うメーカーにした。翌年に控えたギア期制も見据えてのことだった。「ずっと使っているところに頼んだけど、完成まで相当時間がかかると言われ、先輩に相談して代えたんです。1週間で出来上がりました」。これが佐藤の体とピッタリマッチした。もちろんフレームだけで成績が上がるはずもない。以前は一人で練習をすることが多く、ほとんど街道。たまにバンクに入ってもがく程度。だが現在は「バンク練習が7、街道が3くらい」と全く逆転した。自転車経験がないまま選手になった。だから乗り込んで基礎から鍛え上げた。それがようやく実になったからこそ、バンクでのスピード練習が生きてきた。
 小田原の後、青森記念は2日目からの補充で参戦。最終日、また一つ勉強になったことがあった。同門の保科千春が先行。だが、保科をかばうあまり仕掛け損じ5着。逃げた保科は9着。よく言う共倒れ。保科も同門の佐藤が後ろだから早めに先行したはず。同じ自力型としての気持ちも分かるが、3番手には鈴木誠がいた。「そうなんです。僕と保科だけとは違うんですよね。僕と鈴木さんがワンツーじゃなければ、保科君があれだけ行ってくれたのに。レース後、先輩からも言われました。甘いですね」。同じ失敗は繰り返さない、そう固く誓った。小田原、青森と2開催続けてのGIII。「友和さんとか一成さんとか、トップの人たちからアドバイスをもらえました。もっともっと努力して上で頑張らないといけない、そう思いました」。成績にムラはあるし粗削り。ただ、向上心は人一倍あるのも事実。しばらく佐藤を追ってみてもいいかもしれない。


青森競輪場より