インタビュー

熊本競輪は未来へ向けて前進していく
 4月14日に発生した熊本地震は、16日に本震を引き起こし、県内に甚大なるダメージを与えた。熊本競輪場も例外ではなく、バンクには亀裂が入り、特別観覧席の窓ガラスは粉々にばらけ散り、スタンドを支える柱は骨組みがむき出しになった。

スタンドの割れたガラスが散乱したバンク
 誰もがあらゆることに余裕が持てず、心が壊れてしまいそうな絶望的な状況にあるなか、熊本選手会の対応は素早かった。競輪場内に拠点を起こし、その日のうちに支援部隊を立ち上げた。選手のみならず熊本の危機を眼前にし、何とかしたいと賛同した周囲の支援者も続々と集結。フェイスブックなどのSNSやインターネットらのツールを通じて支援の輪が広がり、全国の競輪選手や関係者から物資が次々と競輪場に届いた。
 彼らの取り組みは徹底していた。県や市が認定した避難所には緊急物資が比較的多く届けられるという現実を鑑み、行政が対応しきれない小さなコミュニティ、たとえば地域住民が細々と寄り添う駐車場や病院、公園、集会所、公民館といった場所への支援にポイントを置いた。SNSを使い支援を必要とするエリアの情報をオンタイムで共有しあって物資の配送へ出向き、被害に遭った地域では片付けや炊き出しを行なうなど、精力的に立ち回り、被災者たちへと寄り添った。
 中には情報が行き届かず、物資の手配に右往左往する高齢者のみの集団や、避難所によってはペットボトルの水一本を手に入れるのに数時間並んだケースもあったそうで、競輪選手たちの俊敏な機動力と、きめ細やかな作戦が役立った。「選手会で今やれることをしませんかと支部長らに相談して、賛同して集まってくれた人たちとスタートしました」と支援部隊の中心的な役割を果たした服部克久(90期)は振り返る。
 ゴールデンウィークが明けたころ、ひとまず物資の受け入れと供給は打ち切った。が、これが一過性のものとなってはいけない。支援は形を変えても、まだまだ続くし「熊本支部として、今後も色々な形で支援をしていきたい」と松尾正人(66期、熊本支部長)も宣言するように選手会もこの先の長丁場に本腰を入れている。
 また、5月のGI「日本選手権」(静岡)で〝熊本の奇跡″を体現し、熊本競輪復興のシンボルとなった中川誠一郎(85期)が「ファンの方には、レースで元気を与えたい」と話していたように、選手たちが競走を通して熊本の底力を外へと発信していくことも支援活動の一環だ。
 最後に、現役選手であり現役のミュージシャンでもある仲山桂(66期)が想いをしたためた「4月16日消印」という曲を紹介したい。〝私たちの魂まで瓦礫になってたまるものか″、〝全ての人たちの眼差しが慈愛に満ちあふれ溺れそう″といった、次々とつむぎでる仲山節に胸間がゆさぶられ、頭の中は熊本の情景でいっぱいとなる。それに、歌声からはすべての事象を受け入れる覚悟と、熊本の未来への希望が伝わってくる、静かな中にも大きな迫力がある名曲だ。
 かつて、歌手や作詞家であり精神科医でもある北山修さんが「震災や災害のあとは、必ず現地で芸術が生まれる。そういうものが逆に彼らを励まし残っていく」というようなことを述べていた。この曲はまさにそれで、喪失から新たに生まれる創造とは、かくして力強く、人に生きる活力を与えてくれるのだと勇気づけられ、復興への大きなエネルギーにつながると確信した。youtubeや熊本競輪場のホームページから聞くことができるので、ぜひご一聴を。


熊本競輪場より