インタビュー

武田憲祐 神奈川 93期 S級2班
ひたすらに、この道を
 自力から追い込みへの戦法チェンジ。競輪選手のほとんどが経験する、いわばお決まりのシナリオ。武田も追い込み型に変わって、すっかり板に付いた感もある。だが一方で、超一流への道の険しさを味わっているところでもある。3月19日から行われた玉野記念、初日一次予選・4R。同県の後輩・佐藤龍二に前を任せたレースだったが、佐藤のトリッキーな動きに一瞬、判断が遅れた。「最終ホームで追い上げた佐藤君が山本奨(岡山)君を押し込んで、3番手を奪った。そこから内へもう1車追い上げたんです。その動きは読めなかった。判断が甘かった」。連係が外れかけたものの、バックで佐藤に追い付くと、ゴール前はタイヤ差まで迫ってのワンツー。内容は十分だったが「1着が取れていないので…。周りはいい競走と言ってくれたが、過信しないように」と、満足する様子は見せなかった。

武田憲祐 神奈川 93期
 2日目、二次予選8Rは田中勝仁(千葉)を目標に3着で突破。迎えた3日目、準決勝10Rは前に桐山敬太郎、後ろに大西健士の神奈川3車ライン。最終バックでまくった河村雅章(東京)―神山雄一郎(栃木)を桐山が追う形。3コーナーで後方から反撃してきた稲垣裕之(京都)を桐山が大きく牽制したその瞬間、武田のコースが開いた。だが、武田は突っ込まなかった。「内を行っていれば、3着はあったかもしれない。でも桐山さんが自分で稲垣さんを止めにいっているし、突っ込むのは今じゃない、と…。難しいですね」。結果は6着で、決勝進出はならず。複雑な表情のまま、レースを振り返った。
 マーク選手として、武田が心がけていることはシンプルだ。「自分も自力でやっていたからこそ、前で走る自力選手の気持ちを考えてやることが大事だと思うんです。目の前のレースだけやっていると、たとえば10年後の自分にどう返ってくるのか…想像がつきますよね」。ライン戦が主流の現代競輪だからこそ、自力選手の信頼を得るマーカーになりたい。今はコツコツと、実績を積み重ねている最中だ。
 確固たる信義のもとに、目指す舞台がある。「やっぱりGIに出たい。高いステージで戦うことで、強い選手の空気に触れられる。勉強になるはず」と夢を膨らませる。そして「いつか自分にもチャンスが来る。そのチャンスを逃さないだけの脚を、作っておきたい」とも。7月からは自身初のS級1班に昇格することも決まった。イキのいい自力型が続々育っている南関地区で、武田の存在はいずれ重要度を増すはず。悩んで、ぶつかって、また考えて―ひたすらに、マーク道を究めていく。


玉野競輪場より