インタビュー

安谷屋 将志 沖縄 96期 A級1班
名手たちとの出会いから意識改革
 人の縁というのは、どこでつながるか分かったものではなく、まったく偶然の出会いが幸運をもたらすことがある。2009年7月に96期生としてデビューし、7年目を迎えた安谷屋もそうだった。

安谷屋 将志 沖縄 96期
 デビュー当初は長らく3班のチャレンジ戦から抜け出せず「練習はずっとやっていました。でも、ただ量をやっているだけって感じでした」と、〝やったことに満足″の自己完結型の練習で内容が伴っていなかった。
 在籍する沖縄県はもともと選手層が少ない。練習グループはあるにはあるが、一度に何人かがレースへ行ってしまうと途端に稼動が減り、結局はひとりで練習をすることとなる。また、他地区への出稽古も物理的に難しく、練習方法などの選択肢は他地区と比べて格段に減る
 他競技でいえば、同じチームの看板選手を目標とし若手同士が切磋琢磨するような環境、並びに彼らの才能を開花させることができる名コーチが不在という状況が、ここ数年の沖縄地区だった。 だから、新たな取り組みがはたして自分に合っているのか合っていないのかを冷静にジャッジしてくれる目がなく、いくら向上心があっても、いくら潜在能力を秘めていても、若手たちは思いきった行動に出られない。このいやおう無しの内的志向が安谷屋の成長を遅らせた。
 ところが、状況はひょんなことから一変する。2011年3月に起きた東日本大震災で被災した佐藤慎太郎(福島・78期)と山崎芳仁(福島・88期)が練習場所を求めて沖縄へやってきたのだ。「元々、沖縄にはGI前や冬場に合宿できていたから違和感は無かった」(佐藤)、「地元の選手ともバンクで一緒にやっているし、雰囲気もいい」(山崎)と、両者はすぐさま順応し、環境を整えていった。  
 名実ともにととのうバリバリのタイトルホルダーたちは名選手であり名コーチともなる貴重な存在で、さらに両者を慕う他地区の実績ある面々が、ひっきりなしに出稽古へと訪れる。
 安谷屋が影響を受けないわけがなく、練習への取り組み方はもちろん、意識改革が芽生えた。「沖縄にお二人が来てから、すべてが新鮮と言うか強烈で、競輪選手ってこうなんだと。自分は自力型なので山崎さんにいろいろとアドバイスをもらっています。でも、最近は位置を取るようなレースもしているから慎太郎さんや冬季移動に来ている山田敦也(88期・北海道)さんらの話も聞ききながら、レースに生かしています」
 15年度はS級点数の確保こそならなかったが、「来期へ向けてやれる自信が付いた1年」とおおよその及第点を与えた。初のS級へ向け、16年はしょっぱなから猛チャージをかける。


沖縄より