インタビュー

熊本競輪界の名物男がバンクを去る
友田雄介 熊本 75期 A級3班(1月末で引退)
 熊本の名物レーサーが1月の別府を最後にバンクを去った。大柄な体型で人懐こい笑顔がトレードマークで、温厚な雰囲気をかもし出していた。漂う〝優しさ″や〝あたたかみ″といった要素が、時として勝負の世界においては不向きともいえなくなかったが、練習では自身を含めて妥協を許さず、鬼軍曹と化して徹底的に追い込むなど厳しい一面もあった。
 エリートぞろいの75期生の中でも異彩を放ち、カマシ、まくりを主武器に大物食いを得意とし、長らくS級でも活躍。2010年にはチャレンジ戦で若手機動型を手玉に取る活躍で年間67勝の金字塔を打ち立てた。

友田雄介 熊本 75期
 引き際は大いに迷ったという。最大の要因は「責任感」だった。ここ数年、友田には練習グループがなく、バンクに入る選手たちと車を合わせるのが常だった。そこで若手に請われてバイク誘導をしたところ絶妙なスピードテクニックが好評で、いつの間にか彼らの練習を手伝うシーンが増えた。「競走のあとにいい報告を聞いたり、アマチュアがタイムを縮めたりするとうれしくて。彼らの活躍が刺激になった」。
 自分の練習時間を削ってまで彼らと向き合う姿はさながら選手兼任コーチのようで、朝一番に道場のカギを開け、夜に戸締りをして帰る、そんな日常は友田にとってはごく当たり前だった。中川誠一郎(85期)は「自分より他人を優先できるあの覚悟はすごい。厳しい中にも的確なアドバイスがあるから後輩はみんな頼っていた」と友田の面倒見の良さを証言する。若手たちに揉まれながら自分の経験値を高めていく日々にやりがいを感じており、これまで心血を注いで指導し共に成長してきた後輩たちとの別れがつらかった。
 あとは長らく続けた熊本選手会の役員としての立場があった。イベントの企画や関係団体との折衝などに奔走しており「競輪はお客さんがあってのもの。熊本では新規ファンの獲得や新しいスターを輩出するべく努力をしてきた」と、こちらも志半ばで投げ出していいものか最後まで迷った。
 それでも「体力の限界とかではない。まだまだ上を目指す意欲もあったし、選手会の仕事を通して業界に貢献したい気持ちも持っていた。ただ自分は今年で40歳。ひとつの区切りを迎え、これからの人生を考えたら段階的にそろそろかと」と、きっぱり未練を断ち切り新たな道を切り開くことを決断した。
 今後の進路はまだ未定だが「いろいろな選択肢を模索しています。どんな仕事でもこれまでの経験を活かせると信じているし、熱意を持って取り組みたい」と前を向く。今後はバンクの外から後輩たちへ熱いまなざしを向け、新たなるスターの誕生を心待ちする。


別府競輪場より