インタビュー

川村晃司 京都 85期 S級1班
もうひと花咲かせる
2015年12月30日、KEIRINグランプリの京都2人の走りをしっかり目に焼き付けた。四日市ナイターFIの優勝戦。カクテル光線が照らし出す肌寒い空気を切り裂くように、ダッシュ鋭くホームで一気に先頭に出た。あとはともにバンクで血へどがでるまでもがき合ったGPの稲垣裕之や村上義弘と同じように力を出し切るだけだった。強烈な踏み出しに番手の中澤孝之は付いて来られず、佐藤友和―紺野哲也の北ラインの猛追に合った。勝ったのは紺野だったが、2着に粘り込む内容で、次年の16年に確かな手応えをつかんだ。

川村晃司 京都 85期
三十路(みそじ)を越えてからメキメキと地力を付けて、13年12月には広島、佐世保でGIIIの記念競輪を連覇するなど近畿を代表する先行選手として定着した。GIの舞台でもS級上位選手と互角に渡り合い、寬仁親王牌では2度決勝進出を果たした。
しかし、昨年はギア規制の対応にも遅れ、調子が上がらなかった。さらに8月の豊橋GIII2日目の落車で崩れた。右鎖骨と肋骨骨折で約2カ月の欠場を余儀なくされた。それでもめげないのは前職のホテルの調理師から転じて、コツコツと地道に力を蓄え、〝遅咲きの花〟を咲かせてきた男の意地だった。「鎖骨骨折は9回目で慣れてます。でも今までのワイヤをつなげる治療ではなく、プレートを入れる手術をしたので何かしっくり来てないですね。体のバランスが取れてない。でもまたじっくり、やっていくだけですね」。復帰後の10月の高松FIでは、積極的に主導権を奪うレースで力強く2、1着で勝ち上がり最後は強烈なまくりで久々に優勝も飾った。
「ここまでやって来られたのは京都の環境が大きかったですね。兄貴(村上義弘)がいて同世代の稲垣も力を付けた。そのあとにも若手が続いた。その流れに引っ張ってもらった。兄貴や稲垣が今も自力で頑張っているのに、僕が簡単にあきらめるわけにはいかないでしょう」と前を向く。茫洋(ぼうよう)とした雰囲気とは裏腹に内面は、闘志の固まりだ。大きな目標はない。「しっかり自分の走りを取り戻して、グランプリに出た2人に少しでも近づければ…」。まだ、もうひと花もふた花も咲かせる。


四日市競輪場より